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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!




「孤独と不安のレッスン」という本を見つけた、


一人暮らしを勧めている部分を、パラパラと読んでみた。




私は、ものすごく一人暮らしに憧れてたけど、


今は、経験上、その孤独感を知っていることもあって、


どうせ暮らすなら、共同体のような、


周りに知っている人がいるところがいいな、と思っていた。




けれど、同時に、


孤独がもたらす恩恵も、確かにある。




今は、パソコンとかスマホを手に取れば、


お手軽に、孤独感を紛らわせることができる時代でしょ、


みたいなことが書いてあって


確かに、紛らわせることも、ごまかすこともできるなあと思った。




でも、癒すことって、できないよね。


どうがんばってみてもさ。




わたしは今、家族と同居しているので、


たとえ、自分の部屋にこもっていたとしても、


人のぬくもりがないという寒々しさは、感じないんだな。


おもしろいね。




だけど、それにかまけているところがあったんじゃないかなと、


ちょっと思ったりもした。




自分の内側に存在する、孤独感や不安感をダイレクトに感じていると、


自分の内側を見つめることが、必然的に多くなる。


けど、PCにしても、家族のぬくもりにしても、


何かしら、それらを和らげられるものがあると、


意識は、自分の外側へ向くようになる。




こうなってしまうと、


自分の内側から、すべてが始まっていく、という感覚よりは、


あれをこうしてこうしてこうすれば、うまくいくんだ、というように、


外側のものを操作することで、状況を変えることに焦点を当てがちになる。


まあ、これは私の場合だけど。




ほんとうの根っこや幹は、まず内側を観察することなんだけれど、


その根っこや幹をすっかり忘れて、あるいは見ないふりをすることに成功して、


枝葉の部分である、外側の現象をどうにかすることに、


エネルギーを使いがちになるのだ。





内側が変化するというとき、ふっと思い浮かべるのは、


レ・ミゼラブルの、ジャベール警部が橋の上からダイブ!しちゃうシーン。


ああいうことが、自分の内側で起こっちゃったら、


身体は死んでなくても、その人の観念は一回死ぬわけだから、


そりゃ、隙あらば、避ける方法を探すわな。





だから、油断してると、


自分の中で、出来事や感情に決着をつけないままでいたりする。


レ・ミゼラブルで言うと、何時間経っても、


ジャベール警部に、未だに主人公を追わせていたりする。


ジャベール警部としては、そっちの方がいいんだろうけど、


それだと、物語にはなんの進展もないんだよ。


逃げて、追って、躍動しているように見えて、


2人の関係性には、実はなんの変化も生じていない。


こういう状況が続くと、魂のレベルでは、しびれを切らすんだろうね。


変化が生じるような出来事を、2人の道筋に置き始めるんだ。


そんでもって、ダイブ!みたいな!(笑)




今日も、友達と話して感じたけれど、


物事や感情を完了させないまま、今の状況を長引かせるほうが、


実は、かなりのエネルギーを消耗して、自分が疲れてたりする。


けど、完了させるっていうのは、


出来事や感情の状態に、根本的な変化を加えることだから、


確実な変化を生じさせるという意味では、覚悟もいるし、


リスクも引き受ける必要があったりして、勇気もいるよね。


小さなことから、大きなことまで含めて。





すぐに結論を出せ!ということではなくて、


する、しない、をはっきり決断したり、


保留なら保留と、はっきり決めてあげることかな。


今の時点での自分の姿勢を、はっきり表明すること。


自分に対しても、他人に対しても。




何が言いたかったかというと、


「物事を未完了にしておくために、自分が隠れ蓑にしているものに気づく」 ということ。


物事を完了させることは、


なんとなくの状態は、できないから。




たとえば、仕事での決断はバッチリだけど、


自分のための時間をとることに関しては、後回しにしていたりする場合、


時間があればとるけど、それがないのだ!という正当な理由を盾にして、


今の状況を変えることを恐れ、長引かせているだけだったりする。


現状が、自分の理想とはかけ離れたものだったとしても、だ。




ちょっと厳しい言い方かもしれないけれど、


そういうことに、自分自分が気づいていかないと、


自分自身、何も変わらないまま終わるな、と思った。


私の目的は、変容していくことなのでね(笑)





その人によって、完了させているもの、させていないものは違うと思う。


そういうことに、自分が気づいていくと、


結局は、内側から、変わらざるを得ないから、


根本的な変化が自然に起こり始めて、


ダイブ!!できちゃうかも!!(笑)




☆☆☆






今日は、ずっと前から使いたいと思っていたファンデーションを購入!!


そして、ふらっと立ち寄った本屋さんで、書籍を購入!!


