THE CLEARING DAY -22ページ目

THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!



このブログを書き出すまで、2時間くらいかかった。


書こうとしてPC開くのに、


全然関係ないことをやりだしたりして、迂回して避けて忘れようとする。




・・・こういうときは、ジュリア・キャメロンの本を引っ張り出す。


ぱっと開いたページに書いてあった言葉。




「影のアーティストは自分に厳しく当たり、


 夢の実現に向けて努力してこなかったと自分を責める傾向がある。


 創造性を育むには、養分が必要であることを思い出してもらいたい。


 影のアーティストは、十分な養分を受け取ってこなかったのだ。




 影のアーティストが影から日なたに出てくるには、


 自分自身の熱い思いを正面から受け止める必要がある。


 あせらず着実に努力することで、


 自分の中の幼いアーティストを、養い育てなければならない。


 創造性は遊びである。


 しかし、影のアーティストにとって、自分に遊びを許すのはたやすくない。」




わたしの影のアーティスト、というのは、


わたし自身が否定してきたわたしの姿、そのものだ。


どんな呼び方であっても構わない。


それを潜在意識と言ってもいいし、右脳的な発想と言ってもいい。


それを否定するきっかけとなったのは、周りの反応かもしれない。


けど、最終的に、どういうわけか、


わたし自身が、私の前に立ちはだかっていて、


無言で、態度で、「そんなことやめなさい」と、


優しく、やんわりと、気づかないうちに、


私の中にある、開かれなかった扉をノックする気力を


知らないうちに、あらゆる方法を使って、そいでいく。




なんとなく、鬱々としている、この感覚が、


そのサインであることが、わかり始めた。



それでブログを避けていたのかな。


そのからくりを言語化してしまったら、


暗闇で、これ以上動き回ることができなくなる。


イコール、この戦法が、効力を失うことになるから。




私の一番の敵は、わたし自身だ。






こんなこと書いていると、


世の中の例え話の意味が、腑に落ちてくることがある。





神と悪魔の戦いっていうのは、よく知られた話。


けど、小さい頃、私思ったの。


神様って、なんでもできるんでしょ?


戦うって・・・




・・・あんた、何、てこずってんの?!?!?!


何天使とか総動員させてんの?!?!


一瞬で吹き飛ばせよ!!!!!


それでもお前、神か?!?!?!




小さい時は、矛盾した話だなーと思ってた。


コイツ信じろって言われても、なんか胡散臭いよねって感じ?




だけどさ、悪魔って、実は神だったんじゃね?


ぶ・ん・し・ん☆




良いことをしよう!とかいうそいつの前にドデーンと立ちはだかるのは、


実は、ほかの誰でもない、そいつ自身。




だけど神さま、立ちはだかられちゃったことにびっくりしちゃって、


え?!あんた何者?!ちょっとなんで邪魔するの?!


チョー邪悪じゃないあんた?!どっからわいてきたの?!



・・・で、得体の知れないやつに付けた名前が、


「悪魔」



名前をつけた瞬間、それは名前通りの働きをする。


けどそのことをすっかり忘れちゃった神様は、


ほら!やっぱり邪悪な存在なんだよ~!!


天使達、得体の知れない邪魔する奴がいるからなんとかして!!


みたいな感じで、そいつと戦い始めちゃったみたいな。




結論。


大勘違い。


それ、あんたですから。




だからおそらく、神様と悪魔って、融合できるんじゃね?


あれ、あんたあたしだったの?!って気づいた時から、


じゃあ、ばらばらになってる必要ないよね、って話になって、


どうしたら、お互い協力し合っていけるかなあ?


どうしたら、お互いわかりあえるかなあ?


うふふ あはは えへへ



やってるうちに、なるようになってくんじゃね?




そしてもうひとつ、よく知られた言葉。



「神はご自分に似せて人を創造された」





ってことはだよ。


神様とおんなじこと、やってるってことじゃね?





つまり、あーいう話は、伝説とか神話とかではなくて、


わたしたちが気づかずに日々やっている意識のからくりについて、


謎解きをするために、作られた話なんじゃね?




宗教っていうのは、なにかを拝むための組織じゃなくて、


ひとりひとりの意識の深奥を読み解き、分け入ることを支えるための、


古代からの、知恵の集まりなんじゃね?




だから、神話のたぐいっていうのは、


内側での経験を通り抜けることによって、


初めて意味が見えてくるようなものが、多いのかもしれない。




全部、一人芝居。


ならば、あばいてみよう、一人芝居。


悪魔と名付けたものの、正体を。




☆☆☆




久しぶりに書こうっと☆☆




今、ヨガ帰りです。


本当に気持ちいい☆☆


2年ぶりにクラスに参加してるんだけど、


身体も精神も、きらきらしてくる☆☆




そして今朝は、写経をしました。


これまた久しぶり。


家でひとりで一時間以上かけて完成させるんだけど、


これって、どっかに奉納とかしたほうがいいの?


