「インスタント・カーマ」が出来上がるまでを、その頃ジョンの補佐及び雑用係を任されていたアントニー・フォーセットが克明に彼の名著「ONE DAY AT A TIME」で記述しているので紹介してみたいと思います。
※尚、前回のクイズの答えは青文字で示しました。
ある朝(1970年1月27日)、ジョンは光悦状態で起き上がった。湧き上がる興奮、そして子供のように叫んだ。というのは、すごい新曲が頭に浮かんだからだ。私が二階で朝食を取っているとき、彼はもう完全に夢中になっていて、すでに詞が流れ出していた。「”インスタント・カーマ”は君の頭のてっぺんをぶちのめす。さあ、死んでいく準備をしろよ」
ジョンが何か創造していて、幸せで、満足しているときに見せる、例のおなじみのまばたきする目つきで私を見たとき、ジョンの内部の力が高揚しているのが私にもわかった。ベッドへ運んできた朝食の盆を、私が下へ降ろさないうちに、ベッドから飛び出し、白いバスローブのまま、台所においてあるアップライト・ピアノへ一目散に、階下へおりていった。基礎になる部分のメロディを、何度も繰り返し歌いながら、コードを叩いて、それにつながっていく部分を創ろうとしていた。音楽が彼から溢れ出し、小さな紙っきれに言葉を書きつけながら、歌はみるまに形をなしていった。原始的で、単純素朴に、次第に盛り上がっていくと、彼の声が、詩の内容が、台所の壁にこだました。「ここに何故ぼくらはいるの?・・・・・苦痛や怖れの中に生きるんでなく。どこまでもついてくるんだから、離れてくれ、苦痛も恐れも」
朝の紅茶をすすり、歌をつくり、三十分後に、ジョンは、もうスタジオへ行って、すぐににも吹き込もうと決めていた。彼は我慢しなかったし、態度にも切迫したものが見られた。「行く用意!」と服を着るために二階に駆け戻りながら叫んで、ヨーコをせかした。私はレスを呼んで、五分で車を外に廻して、と頼んだ。
メルセデスの後で、ジョンは、”インスタント・カーマ”をどういう音にしようかと、同時に詞の新しいフレーズとか、ゆったりと考えていた。彼は、まったく基礎的なロックンロール・サウンドが欲しかった。ラジオで聴いていピッタリというようなのを。で、突然ある考えがひらめいた。「スペクターだ! セッションにフィル・スペクターを加えよう、彼ならぼくの欲しい音を手に入れてくれる!」(アラン・クレインは、スペクターならビートルズの音作りがプロデュースできるにちがいないと、ロンドンへ彼を呼んであった。ためしとして”レット・イット・ビー”のあの混沌としたテープをスペクターにもう渡してあって、彼がそんなテープからレコードにできるかを見ようとしていた)
ロンドンの町はずれに近づいたとき、ジョンはアップルの自分たちの事務所にはピアノが無いことを、思いあたった。着いてから、歌の仕上げをするのに、是非とも一台、必要だった。「じゃあ、途中で一台仕入れよう」といい、レスに、ある大きな楽器店の一つにつけるようにたのんだ。アップルからそう遠くない町の中心にある、インホフ楽器店につけた。車の窓から、数秒眺めたあと、ジョンは、一番見かけのいいピアノを店の前面の展示してある中から選び、レスに店に入り買って、できるだけ早くアップルに配達させるように手配させた。
われわれは大急ぎで、たむろしているファンの少女たちのそば、階段をかけ抜け、事務所に入った。ジョンとヨーコは、彼らの机に向かって坐った。ヨーコは郵便物を開け始め、私は、紅茶と野菜の支度で、台所を忙しく動き回る。ジョンは、新曲と、どのミュージシャンを使うかを決めること以外のことには何も集中できない。彼は、私に、EMIスタジオに電話し、六時からの予約をし、フィル・スペクター、クライン、クラウス・ブーアマン、アラン・ホワイトを捜し出すようにいった。スペクターは、イン・オン・ザ・バーク・ホテルの自分のスイートに隠れていたので、たやくす捕まえられ、他の二人も、何本か電話したあと捕まった。
