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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!




昨日、あんなことを書いておきながらなんだけど、


やっぱり、ブログ、毎日は書かないかも!!




いつだったか、


ブログを30日間連続で書く!っていう目標を立てたことがあって、


なんでかっていうと、


30日間連続で何かをすると、とても効果があるらしいということで、


なにをたくらんでいたかというと、


書くこと=瞑想=実質的な変容をもたらす道具


だったので、


書き続けることで、人生変わっていくんじゃないかなっていう、


ちょっと覚悟のいる思いがあった。





あの時から、3ヶ月ほど経って、


毎日書いてたわけではなくても、


私の生活や意識にも、確かに変化が出てきて、


やりたいことも、いっぱい出てきて、


一日の時間を、どんなふうに使おうかな、と思ったときに、


逆に、空白の時間を作る必要があるな、と思った。




何かをするための時間ではなくて


何もしないための時間を




何かをしてもいいし


何もしなくてもいい時間を




こういう空白の時間が、


深い変容を経験するにおいては、


かなり、大切な時間になることを、感じ始めていた




今までも、作っていはいたけれど、


これからは、もっと、大切になるな、と。




というわけで、


ブログ30日間計画は、


いったん、休止します。





能率主義の現代人らしく、


いくつかの同時進行を試みたりしてたんだけど、


そういう手っ取り早さが求められる世界じゃないのね。


自分の意識を見ていく旅になるから、


いっこずつ、丁寧に、何度でも(笑)、


無理やりでもなく、強制的にでもなく、


自然に無理なくやれる状態ができてきて、


気がついたらできてた、ってな感じで、


クリアしていくしかないみたい。




だから、時が来たら、


ブログも、30日間達成してると思います。


そういう時期に、なったらね。


(いつのことだかはわからないけど!!)




あれもこれもやろう、としがちな私ですが、


かと思えば、


あれもこれもしない、と言いがちな私ですが、



ええ感じで、


ゆるりと油断なく、歩いていきたいと思います!




ではではまたね☆



☆☆☆






GW中ブログ書いてなかった!!


今気づいてびっくり!!


どんだけ満喫してたんだ!!(笑)






書くっていうことは、瞑想の一つ


だと、私は思っている。



私の使っている手帳に、


書くだけで、80%位はなんとなく叶ってしまうという理由から、


書くだけ80%の法則、という言葉があるけど、


書くって、魔法だ。




だから、ブログを書かない日があるたびに、


瞑想を、放棄したな、って思ってる。




そう思うと、確かにそうなんだよね。




なんでこんなことを書くかというと、


今まで、ショートタイムの勤務だったのが、


下旬ころから、フルタイム勤務になりそうなので、


そうなると、時間的に、一番最初に削られる可能性があるのが、


ブログだったからです!(笑)




一日中、パソコンに向かい合ったあとで、


また、家に帰ってパソコン開くだろうかという、


真っ先に、布団に突っ伏すんじゃないかという、


(ブログが飛ぶ理由の殆どはそれなんだけど笑)


そんな可能性があったので、




私にとってのブログの意義、再確認でござ~い。




ノートは、私の中の探求の場。


ブログは、その探求を外へ表現できる場。




ただ、発信するには、それなりにエネルギーがいるからな。


気力と体力、回していけって話かな。やっぱり。




初心に帰れ、初心に。


書くことで、劇的に生活が変化していっただろう。


一日ごとに、その変化、顕著に感じていただろう。




だからこそ、効果があるからこそ、


使うこと恐れてるとこあるんだろうけど、


使っていかないと、腐ってくだけだからね(笑)


結果引き受けるの自分なんだから、そこを考えて選択しなさいよ。




(・・・あたしは近所のおばさんか?笑)




結局、今にいるしかないわけだから、


揺れたら、今に意識を戻すしかない。


未来も過去も、ここにはないわけで、


今が過去になり、今が未来を創り、


今、今、今、の連続、それだけだから、



っていうところに、気がついたら、戻ること。



この姿勢、今の季節、いい仕事してくれてます☆



☆☆☆






毎日ノートやブログを書いてると、面白いことに気づく。


だいたい、同じようなことを、言い聞かせているんだ。


軸に戻れとか、中心に在れ、とか。


これが何を意味するかというと、


それだけ、外側のことに意識を巡らしている時間が多い、


ということなんですよね。





そして、それに気づくようになったこと。


ここは、進歩ですね!パチパチパチアップ





ところで、午後の紅茶を買ったら、


ホテルミラコスタに30連泊できるというキャンペーンがあった。


一ヶ月じゃん!!びっくりだよね!!


ディズニーのホテルに一ヶ月泊まってたら、どんな気分だろう・・・。


想像してみた。




まず、仕事に行くことないでしょう?


朝食も、出てくるみたいだし。


一ヶ月の生活費は、心配しなくていい。(食費以外)


最高級の美しい部屋で、


外の景色を楽しみ、ディズニーランドに繰り出し、


朝には熱めのシャワーを浴びて、


夜にはゆっくり半身浴を楽しんで、


それが、30日間続いたら・・・?




・・・わたし、イメージできなかった。


空白の時間がありすぎて。


あることに追われて、それらをこなす生活をしていると、


何もしなくていいよ、すべて用意するから、と言われたとき、


何をしているのか、想像がつかない。





でも、これっていいヒントかも。




たとえばさ、100万円があったら?って言われたら、


旅行に行って、美味しいもの食べて、服買って、


くらいで使いきれるじゃない?




だけど、もし、


ほんとうに、大富豪と言われる存在になって、


プライベートジェットも、普通に持っていて、


島の一つや二つも、普通に持っていて、


何十億というお金、自由にいつでも使えますよ、ってなったら、


どうする?