さらに、めったに入ることのないフォーラスで、グロスをチェック!!


他にも、先延ばしにしていたものを、片っ端から終わらせていったよ!!



あ~すっきりした!!



完了完了!!させていくのは気持ちがいい!!


今日はあと、英会話をして終わらせる!!




☆☆☆



今日の朝とか、顕著だったんだけど、


しなければいけないことじゃなくて、やりたいことからやっていくと、


エネルギーが回っていって、意外と時間も余ったりして驚いた。




先にまずこれをして、次にこれをやって、みたいに、


計画的に行動すると、確かに計画は果たせるけど、


もうひとりの自分が、欲求不満でストレスを溜め始めるね。




というわけで、やりたいことを、最優先でやろう、と、


考えるんじゃなくて、感じるままにさせてあげると、


動きが、川みたいにサラサラと流れていくんですね。




これは、逆説です!!




そしてこれは、ある程度エネルギーが回復した状態でやるのがベストかも。




というのも、疲れきっているときは、


今感じていることを感じてあげるだけのエネルギーが、残ってないからです。


とにかく、時間があったら休みたい。


あるいは、動きたくない、というときは、


丸一日寝ててもいいから、とことん休むことですな。


それも、身体の欲求や知恵かもしれないから。




そうして、身体感覚や、神経系が回復してくると、


今、自分が何を感じているのかを、


感じられるだけのエネルギーが、少しずつ戻ってくるから、


そこに素直になっていくことですな。


感じたことを行動しろというのではなくて、


感じていることを、ただ感じさせてあげるという、


ある意味、勇気と忍耐がいる、手放しもいる時間ですな。




つまり、自分の価値観と反することを、


実は、感じていた場合、


いや、そんなこと考えちゃいけないし、思っちゃいけない、


っていう反応をするわけですよ。




感謝するならまだしも、不満を抱くなんて、とか、


世間から学んだ道徳観に照らし合わせて、判断してしまうんだけれど、


その判断自体が、結局は、疲れている原因だったりするので、


どんだけ社会規範から外れた個人的感情であろうが、


ああ、あるのね、と流してあげてもいいじゃないですか。




抑圧が強ければ強いほど、


そういう思いを許してしまったら、一気に噴出しちゃうんじゃないか、


たとえば、休みの日でも生活きちんとしないと、っていう価値観の人が、


いや、一日寝ててもいいじゃない、っていう思いを許してしまったら、


それをしてしまったとき、ものすごい罪悪感を抱くのね。




だけど、それは、


自分の中の「これがあるべき姿」っていう、


強い観念によって生み出された罪悪感なわけであって、


その、あるべき自分の中の枠組みさえなかったら、


寝てたい日は、好きなだけ寝ておこうという選択を、


全くネガティブな感情を引き起こすことなしに、進んで選ぶことだって可能なわけで。




そして、一旦それを許してあげると、


どういうわけか、逆に、


動くためのエネルギーが、みるみる湧いてきたりもする。




要は、


どこで自分が、自分のエネルギーの流れを止めているか。



もっというと、


自分の中のどういう観念が、


自分のエネルギーの流れを詰まらせているのか、




それを、毎日の生活の中で、


観察しながら、実験しながら、気づいていくことが、


けっこう、今の、マイブーム☆




☆☆☆












今朝はカーテン開けたら牡丹雪が舞っててびっくり!


この季節に、牡丹雪?!


けど、妙にハイテンションになった私でした(笑)




休日が面白いなあと思うのは、


ぼーっとする時間があると、


普段自覚しにくい意識に気づかされることがあるってことかな。




今日は久しぶりにDVDで映画を見たんだけど、


PCの前でぼーっと見ていると、なんていうか、


仕事の日には出てこないモードが、出てくるんですね。


ああ、この感覚が、私が相反すると感じている感覚なのかなあ、


なんて思いながら、少し横になっていたら、


起きたとき、全く下半身に力が入らない。


きた、と思って、観察しながら動かしていたら、


なるほど、こういう形で出てくるのですね、


セクシュアルエネルギーについての抵抗が。




セクシャルエネルギーって書くと、


おそらく、拒否反応を示す方もいると思う。


わたしも、かなり保守的な家庭で育ったため、


ものすごい勢いで、こういうたぐいは無意識に抑圧してきた。




なんか、自分を着飾る装飾品のような感じがしていて、


誠実な付き合いというよりは、


駆け引きとか、ゲームとか、


女として、男としての魅力を武器に使うとか、


そういうイメージがあって、馴染めなかったの。





だけど、バリに行った時に、


滞在先の庭に出て、樹に抱きついていたら、


そこから、澄み切った喜びのエネルギーを感じたことがあって、


そのときに、ふと思ったことが、


セクシャルエネルギーっていうのは、男、女、というカテゴリを超えて、


「生命を創造するエネルギー」そのものなんだなあ、


っていうことだった。





男女関係に特化したものとして、


そのエネルギーは、私の中でカテゴリ分けされていたんだけど、


そんなことは、私を含めた人間たちが勝手にやったことであって、


本来は、生命を育み、新たなものを創造する純粋なエネルギーなのだと、


その日の朝の経験で、感じたんだ。




そのときから、セクシュアルエネルギーに対する私の見方が変わった。


たとえば、バリバリのビジネスパーソンと会うと、


バイタリティやエネルギーに満ち溢れていると感じることはない?


