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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!




昨日は、震災からまる2年が経った日だった。


あの頃のこと、考えていた。



いまだに印象が強い思いでは、


地下歩道にいた、ホームレスの人の光景。



ライフラインがとまり、交通機関も止まり、


これからどうなるのだろうと、人々がさまよい歩いていた街で、


その人は、静かに編み物をしていた。



その一角にだけ、静寂があって、


その一角にだけ、日常があって、


その一角にだけ、高潔さがあった。




これはあくまで、私を通した見方だけれど、


あの光景を見たとき、衝撃が走った。




ライフラインが使えない。


住む場所が、ままならない。


食べ物が、確保できない。



それらは、私たちにとっては、異常事態だった。


でも、その人にとっては、日常だったのだ。




だけど、そのこと自体に、衝撃を受けたのではない。




誰もが、異常事態だと受け止めているであろう状況の中で、


その一角だけは、静寂と、日常とがあったこと。




外側が、私たちに影響しているものなんて、なにもない。


全部、自分たちの中で、起こっていることなんだ。


異常事態も、緊急事態も、


出来事に、「名前」をつけた瞬間、


わたしたちは、その名前通りの経験をしているだけなんだ。


だけど、ほんとうは、


外側の状態に名前をつけたのは、内側なんだ。


わたしたちが、世界を見たいように、見ているだけで、


感じたいように、感じているだけで、


経験したいように、経験しているだけなんだ。




そんなことが、一瞬のうちに自分の中で感じられて、


身震いをした。


受け入れがたい概念だった。


だから、いまだに覚えているのだと思う。





もうひとつ、覚えているのは、


悲しみが湧き上がってきたとき、


かさぶたが剥がれ落ちるような感覚を持ったこと。


剥がれ落ちるように、涙が出てきてしまって、


自分では、止めることはできなかった。




そのときに、思った。


かさぶたって、いつの間にできたものなんだろうって。


この震災で、できたものではないように感じた。


ずっと前からあったものが、その傷口をあらわしたかのようだった。


だけど、とにかく、もう二度と味わいたくないと思った。


剥がれ落ちると、ありえないくらい、悲しみが湧き上がってくるから、


そんな思いは、日常生活を送る上では、ありがたくない感情だったから。


とにかく、もう二度と、味わいたくなかった。




わたしは、その意味では、


ほんとうに、あの出来事を乗り越えてはいないのだと思う。


ただ、私がそれまで気づいてなかったことを、2つ、


あの震災は、教えてくれたのだ。


自分の根底や核心を揺さぶられる体験を通して、


わたしに、宿題を与えてくれた。




まだ、私の中に、悲しみや嘆きの感情が残っている。


だからこそ、この宿題を与えられたのだろうと思う。


深く、深く、流れるように、歩いていくことで


初めて、知ることができるものも、あるということを、


わたしはいま、なんとなく、感じている。



☆☆☆




今朝も、戦争の夢を見て起きてしまい、


死んでいった仲間を目の当たりにしていくような感じだったから、


ちょっと、鈍痛を感じていましたが、



一方で、


朝から、なんとなく、笑いの神の気配を感じていました。




まず、印鑑と朱肉を持ってきたつもりが、


ふと見ると、


リップカラーとリップブラシを持ってきていた。





パソコンで、


「芥川龍之介」と打ったつもりが、


アクタガワ チュウノスケ になっていた。




パソコンで、


渋田町(シブタチョウ)と打ったつもりが、


酢豚町(スブタチョウ)になっていた。





深刻になりそうな雰囲気だった時にかぎって、


笑いの神が、笑いの天使が、


笑いの魔法をかけてくれたみたい。




春ですね。(なんで!)




☆☆☆




今日は朝イチで石巻へ~(^^)


「ファインディング・ジョー」という映画を見てきました。


公式ホームページはこちら。


http://www.findingjoe.jp/




ジョーゼフ・キャンベルという人、


ただものじゃありません(笑)



今の自分の道のりに、ぴったりシンクロしていて、


違和感を感じることもなく、この道でいいんだな、と確信しました。


面白かったのが、


自分の中で感じていたこと、あるいはノートに書いていたことを、


映画の登場人物が、そのまま言葉にしてくれている場面が何度かあったこと。



たとえば、死ということについて。


肉体の死ではなく、今までの古い自分が死ぬ時期があります。


それは、自分にとっては痛みとして経験されるんだけど、


どこかでは、これで正解だったのだと、静かに知っている自分もいたりする。




ノートには書いていたし、ブログにも書いたかもしれないけど、


このあたりで、「死に続けることを選ぶ」という言葉がそのまんま出てきて、


そうそう!同じ感覚じゃん!って感じて、仲間意識を持った(笑)




言葉で言うと、スポ根的な響きや、犠牲的精神を感じる人もいるかもしれないけど、


全然、そんなんじゃないんだよ。


つーか、それに一番抵抗するのは、


ほかでもない自分の姿であることを思い知らされるし(笑)


さんざんもがいてあがいてぎゃーぎゃーいったあげく、


死ぬしかないことを悟る、みたいな感じ?(笑)




つまり、


このままの自分では、前に進めないことを悟ったとき、


今までの自分の価値観や、信念、観念、そういったものが、


一旦、投げ出される現象が起きる。


そうして、自分がしがみついていた信念や価値観から手を放したときに、


新しい自分が、そこにいる。


そんな感じ☆




それ以外では、自分が変わっていかないから、


もっと、自分自身を生きたいと願うなら、


かぶっていた仮面を、はがしていく過程を得る必要があって、


それが、度重なる、「内なる死」として、経験されるということ。




やっぱ、そう感じたんだ!と思って、


めっちゃ親近感を抱いた(^^)




あとは、ぶっ飛んだのが冒頭かな(笑)


わたし、ルパンとの交流何度か書いてるじゃない?