まもなく、中からは見え、外からは鏡になっている事務所のドアごしに、受付に運ばれてきたピアノが見えた。まだまだビートルズのちからは奇跡を成し遂げるわいと、私はひとり言をいった。ジョンはきちんと届けられるのを待っていられなかった。ピアノの、ほとんど場所も決まっていないのに、ジョンは、緑の腰掛けをひっぱりだして出して、ほとんど出来上がっていたコーラス部分を弾き始めた。ちょうどよいテンポをみつけようと、数度歌った「ぼくら皆な輝いてる。月のように。星のように。太陽のように。ぼくらは皆な輝いている。輝き続ける!」
ピアノの次には、早くもジョンの招きに応じて、フィル・スペクターが現れた。精気をみなぎらせ、ぴったり後ろについた二人のボディ・ガードと共に部屋に飛び込んできた。だがすこしばかり神経質になっているのがわかったので、ジョンは彼をピアノのところに手招きして、すぐさま曲を始めた。その場でコミュニケーションが成り立ち、スペクターはジョンがどんな音にしたがってるのかを、適確に掴んだ。ジョージ・ハリソンは飛び込んで来たと思ったら出ていったのだが、その間にもジョンとフィルの興奮を感じ取り、曲を聴き取り、あとでセッションで弾くことの同意だけはして出ていった。
その夜、七時には、全員、EMIの第一スタジをに集まっていた。機械係のケビンとマイルが、全マイクと楽器のセッティングをした。スペクターはまるで野性にかえったのごとくとびまわり調整盤のツマミやダイヤルを操作している。と、ジョンが、待ち兼ねて叫んだ。「OK”インスタント・カーマ”テイク・ワン!」
二、三時間後、全部の楽器の音を入れてみて、実験的にヴォーカルも入れた。二、三プレイバックを聴いて、ジョンはコーラスとして、たくさんの人間の声が欲しいとわかった。こんな夜遅く、歌い手を何人も手に入れようとするかわりに、ジョンは、ケビンとマイルを一番近くのナイト・クラブに行かせて、歌いたい気分の若者を誰でもいいから、車一杯分連れて来させようとした。まもなく”スピーク・イージー”から、いろんな連中を連れて戻ってきた。で、ジョージが聖歌隊の指揮者よろしくコーラスの説明をし、指揮した。
今や、ジョンが歌う準備ができた。アラン・ホワイトの力強いドラムのビートとの掛け合いが始まった。表情に出た烈しさは、こぐ最近デンマークでの騒動の最中に刈り込まれた、短い髪のせいで、より強まっていた。私は、とりやめになったピース・フェスティバルや、関連したあらゆる狂気の沙汰のことを振り返っていた。ほんの二、三週間前、やっと全てが静まったばかりだった。ジョンの、ひからびたような声が思いをさえぎった。「ぼくのような馬鹿を笑いに、どうしてやってくるんだ」
まわりにいる、楽器を演奏していない人間なら誰もかれもを、”合唱隊”に加えて、二、三度のテイクをとってから、ジョンとスペクターは、それで”完パケ”の自信をもった。
あとはもう、ジョンは肉体的にも、感情的にも、くたびれ果てていたけれど、気分は良かった。自分の一曲のコンセプトを、十二時間以内で、完了した吹き込みに、移しかえることに成功し、まことに意気揚々だった。だが、これこそ、典型的なジョンの、いわば感動方式だった。彼は自分の仕事に取っ組んでいく、他のやり方を知らなかったし、超人的エネルギーでなにもかもやりとげた。逆にいえば、またたく間に、彼のエネルギーはまたしぼんでしまう。というのは、彼の典型的エネルギーは、ジョンの生活のベースをつくっている長い連続している環の、一部にすぎなかったから。自分のペースに対する本能、つまり持つべき時、押すべき時、わきで見ているべき時、などに対する天賦の勘が、彼の最高の資質の一つである。