あれは、いい意味でセクシュアルエネルギーが活性化しているのだと思う。


生命力、創造性のエネルギーをうまく使えているっていうことは、


どんな困難や試練があっても、


腹を据えて、それらに向き合い、超えていくだけのエネルギーがあるということ。


結果として、男性として、女性としての魅力も現れてくることになる。




だから、逆に言うと、


腹を据えて、人生を歩んでいきたいなと思っている人は、


この、セクシュアルエネルギーに対する意識の抵抗やブロックを、


解いていってあげると、なかなかいいと思う。




じゃあ、どうすればいいの?ってところが、


私もずっと、手探り状態な感じだったんですが、


ひとつ、これは使えるなっていうのは、


腹式呼吸ですね。




へその下にある丹田という場所に意識をおけと、


日本の文化では、よく言われているけど、


あれは、頭に重心が置かれがちな現代文化にとっては、


その人の本来の特質を表現していくにおいては、大切なことだと思う。




腹で呼吸をするということは、


この丹田を打つ、ということになるわけです。


赤ちゃんって、みんなこの呼吸をしているわけです。


だから、あんなに無邪気で、かつ生命力に満ち溢れていて、


泣き声を上げようものなら、大人も顔負けの大音量をあげられる。




それが、大人になるにつれて、


胸で浅い呼吸をし始めるようになる。


いろいろなものが抑圧され始めてしまうから。


これでは、丹田に呼吸が回らない。


本来のエネルギーも、創造性も、


呼吸とともに、自分の中に押し込められたままになってしまう。




だから、日常的に、


意識して、呼吸を観察してみると、


自転車に乗っているとき、仕事で緊張しているとき、


腹は固くなり、胸が上下する呼吸になっていたりするから、


気づいた瞬間から、筋肉を和らげるなり、手や足を振るなりして、


身体の緊張を解放し、腹から呼吸をすると、


全身に、呼吸とエネルギーが満ち溢れていくのを感じるから、


日常的に、意識してみてください。




あと、服装的に、腰周りがタイトなものを着ていると、


腹が、十分に膨らむことができませんので、


楽に呼吸ができる服を選んでおくと、結局は自分が楽になりますね。




呼吸が解放されていくと、エネルギーも解放されていきますから、


馴染みのないエネルギーを内側に感じると、


え?!なに?!って、急いで封じ込めようとしてしまいますが、


そのまま深~い呼吸をして、開放してみてください。


何が出てきても、ただ、流してみてください。


こういう姿勢、態度っていうのは、


自分にとって、最大の冒険となりうるものですが、


その冒険に飛び込んだだけの価値は、


あとあと、わかってくると思いますよ。




困惑とか、つまりを感じた時も、


その調子で、流していてあげると、


実は、自分の中で抑圧されていたセクシャルエネルギーだった、


なんてこともありますから、


え?!そんな、わたし、こんなの嫌!恥ずかしい!なんてナンセンスですよ、


十分、楽しんでくださいな。




それも、エネルギーの一つに過ぎないのですから、


またひとつ、エネルギーを解放できた=使えるエネルギーが増えた


それだけのことですよ。


そのパワフルさに、驚くことがあっても、


また押し込めたら、また人生のどこかで、必ず出てきますから、


ノックが強くなる前に、扉、開いてあげたらいいじゃありませんか。





なんか、自分に語りかけるような感じになってしまいましたが、


エネルギーって、自分の中で眠ってるだけなんだってわかったら、


あとは、その鍵を開いていくだけでいいってわかったら、


なんか、楽になる気がするよね。


その鍵探しも、扉を開ける選択も、


その人にしかわからないし、することができないってところもまた、


完全に、自分が主人公の、ハリウッドもびっくりの、


最高の、冒険だ!!!



☆☆☆






そして朝活もする生活(笑)


朝、身体を動かしてから出勤すると、やっぱりかなり楽だ!


