ジョニーの子守唄はアリスが1978年6月20日に東芝EMIからリリースした13枚目のシングル。
訃報:2023年10月8日 巨星谷村新司さん逝く
急性腸炎で入院ごしばらくしてからお亡くなりになったようです。
心よりご冥福をお祈りします。
私の認識としては、中学生の頃まだ、日本の音楽シーンといえば、歌謡曲や演歌、フォークばかりで、今のようなJポップと言われるものがない時代に突如フォークとロックが合体したようなフォーク・ロックの夜明けを告げたのがアリスでした。「今はもう誰も」から始まった垢抜けたサウンドはニューミュージックと言われ、現在のJポップの礎となっていきました。中でも強烈だったのは「チャンピオン」です。余談ですが、その頃ちょっと遅れて、サザンオールスターズの「渚のシンドバッド」が流行り、一層洋楽に近づき自由な作風のポップになって行きました。
今回紹介する「ジョニーの子守唄」は作詞が谷村新司さんで作曲と唄が堀内孝雄さんです。後ほどこの曲に登場するジョニーとは誰のことか?考察してみたいと思います。
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ジョニーの子守唄
作詞:谷村新司
作曲:堀内孝雄
束の間の淋しさ うずめるために
君の歌声を聞いていた
せまいホールの壁にもたれて
君の動きを追いかけていた
飛び散る汗と煙の中に
あの頃の俺がいた
オーオージョニー 君は今
オージョニー どこにいるのか
時間つぶしの店の片隅
ふと聞こえてきた君の唄
コーヒーカップを持つ手がふいに
ふるえ出したのが恥ずかしくて
子供が出来た今でさえ
あの頃は忘れない
オーオージョニー 君だけが
オージョニー 俺の思い出
風の噂で聞いたけど
君はまだ燃えていると
オーオージョニー それだけが
オージョニー ただ嬉しくて
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ジョニーは誰なのか?歌詞から読み解く
>束の間の淋しさ うずめるために
>君の歌声を聞いていた
どうやら歌い手であるらしい
その人の唄には淋しさを癒やす力を持っているらしい
>時間つぶしの店の片隅
>ふと聞こえてきた君の唄
>コーヒーカップを持つ手がふいに
コーヒーを飲む店は喫茶店だとして
喫茶店といえば有線放送なので、有名な曲がかかることが多い
つまり有名なミュージシャン?
>飛び散る汗と煙の中に
>あの頃の俺がいた
>オーオージョニー 君だけが
>オージョニー 俺の思い出
①青春時代に強く影響を与えたミュージシャン
>オーオージョニー 君は今どこにいるのか
>風の噂で聞いたけど 君はまだ燃えていると
>それだけがオージョニー ただ嬉しくて
②今どこにいるのかわからないミュージシャン
目立った活動はしていないけど見えないところで闘志を燃やしているらしい
>オオジョニー
ジョニーとはそもそもジョンの愛称です。
以上のことから推察して仮にジョン・レノンだとして当てはめて考えます。
このシングルが発売されたのは1978年6月20日です。
その頃のジョンは1980年に復活するまで5年間音楽活動を休止し子育て等をしていましたので、マスコミに露出することは有りませんでしたので、何をしているのかわからない時期でした。
ニクソン政権の頃に出された国外退去命令により、アメリカ政府と闘っていて1976年7月27日に永住権を獲得しました。その時久々にそのニュースが世界中を駆け巡りました。このニュースこそが風のうわさなのかもしれません。これで②は当てはまります。
①の谷村新司さんが若い頃に多大な影響を与えられたミュージシャンを調べると
谷村「あの頃はなかったですね。同世代とミュージシャンの誰と話しても、みんなビートルズやボブ・ディランの影響を受けているんですけど、僕はほとんど聴いていなかった。ラジオから流れてくる曲は、もちろん知っていましたが、アルバムを買って聴くようなことはなかったですね。でも、そういった音楽の影響を受けなくても、歌謡曲とは違うオリジナルをつくれるんじゃないかと自分では思っていたんです。」
谷村さんのインタビューからは意外とビートルズの影響を受けていない様子で、むしろ堀内孝雄さんはかなり大きな影響を受けていました。
①の決め手が不足していますが、メインボーカルが堀内さんなので何かしら歌詞づくりで関わっている可能性がありますし、「みんなビートルズやボブ・ディランの影響を受けている」の発言から谷村さん本人よりもその時代の人の代表としての人物像が主人公だったのかもしれません。
そしてタイトルの子守唄という比喩はその人の唄を聞いて育ったという事かなぁと思います。答えを求めてネットで調べましたが、わかりませんでしたが、私の推理は80%歌詞のモデルはジョン・レノンという事でいかがでしょうか!?