その中で、ルパンが唐突に、


「人の中にも、黄金が眠ってるって知ってたかい?」


って言ってきたことがあるのね。(2月19日のノートより)


そこで会話は終わっちゃったんだけど、


あ、このこと言ってたんだ、っていう話が、


映画の冒頭で、見事に出てきて笑ってしまった(笑)




人の中に黄金が眠ってるなんて、


ありがちな比喩だよね~、くらいにしか思ってなかったんだけど(笑)


ファインディング・ジョーの始まりに、その話が出てきて、


見ているうちに、なんて素晴らしい事実なんだろうと感激した。


出演者の一人、アラン・コーエンさんというベストセラー作家さんが、


そのことを話してくれていたんだけど、


映画のあと、なんとスカイプでハワイとつないで、


彼が生出演をしてくれました!


人柄がやわらかく、穏やかで、現代の賢人と言われていている彼ですが、


初めてお会いした印象は、まさにそのとおりでした。


平和と知恵とを体現したような、愛に溢れた方でした。


今度、一緒にディナーしたいです!(笑)




世界中に、同じような感覚を知っている人って、たくさんいるんだなあって思った。


そういう人たちとも、どんどん出会っていきたいなあ。


お互いに、時には喜びを分かち合い、時には励まし合ったりしながら、


自分の中の黄金を、世界に与えていけたらいいよね☆




☆☆☆





明日は、石巻に映画を見に行く~☆


いつもより早起きしてバスに乗る予定なのに、


いつもより、夜ふかしだよーん(笑)


バスの中で寝られるから、いいか☆



なんか、夜におちつかない時って、


布団に入る直前に、なにか食することに気づいた(笑)


ドカ食いではないんだけど、寝る直前なものだから、


朝の目覚めが、さわやかじゃない(笑)


なにか、あるんだね~。




今日、仕事の中でも出てきたけど、


「わたしは罰せられなければならない」


っていう信念というか、思いが、底のほうにあるね。


あ、あ、あ、出てきた、と思って、見つめたけど、


きっかけを見つけては、私は怒られなければいけないとか、


わたしは罰せられなければいけないというような状況を、


創り出そう、創り出そう、と、試みている、心の中の動きがあって、


ははあ、こうして自己破壊を実現していたのね、と、納得がいきました。





表面の私は、そんなの望んじゃいないのよ。


誰が怒られたいなんて思う?むしろ避けたいよ。


だけど、そうならなければならない、と信じている自分がいるんだね。


不愉快だろうがなんだろうが、ほとんど義務的に、それを選んでいる私がいて、


硬直しているというか、癒しが必要だな、というか、


とにかく、これに気づくことだなって思った。


自分にとって、全体にとって、最もよい選択ってなんだろうって、


そのことを、心に留めておくしかないよね。





そうそう、東京ディズニーランドの映像youtubeで見たら、


感動しちゃって、10年ぶりに行きたくなった!


今年で30周年みたいだし、わたしも一緒にお祝いしたい☆


春になったし、夢と魔法も広がっていくね!(^^)




☆☆☆





片付けアイテムを買ってみたり、


確定申告をやっているビルはどこだか探したり、


ブラリサイクルの紙袋をもらってきたり、


本屋さんで気になる本を開いてみたり、


限定色のリップクリームを探して買ってみたり、



ちょっとした事なんだけど、


やりたいと思っていたことなんだけど、


時間があるときにやればいいかな、とか、


別にやらなくても困らないし、とか、


なんとなく、で、先延ばしにしていたことを、


3つくらい、やってみた。



そうしたら、


地味に動き続ける動力が、回りはじめてるのを感じた。


その前は、ひたすら静寂に降りていった時期だった。


一日とか、そういう単位で観察することと、


数日とか、数週間とか、数ヶ月とか、


そういう単位で、観察するものとがあるね。





例えば、一日のうちで食べたものを観察すると、


偏ってない?とか、量少なくない?or 多くない?とか、あったりしても、


「食べるべきだ!or控えるべきだ!」なんて、頭に介入させずにほっておくと、


数日単位で、身体はちゃんとバランスをとっていたりする。


例えば、食べ過ぎた次の日は、ほとんど断食状態にもっていって、


少なめの食料と、割合としては生野菜を多く摂取したりしている。




ここで、頭が介入し始めると、


抜きすぎても良くない!とか言って消化いいものを摂取し始めたり、


とにかく、いろんなことを考えて、それを良かれと思って、


こうした方がいい、ああしたほうがいい、言ってくるんだけど、


それは、仕入れた知識であって、


実際、自分の身体と付き合って得た経験値ではないし、


たとえ経験値だったとしても、


身体の方が、過去のデータより適した、


「今」の身体のための、最善の方法を知っている。


だから、意外と、考えなくてもいいのかもしれない。食べ物に関しても。




頭が、どういうことに、おせっかいに口を出してくるのか、


観察してると、自分が執着してるものも、わかってきたりする。


食べ物とか、お金のこととか、非常に世俗的だけど、


生存本能に関わることは、やっぱり強いよね。


その実態がわかってきた段階で、ちょっと変化が現れ始めてるのも、


また、おもしろいことです。



☆☆☆