で、帰ってきて、さてさてまだまだ動けますよ!と動こうとしたところ、



「なぜ自分で全て管理しようと思うのか」ということを表すカードを引いてしまった。



ここで、仕方がないから、ノートに向かった。




動けるんだから、動いたっていいじゃんか。


なに、何もしないで寝てろってこと?



いろんな思いを胸に、書いてみた。



何を言いたいの?何を伝えようとしているの?


それを明確にして欲しい。




そういう意図で、書いていった。




わかってきたことは、


考えなくてもいいことにエネルギーを使い、


活動しなくてもいいことにエネルギーを使おうとしていることに、


気づいていきなさい、ということだったみたい。




そのとき、わたしがワクワクとPCで調べようとしていたことは、




ストレートパーマと縮毛矯正との違い


それらを行ったあとのヘアケアの仕方


パーマ等なしで、ストレートヘアにするブローの仕方




考えていたことは、



洗濯物たたもうか


夕飯のおかず買いに出かけようか


ホットペッパーでヘアサロン探してみようか


借りてきたDVD見ようか


とりあえず外に出ようか


家のことするか・・・etc。




こう書いてみると、


自由な時間がある=選択肢の幅が広がる


というわけで、


外に出ようが、家にいようが、なにをしようが、


何をやっても、とりあえず正解なわけで、



だけど、とりあえず、何をしようか、「考えてた」




頭が活動的に「考えて」いて、身体もそれに応じられる状態があると、


私はそれを、「心身ともに充実している状態」とみなしていた。




だから、「どうしてすべて自分で管理しようとするのか」というメッセージは、


その躍動感に水を差されたような感じがして、あんまり歓迎できなかった。




けど、確かにこう見ると、


やることはたくさんあるけど、やれることもたくさんあるけど、


同じ時間を使うんだったら、その源に働きかけることが先決だったかな、


って、ふと思った。




動けちゃうときって、動けてしまうので、


それなりに事がこなせる分、物理的な、目に見える達成が得られるんだけど、


おそらく、その状態ををよしとして、続けてしまっていると、


根本的な変容には、繋がらないんだなと。




その根本的な変化って何?って言うと、


ここにきてしまうと・・・いや、この領域に入って初めて、


あのメッセージが生きてくることになる。




どういうことかというと、



自分の頭で、流れや計画をコントロールする類のものではない



のだ。





日常生活のモード、リズムで生きていると、


この感覚は、とても受け入れがたいというか、


はっきりいって、めんどくさく感じたりする。




だって、コントロールできないものを、コントロールする方向で、


私たちは、世界を作ってきたわけだから。


そして、ほとんど無意識に、そのリズムの中で生きているわけだから。




相反するように、感じるのだ。


この、源のリズムは。




だから、なんにもしないでとりあえず寝るとか、


私の日常の感覚からすると、「時間の無駄」に感じられるんだけど、


身体(地球のリズムと叡智を未だ宿しているもの)とか、


源(我々が持つ本来の生命力、叡智、エネルギー、想像力など)にとっては、


それは、れっきとした価値のある時間であって、


すべてのプロセスの流れの一部に過ぎない、というところがあって、


その価値や影響を、経験上知っている私は、


すごすごと、その優しい提案にうなずくしかないという、


そんな、二つの価値観の共同生活ですね。




で、寝て起きたあとに、果報が待っている時もある。


こないだは、臨時収入1万5千円が待っていた(笑)


非常に俗っぽい例だけれど、


古くからの言い伝えって、意外と的を射ているかもしれない。




あれ、何にもするなってことじゃなくて、


十分にリラックスして、生命のリズムとの波長をあわせることで、


すべてがうまくいく流れに乗って、あとは委ねろってことなんだろうなあって。




たとえばさ、欲しいモノがあると、


活動的な時の私は、早速買いに行きたい!と動き回るんだけど、


ゆったりした「呼吸」の中で生活している時って、


ふと、入ったお店の中に、ぴったりの商品があったりして、


探す必要も、わざわざ買いに行く必要もなく、


用が足せてしまったりするんだよね。




「探す必要」も、「考える必要」も、本来は、ない。


なのに、探し、考えることにエネルギーを無駄遣いしないように。


そんなことを、言われている気がした。




といっても、縮毛矯正の件は調べましたけどね(笑)




んなこと言ったって、全部待っててもあかんでしょう、


自分が動いていくところもあるでしょう、と思いつつ、


そのあと、観念して、ぐっすり寝ましたよ(笑)




爆睡して、びっくりしたけどね。



しっかり、地に足をつけながら、


動くところはしっかり動いて、委ねるところは、ゆだね、


生命のリズムから外れていたら、それに合わせることを優先しながら、


源と結果、内側と外側、どちらにも、存在している生き物でありたいな☆




☆☆☆