<主眼>ここでいいたいこと2つ
イロのつきそうな文章は止めることにしたんだけど、この問題は「武道の思想」に焦点を定めた動機のひとつなので、考え方のプロセスと方向性を明らかにしてメモるん。
歴史的に剣道は戦争と親和性が高く、逆に戦後に揺り戻しが大き過ぎて、それで「武道の精神性」が熱心に研究されて、「剣道の理念」(1970)として結実したわけだけど、近年の教本では経緯を省略しているような。。。誰しもに懐古趣味と温故知新を区別できるように
戦時中は、あらゆる分野で戦争を支持する理論を展開したので、戦後にリセットされて新解釈されたり、語られずに嫌悪感だけが残って、問題の本質が迷子になっていることがある気がする。物事には表と裏があるもので、両面を認識することが理解の出発点だと考えているし、裂古破今して残るこころを探りたい
<「八紘一宇」の多面性>言葉と意味の関係
軽くおさらい。自由民主党三原じゅん子議員が国会で「八紘一宇の精神[1]」を礼賛して、炎上。火消のつもりの説明が、爆弾だったというオチ。再訂正をするはめに。この人は特殊だけど、予備知識がなければ、優勢な情報に影響されるということは、誰にでも当てはまる。往々にして、伝言ゲームは、単純に記号化されて、誤解と意味の変容を招く結果となる。
順を追って簡単に。まず、質疑と「八紘一宇」の関連性は低いので触れない。炎上して、1回目の説明[2]では、清水芳太郎『建國』(1938)から引用していて、国会に提出した質疑書も同じ文章なので確信犯[3]。
燃えていよいよ盛んとなり、2回目の火消しに突然、もともとは神武天皇即位の際の「橿原建都の詔(みことのり)」にそもそもの始まりがあります。
[4]と説明をしたけど、『建國』はどこにいったんだ。
歴史的な「ことば」の多義性を利用した悪例の典型。マジでコワイわ
- [1]: 参議院インターネット審議中継2015年3月16日予算委員会(6時間16分から)
- [2]: 「八紘一宇」とは三原じゅん子公式ブログ(2015年3月17日)
- [3]: 平成27年3月16日*参議院予算委員会*自由民主党*三原じゅん子事務所作成
清水芳太郎「建國」(昭和13(1938)年7月)より
- 八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。
- これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。
- 世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう。
- [4]:「八紘一宇」について、予算委員会の質問でお伝えしたかったこと。同ブログ(3月18日)
<本題>現代からどう考えるか
戦後70年経って、まだこんな使用をされるとしたら、本来の神道的な言葉の使用すら、公には憚られる雰囲気になってしまいかねない。さらにいうなら、戦時中の「八紘一宇」の意味ですら、誤解を招くことになるだろう。
戦前の国家主義を研究している平井一臣氏(鹿児島大学法文学部教授)によると、清水芳太郎氏は、当時、九州日報(福岡県)主筆として、地域レベルで国体改造を主張しつづけていたマイナーな人物だったようだ。文章は過激なように感じるけど、当時の時代風潮としては、普通の内容だったらしい。
一般には、戦前の「八紘一宇」は日蓮宗田中智学の言説(1913?)から引いているんだとおもうけど[1]、当時の日本仏教のあらゆる宗派が、戦争を正当化するための教義解釈をそれぞれ主張した。日本仏教のお坊様方々は、平穏無事の宗教と血塗れの長い歴史に接点を見出すことができるんだろうか。オウム真理教は接点そのものじゃないだろうかと感じる。
今と異なる価値観の世界を、今に生きる人間が、過去・現在・未来を見通してどうやって解釈するか、というのが大事なことで、どこかの時点をそのまま持ち込んでも悪い予感しかしません。
本当に考えたいのは、こんなこと↓。
橿原新都建設は、『日本書紀』によれば、都を開き徳治を始めた土地であると同時に、神武天皇の東征の終着点であり、覇道の道のりを裏面にもっている。この征討と徳治の関係は『詩経』にもあったりするけど、儒教と神道でその解釈に差はあるんだろうか、とか。
でも、復古主義を唱えるひとがいるために、「八紘一宇」は、「戦前のスローガン vs. 建都の詔」、「悪 vs.
善」、という単純な図式から脱するところから始めなければならない。ムダだ。
- [1]: 関係は不明だけど廃仏毀釈をメモ。神仏分離(1868)、大教宣布(1870)
<要するに>
剣道は150年間ほどの短期間に、文明開化、敗戦という、2回も全面否定された過去をもつ。
こういう暴論から守るために、もっと過去について知るべき学ぶべきだとおもう。
ここで書くと誤解を招きそうだけど、お隣の国が、柔道と剣道を自国の文化と主張しているその流れや手順を知ったとき、ちょっと感心してしまった。日本の武道の枠内で考えていては浮かばない発想なんだなと。今は次のステージに向かっているようなので、10年後くらいにどうなってるかな?
敵を知って、我を知って、新たな知見を深層に発見できたら、それってラッキーじゃない?
とりあえず自由にメモって、最後に煮詰めてカタチがあらわれたら、あら、うれしや。