◆Sir George Henry Martin
ビートルズのプロデューサーのジョージ・マーティンさんが2016年3月8日90才でお亡くなりになられたそうです。ご冥福をおいのります。
◆ポップソングの歴史に名を刻む音楽プロデューサー
彼がプロデューサーとして音楽産業界に果たした歴史的な役割は大きく、その中でも一番の功労者は間違いなくジョージ・マーティンだとおもいます。ビートルズが20世紀最大の作曲家といわれていますが、やはり、彼の存在なくしてビートルズはありえなかったと思います。ビートルズにとっていわば育ての親的な存在でした。
◆ビートルズの音楽プロデューサー
ブライアン・エプスタインがビートルズを見出し、レコード会社に売り込みをかけるも、どこにも相手にされずにいたところ、EMI傘下の会社「パーロフォン」のマネージャー、ジョージ・マーチンに売り込みに成功し、ビートルズは契約することができました。デモレコードに対する彼の印象は「ひどかった」と回想しています。
1962年の6月6日にメンバーと初対面しアビー・ロード・スタジオにてデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を録音しました。この時のドラマーは、ピート・ベスト。
その時に緊張しているメンバーに「何か気に入らないことがあるか?」との問に、ジョージ・ハリスンが「まず、あなたのネクタイが気に入らない」と答えたエピソードは有名。
型にはまらない何かを感じたマーティンは、ビートルズに可能性を見出しました。
彼はこの時のピート・ベストのドラムの演奏が気に入らず、その後加入したリンゴ・スターにより再度録音されたましたが、これも気に入らずに、最終的にはセッション・ミュージシャンのアンディ・ホワイトがたたくことになりました。
1965年にはEMIから独立しましたが、ビートルズのプロデュースは継続して行われ、アルバム「レット・イット・ビー」を除きほぼ全てのビートルズのアルバムのプロデュースを手がけました。
◆イメージを具体化する能力
ジョンは録音の技術面では、具体的な指示ではなくイメージで伝える事が多く、例えば「トゥモロー・ネバー・ノウズ」では後半のヴォーカルのエフェクトにかんし、「ダライ・ラマが山の頂上から説法しているような感じで」などと指示を出して、マーティンを始めエンジニアたちが、四苦八苦しながら新しい手法を編み出す事がありました。この時の手法はハモンドオルガン用のレズリースピーカーを使ってドップラー効果をだしました。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」では、キーもテンポも異なる2つのテイクをどちらが良いか迷ったジョンは挙句に、マーティンに両方のテイクをつなぎ合わせるように頼みました。
「曲のアレンジについて、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、それに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは曲のイメージを抽象的に説明することが多く、彼のアイディアを実現するのには少々苦労した」ジョージ・マーティン
このように、イメージを具体化させる事が出来た人で、当時のレコーディング技術において数多くの革新的な事をなしとげましたので、現在有る技術に多大な貢献をしました。作曲こそはしていませんが、ビートルズの名曲の陰でのその功績は計り知れないものがあります。※アルバムイエローサブマリンでは、サウンドトラックとして彼の作品インストゥルメンタル、オーケストラ数曲が聴けます。
◆レコーディングだけではなくアレンジや演奏でも数多く参加
・世界で最も多くカヴァーされた曲としてギネスに認定されている「イエスタデイ」の弦楽四重奏はアレンジは、マーティンによるもの。
・「イン・マイ・ライフ」の間奏のバロック風のピアノはマーティンの演奏。
◆私のこの”一曲”
こういう質問は嫌いだね。「ジョークを言ってくれ」といわれているのと同じで、頭が真っ白になってしまう。たくさんあるはずなのに、何も頭に浮かんでこないんだ。「自分が手がけたビートルズの曲で、いちばん好きな曲は何ですか?」って聞かれても、いつも答えられない。たくさんありすぎてね。ジョンの曲なら「Girl」かな。シングルにはなってないはずだ。目立たなかったけど、本当に素晴らしい曲だよ。」 ジョージ・マーティン
●グラミー賞を6回受賞したほか、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の音楽でアカデミー編曲賞にノミネートされている。
●1996年に音楽界への貢献でイングランド国王よりナイトの勲位を授与され、サー(Sir)の称号が与えられました。
◆追悼コメント
「この偉大な人と素晴らしい思い出があまりにたくさんあって、どれも自分の中で永遠に消えない。本物の紳士で、僕にとって2人目の父親のような存在だった」、「5人目のビートルと呼ぶにふさわしい人がもしいるなら、それはジョージだった。最初にビートルズと録音契約してくれた日から、最後に会った時に至るまで、僕が知り合えた中で誰よりも心が広くて知的で音楽的な人だった」 ポール・マッカートニー
「ジョージ・マーティンに神様の祝福を。ジュディ夫人と家族に平和と愛を。リンゴとバーバラから愛を。ジョージがいないとさみしくなる」「たくさんの愛情と優しさをありがとう、ジョージ。平和と愛を」 リンゴ・スター
「わたしたちは6度のグラミー賞受賞者にして協会賞の受賞者でもあるサー・ジョージ・マーティンが亡くなったことを知って、とても悲しんでいます。ザ・ビートルズの多くのファンが知っている通り、ジョージのプロデューサー、エンジニア、アレンジャー、ミュージシャンとしての仕事は、ザ・ビートルズの巨大な成功の一因となりました。そして、彼は愛情をもって『5人目のビートル』と言われてきました。数多くのレコーディングに携わり、全時代を通して彼は最も革新的なプロデューサーの一人でした。彼が音楽に与えたインパクトは比較できるものがありません。わたしたちのクリエイティヴな共同体は才能に溢れたアーティストを失いました。遺族や友人、コラボレーションを行ってきた多くのミュージシャンにお悔やみを申し上げます」Grammy Awards