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わかったことは、
私たちは死について学べば学ぶほど、
もっと深く、『生きる』ことについて考え出すようになる、
ということよ。
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(五日市剛 「なぜ感謝するとうまくいくのか」より抜粋)
これを読んだとき、ハッとした。
私の人生って、うまく仕組まれてたんだ、と思ったからだ。
「死」が初めて目の前に訪れたのは、3歳の時だった。
大好きだった、母方のおばあちゃんが、亡くなった。
今はなき、母方の実家に着くと、なぜか車がたくさんあって、
「お客さんがいっぱい来てるんだね」と、何も知らない私が言い放った瞬間、
車内がしん、と静まり返ったことを覚えている。
奥の部屋に行くと、おばあちゃんが寝かされていて、
母親が、突然号泣しだして、
おじちゃんが私に向かって、
「おばあちゃん、いなくなっちゃったの」と言った。
おばあちゃんが、いなくなっちゃった。
目の前に寝ているけれど、もう動かないらしい、
ということが、なんとなく、肌で感じられた。
・・・けど、なんで、いなくなっちゃうの?
その理由が、わからなかった。
たぶん、いまだにわかっていないと思う。
なんで、大好きなのに、いなくなっちゃうの?
どうして、みんなをおいていなくなっちゃうの?
なんで、そんな必要があるの?
みんなで、一緒にいたらいいのに。
わからなかった。
教育テレビの番組が最終回になると、
「終わるっていうことは、このあとみんな死んじゃうの?」
と母親に向かって言い放ち、わんわん泣いた。
アニメが最終回になると、
「やっぱり、みんないなくなっちゃうんだ」
って、悲しい気持ちになった。
たぶん、これが、私にとって最初の、
「死」に向き合った経験だったんだと思う。
それから9年後。
一緒に暮らしていた、おじいちゃんが亡くなった。
わたし以外は、みんな病院へ泊まり込んでいて、
わたしは、家で留守番をしていた。
昼頃、電話が鳴って、亡くなったことを父親が知らせてくれた。
テレビでは、つぶやきシローがバラエティー番組に出ていて、
わたしはそれを見ながら、「あーわかった。しょうがないね。はいじゃあね」
そういって、そのまま日常モードを続けた。
わたしは、なんでこんなに何も感じないんだろう。
人がひとり、亡くなったっていうのに。
わたしって、冷たい人間なんだろうか。
それとも、こういうことに慣れていて、もう平気なのだろうか。
幼稚園の時から、入退院を繰り返していたおじいちゃん。
わたしが「えびす顔」と呼んだ、はちきれんばかりの顔で笑ったおじいちゃん。
意識不明になる直前、「ありがとう」と、
最後にその笑顔を私たちに贈ったおじいちゃん。
泣こうと思えば、泣けるんだろう。
だけど、そのときは、テレビをつけたままで、
なんでもない、いつもの昼下がりの中に、いつものように、そこにいた。
それから8年後。
予備校時代を経て、大学に入学した私は、
哲学の講義で、ペアでプレゼンテーションをすることになった。
私たちが選んだのは、「死」に関係することだった。
相手は、亡くなった時にかかる経済的な費用についての発表をした。
わたしが発表したのは、「生きる」ことについてだった。
教授としては、同じテーマを二人が取り上げることで、
そのテーマをより深く掘り下げていくことが目的だったらしく、
その旨を言われた後、まあいいでしょう、と笑って締めくくられた。
わたしは笑いながらその感想を聞いた。満足だったのだ。
論評がどうであれ、私の中で、突破口が見えたことが嬉しかったから。
「死」をテーマにどんなことを書けばいいのか、考えを巡らせているうちに
死のみを、純粋に取り出せないことに気づいた。
死という現象のみを、純粋に取り出そうとするのならば、
心臓の鼓動が止まり、呼吸が止まり、といった、
生物的な機能の終わりを意味するのだろう。
けれどこれは、医学的な講義のプレゼンではない。
私が語ろうとしている「死」って、なんなんだ。
そのとき頭の中にあったのは、
死に至るまでの、人の生き様だった。
・・・死は、生の結果なのだ
だから、生の結果としてみない限り、死を描くことはできない。
逆に言えば、死について語るということは、
生について語るということと、同じことなのだ。
そのことに気づいたとき、私の中で、反転が起きた。
「死」というテーマから、「生きる」というテーマへ、
焦点が、自然に移行していったのだ。
陰と陽とは、こういうことなのだ。
どちらか単独で成り立つことはできず、
相反するようでいて、実はお互いの存在を支えあっているもの。
プレゼンを作る過程を経て、私の中で得た気づきだった。
それから、3年後。
わたしは布団の中で、動けずにいた。
天井を見たまま、もう3時間ほど立つ。
自分の体なのに、自分で動かせないって何?