逆に、それって想像つかなくない?




なんかさ、生活に自分を追わせてると、


生活のことを考えるために、人生を費やせてしまうのよ。


だから、夢なんて考えてる暇なんてない!なんて言ってられるけど、


もし、なんにもしなくていいよ、働かなくていいよ、


欲しいものは全部、あなたのものになるから、って言われたら、


どんなダイヤも宝石も、土地も、モノも、なんでも買えちゃうから、


見せびらかすために、自分の価値を高めるために、


お金をつぎ込むことすら、もう無意味になってしまったら、


わたしたちは、なんのために、存在しようとするんだろう?




はい、あなたの望むものは、なんでも手に入ります!


って言われたら、


お金をどんなにつぎ込んでも得られないものに、


逆に、意識が向くような気がした。





だって、外側に望むものが、もうないんだもん。


物欲的なものは、もうゼロ。



だとしたら、次は何を望む?っていう問いも、


私は何を欲しがっているの?っていう問いも、


私はこの人生で何をしたいの?っていう問いも、




今度は全部、自分に向かってくる。





答えは、外側にはない。


だから、結局、自分に行き着くんじゃないかな、って感じた。





そんな妄想を、一通りやってみたら、


ミラコスタ30連泊、いいかも!って思った。


だって、軽く海外旅行みたいなもんでしょ。


30日間も、夢の国のホテルに滞在してたらさ、


日常生活の中では感じられなかったことが、


たくさん、感じられていくんじゃないかなって、


それって、面白そう!って思った。




そういう経験も、時間も、


自分を育んでいく上では、大切なことだよね☆



☆☆☆







過去に捨ててきたものを、拾いなおしていく旅





故意に捨てたわけではなく、


諦めざるを得なかったこと。


その時期には、叶うことがなかった自分の思いを、


もう一度、見つめ返すこと




今だからこそ、見つめ返せることがあり、


今だからこそ、その背景を知ることができ、


今だからこそ、その思いに「完了」を、告げてあげることができるから。




過去の自分の出来事や、姿が、


何かの拍子に、ふと、思い出されたら、


それは、きっと、「わたし」からのサイン。


「まだ、終わっていないよ」


「まだ、残り続けているよ」


そのことを、知らせるための。




どうやって終わらせようかなんて、


考えることは、ないんだ。


もうひとりの自分は、


既にシナリオを用意しているから。


そのシナリオが、目の前で展開されていくことを、


「わたし」が、許せばいいだけ。





文章で表したら、なんて簡単なこと。




その単純な出来事の背後で進行しているであろう、


何千という単位での物事を、


私は識別することはできない。




けれど、知覚することはできる。




知らず知らず、誰もがそれらを感じているように。





わたしは、だれ?


答えようのない、そんな問が浮かんでくるのは、


こういう時間の特徴だ。




そして、その問が、


たとえようのない不確かな空間へと


私を放り投げることも




すべてのアイデンティティが、


すべての名前が、


すべての経験が、


すべての認識が、


すべての意味が、


すべての感情の原因が、


自分からはがされていったら、




わたしは、何になるのか


わたしは、何なのか


わたしは、存在しているのか


わたしは、わたしとは、何を意味しているのか




すべてが、空に帰す




そんな、足元を揺るがされる意識の旅へ


誘われているのかもしれない


わたしたちは、ひとりひとり


その人なりの道を歩みながらも


同じ道を、歩んでいるのかもしれない


使い古された言葉かもしれないけれど





こんなことを、感覚としてふと感じるとき、


こういう時間が、もうひとつの自分を


育ててくれているような、そんな気がする。


「わたし」という枠におさまることのない、


わたしという存在の顕現を。




☆☆☆








鳴り止まない音楽の中でこそ聞こえる静寂に耳を澄ます





そこが、中心だから


そこに、在ればいい


それだけで、すべてはなるようになる





理由は、わからないけれど


そういうもん、なのだ





そこに在ることを、選択するか否か


私に与えられている選択肢は、それだけなのだ




そこに居続けることは、冒険。


だから、そこから離れようと試みる。


その方法は簡単。


外のものに、意識を向ければいい。


食べ物、TV、PC、家事、仕事、


考える必要があると思っていることを考えること、など




そうして、流されていくだけの日常に戻ればいい


そうすれば、そこから、逃げられる


流されていく日常継続希望届けの提出





ただし、癒されることはない


そこに在ることを、選ばない限り


その先にあるものも、わからないままだ


そこに在り続けることを、選ばない限り





嵐のど真ん中にいるような感覚だ


だから、その中心にいればいいのだが、


すべてを観察する立場にいるよりは、


「見るべきものは見つ」なんて言う立場を選ぶよりは、


その中に巻き込まれて、討ち死にしちゃったほうが、


実は、楽な場合もあったりする。


巻き込まれて、犠牲者である方が、


どうにもならないことが明白な状況においては、


選択しやすかったりする。




ただ、


さあ、日常に自分を巻き込ませようよ、って試みてみても、


すでに遅い場合が、ほとんどだ。





ポイント・オブ・ノー・リターン





選択肢は二つ


見ないふりをするか


その中心に在るか





見るべきものは見つ


自分の中に、封印してたものを


それだけのことのはずなのに


こんな胸騒ぎがするもんなんだな





電流が身体の中を、かけめぐっている感じ


常に感電しているような感じ


しかもその電流は、寒さを感じさせる


夏に流れてくれたら、エアコンいらないな!




なんか書いてたら、楽しくなってきた


この感覚と、一緒にいたらいいんだよね


自分がどうなってんのかわかんないけど、


考えてもわかんないから、その先に行ってみるしかない


た・の・し・み・だ☆



☆☆☆