と思い、仙台市内のお寺をググッてみた。



出てきたお寺は、「輪王寺」



北仙台駅の近くなんだ!行ってみよう!


というわけで、私の誕生日はここで過ごすことに決定☆




来週の27日で、28歳になります☆


ヨガとか写経って、今日のブログに出てきたワードは修行っぽいけど、


私を知ってる人はご存知のとおり、


わたし自身の生き方や考え方は、


けっこう自由奔放です☆




そうそう、空を飛ぶ予定もあるの!(笑)


春頃から、佐藤家は懸賞がよく当たりましてね。


わたしも今年に入って2回目の当選です☆


今回は、何が当たったかというと、



・・・なんと、パラグライダーの体験ができる!!!


・・・一度やってみたかったの!!!



今年中に、大空へと羽ばたこうと思います!(笑)


ではみなさま、よい夏を~☆




☆☆☆









そして、瞑想などやってみてしまうと、


おおいに、情緒不安定になる私(笑)




だから、距離置こうとするんだよな。


なんでって、揺さぶられるから。




瞑想したら、精神統一とか、リラックスとか、


そういう状態になるんでしょ?




そう言われたら、わたしは、


「瞑想とは、空白の時間と空間である」


そう、伝える。




答えになってないのはわかる。


禅問答のようだ。


でも、禅問答っていうのは、


マインドの罠をすり抜けた、右脳での会話のこと。


その時発せられた言葉を、右脳を使ってとらえられれば、


答えは、見つかったりもする。




空白っていうのは、無に近い感覚かな。


つまり、あらゆる可能性が立ち現れることのできる状態を、


意図的に、作っているということ。




だから、デトックスの内面バージョン、具体的に言うと、


古傷になっていた感情のヒーリングとか、


溜めていた怒りの表出とか、


そういうことも、起こってきたりする。




身体の自浄作用と一緒で、


瞑想は、意識の自浄作用を促す。




経験上、そう感じまする。




そして、日常生活においては、


「観察する」という姿勢そのものが、


瞑想的な働きを、もっと意識的に行ってくれる。




日常生活をしている時の、


自分の頭の中で起こっていること、


自分の心の中で起こっていること、


自分の身体の中で起こっていること、


に、気づく。



これは、飽きないよ。




最初は、頭と、心と、身体を、


「観察」するとこに慣れていないから、


それと一体化しちゃってるから、「見る」ことができない。




「見る」っていうことは、


距離を置かないと、できないのだ。


自分が怒りになっているときは、


怒りはそこにあるのに、


それを見ること、気づくこと、


それを真に感じることはできない。



逆説のようだけど、


それを「見る」状態、観察している状態があって初めて、


それを真に、細胞の隅から隅まで、


「感じる」ことが、できる。




これも、経験上そう感じまする。




そして、この感覚というのは、


自分で、身につけていくしかない。




ほとんど感情を感じないように、


理性で自分をコントロールできる状態に、自分をとどめておくこと。


それが、「観察している状態」であることだと、


わたしは以前は、思っていた。




だから、「見る」「観察する」なんて、


なんて冷めた態度、生き方なんだろうと思ってた。


人間じゃないじゃん、そんなの、って思ってた。




だから、わたしは人間らしく生きようと思った。


理想の自分を演じるなんて、どだい無理な話。


笑ってる自分もいるけど、どす黒い自分もいて、


どっちも自分であることを認めることでしか、


その先には歩いていけないことを思い知らされていたから。




その選択が、よかった。





自分から湧き出てくる、いろんな自分の姿。


それは、止められない。


だから、湧き出させるしかないけれど、


それに巻き込まれてしまう自分がいた。


巻き込まれて、一番苦しむのは自分だ。




だから、どんな状態になっても、


そのど真ん中で、台風の目のように、


嵐の中心で自分を保っていられる方法を見つける必要があった。




その方法が、「観察」という態度だった。




どんな自分が出てきても、


どんなに荒れていても、


それらを無判断で見つめ続ける自分を、同席させる。




この態度は、瞑想のあり方そのものだと思う。


・・・なんて大口叩いてるかな?(笑)




これって、日常生活だからこそ、使えるんだよ。


煩雑に思える生活の中でこそ、自分がわかってくる。


これほどおもしろい冒険って、ない。




でもって、今週末は、


素晴らしく、この瞑想の時間をとってしまった。


そういうわけで、こんな時間にブログを書いています(笑)




時には、嵐のど真ん中での灯台となり、


時には、嵐そのものを表出させてくれる、


そんな、あらゆる役割を喜んで果たしてくれているのが、


この、瞑想ってやつなのかな。


いい仕事、してくれてますね~!!!