思考もぼんやりとしたままで、セミの鳴き声だけが聞こえてくる。
あの後、私は大学をやめて、就職することにした。
大学中退、民間への就職、そして関東での一人暮らし。
わが佐藤家ではNGだった事柄をことごとく、一週間でOKにしてしまった。
就職した先の上司は能力もあるし優しくて、
新人の私はとにかく頑張ろうと、元気と気力だけで過ごしていた。
なのに、身体の方が、ストライキを起こした。
気持ちと頭とからだが、バラバラに動いていた。
自分の体なのに、自分で動かせないって何?
大きな病気などしたことのない人間が、こんな状態になると、
自分の身体は、自分の意志で動くものではないらしいと思うようになった。
つまりは、どんなに生きたいと思っていても、
死ぬときは、死ぬ、ということだ。
もし、このまま朝になっても目が覚めなかったとしたら、
私は今夜、何をするだろう?
そう感じたとき、頭の中に浮かんできたことは、
今まで会った人全員の、笑った顔だった。
その光景が、私を幸せな気持ちにした。
あれ、結局こういうことなの?
生活費を稼ぐために仕事に励むことでもなく、
いい成績をあげて周りから賞賛されることでもなく、
明日もう、目が覚めなかったら、と思ったときに浮かんでくることって、
今まで会った人全員の、笑った顔なの?
それが、死ぬ前の私が望む光景なの?
上の2つは、わたしが「とても重要」なことと考えていたものだったが、
生や死という感覚の前では、それらは遥か彼方へ飛んでいってしまった。
生きていることが当たり前ではないと知ったなら、
生きている時間を、どんなふうに過ごしていきたいのか、
それが、重要になってしまうからだった。
それから、3年後。
2011年3月11日、大震災が起きた。
母の実家は、町ごと流されてなくなっていた。
うちから車で10分の海では、震災から2、3日の時点で、
200~300の遺体が浮いている、との情報が入った。
なにも、情報が入らないうちは、サバイバルモード全開だったけれど、
ポツリポツリと情報が入り、鳴り止まないサイレンとヘリの音の中で、
感情的な動揺が、あらわになり始めた。
かさぶたが剥がれ落ちて、一気に血があふれれ出すような悲しみだった。
その感情が、どこから湧いて出てくるのかはわからなかった。
ただ、理由もなくどうしようもなく、悲しかった。
なんで、こんなことが起こらなくちゃいけないの?
なんで、人は死ななくちゃいけないの?
小さい頃に抱いた古傷が、一気にその存在を主張するかのようだった。
こう振り返ってみると、意外とコンスタントに、
人生はわたしに、一貫したテーマを与え続けてきてくれたんだなと。
ところどころで、古傷を蘇らせてくれたり、
今の自分ではどうにもならない状態を経験させてくれたりすることで、
気づかなかったこと、気づきたくなかったことに、
(ときには無理やりに感じられる方法で笑)気づかせてくれたり、
私が抱き続けてきた答えを、自分で見つけられるように、
概念と経験とを通して、人生を導き続けてきてくれたんだと。
ブログでも散々、「信念が死ぬとき」とかなんとか言って、
精神的な死について、結構書いていたことにも気づいた。
だけど全部それらは、生につながっていて、
わたしは結局、「生きる」ということについて、
考えつづけて、いや、考えさせられてきたんだな、と。
・・・・・・・・・感動しました。
人生よ、ありがとう!!
結論に至るまで、随分長々と書きましたが、
私にとって、いい振り返りになりました(笑)
人生って、うまくできてる!!
ありがとう!ありがとう!”ありがとう!!!
☆☆☆