レコーディングの1週間後(※実際には10日後)、1970年2月(6日)に発売された。
「 ふと思いついた曲。誰もがKARMA(因縁)を追いかけていた。特に60年代はね。 だけどカルマというのは、人の過去や未来に影響を与えると同時に、インスタントなものだと、ぼくはひらめいたんだ。人がやっている事への反応が絶対ある。そのことをみんなはよく理解しておくべきなんだ。」
プレイボーイ誌インタビューより
※記事にはありませんが、ビリー・プレストンもオルガンで参加していたようです。
適度に乗ったオーバードライブのヴォイス、表情豊かに諭しながら説得するような歌い方、切れの良さ、ロックンローラーならではのグルーブ感とシャウト! 唯一無二の歌の天才を感じるだけではなく、メッセージも素晴らしいです。この曲は特別ですが、起きてからレコーディング終了まで12時間という力技と途方も無いエネルギーにも脱帽です。
通例のように他のミュージシャンがカバーしているのを載せようと何十人か聴いたのですが、どれも、物足りず、残念ながら紹介できるものではありませんでした。
この曲なら、グリムスパンキーの松尾レミさんなら、ぴったりな気がします。
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インスタント・カーマ
作詞・作曲:ジョン・レノン
インスタント・カーマがやって来て
君の頭をぶちのめす
気持ちを準備するんだ
もうじき、君は死んでいく
この世で、何かを考えていても
愛に満ちた表情をうかべても
なにかに努力するのも
全てが君次第なんだ
インスタント・カーマがやって来て
君の顔面をぶちのめす
一緒に備えようダーリン
人類の一員と思うんだ
この世がどんな風に見えようとも
僕のような馬鹿は笑い飛ばして
君自信が何者かを考えるんだ
君はスーパースターかい?
そうさ、君はスーパースターなんだ
僕らはみんな輝いている
月や、星や、太陽のように
僕らはみんな輝いている
みんな、そうなのさ
インスタント・カーマがやって来て
君の足元をすくう
周りの人をみてごごらんよ
君がでくわした人たちをね
何故、この世界に僕たちが存在するんだい?
生きている限り、苦しみや不安はつきまとうんだ
何故、地球に君は生まれきたんだい?
ここに居る限り
自分の居場所を確保するんだ
僕らはみんな輝くんだ
月や、星や、太陽のように
僕らはみんな輝くんだ
さあ、皆で輝くんだ
意訳:半兵衛
※インスタント・カーマとは「悪い事をするとすぐ自分に跳ね返るという法則」で、この曲の発表で流行語になった。仏教で言うところの因果応報 インスタント=即席 カーマ=カルマ=業、因縁
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ジョンは困難に直面すると素直に曲にしますのが、その反面、人生観を反映した解決方法を、曲にすることも多いです。 この曲は、日本人なら誰でも知っている言葉、”因果応報”の歌かと思います。バタフライエフェクトや風が吹けば桶屋が儲かるみたいな長いものではなく、天に向かって唾を吐くのような、直ぐに自分に跳ね返ってくるものを「インスタント・カーマ」と名付けたようです。
このメッセージを一般的な私達に置き換えると、職場の同僚やお客様、友人や恋人など、いいことをしてあげれば、いいこととなって返ってくるし、悪いことをすれば直ぐに喧嘩になったり、恨まれたりします。だけど自分は世の中に染まった悪い存在なのではなく、社会で生きていくために良い存在になる=自分自身が輝く存在になれば、自ずと、明るい人生が待っている・・・・みたいな感じでしょうか。
ジョンを知るための 名著 アントニーフォーセット 「ジョン・レノン 愛と芸術」
原題 「 ONE DAY AT A TIME 」