☆☆☆





ひっさしぶりのブログだな~(^^)



おかげさまで、空白の時間、


満喫していましたよ(^^)




以前ブログでも書いたとおり、


空白の時間っていうのは、


何もしないための時間のこと。



何かをしてもいいし、


何もしなくてもいい時間のこと。



お風呂に入ったあととか、


朝、早く起きた時とか、



あらかじめ「やっておいたほうがいい」ことを、


無意識に自分の中でリスト化していることをこなすために、


時間を 「使わない!」




あえて、なにもしない。



そうすると、無意識と言われる部分が、


おそらく、右脳が、活性化されるんじゃないかな。


考えることが、少なくなっていきますね。




考えなくても、体が動いてたりするんですね。



たとえば、日常の左脳モードだと、


あ、洗濯物たたんで、その間にもう一回洗濯しちゃおう、


とか、一回頭の中で考えてから、行動しがちなんですが、


頭を空白にしているとですね、


洗濯物たたまなきゃ!とか「思わなくても」、


体がもう、洗濯物取り込んでたりとか、


いやだいやだとか思っているはずなのに、


結局、部屋の掃除してたりとか、


そういう感じになってくるんですね。



楽ですよ。



そういうモードに、自分を導いてもらうといいですね。


頭では、感情では、やりたくない!やる必要があるの?!とか思っていても、


空白モードになると、やってくれていますからね。



これが、右脳と左脳の違いなんでしょうかね。



よく、男性性と女性性の統合とかいうのは、


この、二つの脳の統合のことなのではないかと、


感じるようになりましたね。






今、私の中で何が起こっているかというと、


あなたの中の深い意識を、静かに見ていきましょうね、とばかりに、


生活にシンクロにシティを起こし続けている部分と、


そんな流れに大いなる恐れを感じて、


「お金」や「お金」や「お金」を理由に、「できない」「できない」「できない」!!!


と、ほとんど悲鳴のように叫び続けている部分がありますね。




いや、別に新しい靴買えばいいじゃん。


いや、別に久しぶりに東京行けばいいじゃん。


いや、別に久しぶりにタイマッサージ習いに行けばいいじゃん。




ホントの理由は、お金じゃなくて、


それによって、自分が揺さぶられる可能性があることを、


どこかで感じているからなんですね。




何をどう揺さぶられるのかさえ、ホントにはわからないんだけど、


とりあえず、安全地帯から放り出される可能性があるわけですから、


必死に、それを回避しようとする心理的な安全装置が働くんですね。


「変化」を回避するために。




こういう、変化の波に入っていく時期っていうのは、


実際に、体がガクガク震えますね。


人生は、このうえなく的確でピンポイントな、


その人の成長にあった状況を運んできてくれますから、


そういう類のものは、頭だけではなくて、


私の「存在全体」に、ストレートに響いてくれるので、


逃げ場所がないのです。




だから、腹をくくって、来い!!と、


言うしかないのですね、なんて、


かっこよく、決めてみたいのですが、




実際には、ぶるぶる震えています(笑)




こういうときの、魔法の呪文。



「この恐怖もまた、私が創り出したものである」


「これもまた、過ぎ去る」


「・・・(呼吸を恐れの中に通す)」




もう、人生さん、


あなたって、最高!!



☆☆☆




今日は、珍しく服を見て回った。


唯一はいていたジーパンに穴があいていたことを発見してしまい、


あまりのヘビーローテーション、かわいそうなことをしたなと思いつつ、


外出用の服を、探していたのです。




気づいたこと。


実際、着ていくものが一着しかなく(笑)


ある程度の枚数が必要な状況にもかかわらず、


結果、上着一着しか買わなかったのは、




自分が今本当に必要としているものを、


わたし自身が、わかっていなかったからだ。




あとは、もうひとつ。


服装が変わっていく=見た目が変わっていく ことに、


実はわたし自身が、抵抗していたからだ。




っていうことは、


わたしは、視覚的な変化に左右されやすい、


つまり、見た目に影響を受けやすいってことらしい。




人の見た目というよりは、


自分の見た目が変わることでも、ドキっとするのかも。


アイデンティティが揺さぶられる!的な、クライシス?




だけど、その時思った。



・・・木村拓哉は、何を着ていても、木村拓哉だ。


・・・堺雅人は、どんな役割を演じていたって、堺雅人だ。




何着てても、どんな格好していても、


私がわたしでいられたら、自分が結局楽だな。


わたしが、揺れ動いているだけなんだな。




というわけで、来週からは、まず靴から、


見に行きますよ。探しますよ。東京にも行っちゃうかも。


前世は禅僧か!っていうくらい、服の数がなく着古しているものばかりなので、


そろそろ新しいものに換えても、いい頃だよね。




あ、ちなみに堺雅人が私のブログに出てきたのは、


この動画を見ちゃったから☆


この人、すごいかも!!



http://www.youtube.com/watch?v=0iIs6xnx_EE



そしてこちら。


http://www.youtube.com/watch?v=rRIERuroxlA




・・・だからなんだってんだあああ~!!!



・・・おおっ!!って大ファンになった(笑)


やばい、このドラマ借りて見る!(笑)




☆☆☆