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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!



予告編を見たとき、正直主人公の声を懸念していた。


やっぱり素人は素人だから、


求められた声の存在感よりも、素人感の方が浮きすぎてしまって、


観る側(つまり私なのだが)が、話に入り込みにくくなるのでは、と。




それが、庵野さんの、いや、二郎のひとことで吹き飛んだ。



「ばかなことを」



震災の場面で、このセリフが出てくるのだけれど、


この一言を聞いたときに、これは庵野さんでないと出せないねって思った。


普通の役者さんや声優さんがやったら、普通の主人公になってたと思う。


世の中に求められる、素敵な主人公に。




だけど、この主人公は違う。


求められようが、求められまいが、全く気にしない。


空気を読むことにエネルギーを費やすなんてことはしない。


そういう発想自体がない。


そしてその分のエネルギーは、


自分の夢を叶えるために、費やされていく。




どんなに状況が過酷でも、過酷さに同調するなんてことはしない。


楽しい、おもしろい、しか、基本的に頭の中にない。


そして、発想が無邪気。


誰かを責めたりすることをしない。自分自身をも含めて。


だから、まとうエネルギーが、基本的に軽々としている。


流れとともに、ある意味生きることが自然体。


世間の価値観に染まらないから、周りから完璧に浮く。


けど、その天才さゆえに重宝され、


彼のエネルギーの注ぐ方向が、時代が求めていたものということもあり、


彼が求めようが、求めまいが、


彼の存在は、時代に欠かせないものになっていく。




彼自身は、そんなことどうでもいいのだけれど。





そして、ラブストーリーですよね。


結局これを書きたかったんだろうな、宮崎駿さんは、


って、勝手に想像して、一人にやにやしてた。




愛なんて、純粋に描こうとしたら、


描く人間その人自身が、自分をさらけ出さなきゃならない。


共感を得るためでもなく、人を惹きつけるためにでもなく、


自分が書きたいからという理由だけで、愛を描こうとするなら、


その愛のエネルギーは、作者自身の内側から現されなければならず、


それには、自分の奥底と自分自身が触れ合わなければならず、


非常にめんどうくさく、しかし決して避けて通ることもできず、


観念して、現れてくるものを描くしかないという状態。




宮崎さんがこういう状態であったのかどうかは知らない。




けど、一番繊細で恥ずかしいと感じられるようなエネルギーが、


仕方なしに、さらけ出されていたような気がして、


勇気も葛藤も要ることだったろうな、って感じた。


けど、美しいって思った。


そういう時に放出されたエネルギーは、


純粋で、澄み切っていて、素敵だ。




☆☆☆




最近、八重の桜を見てて感じたこと。



・・・飽きてきた(笑)



いや、番組の面白さとか、そういうことには全く関係がない。


これは、自分の感じ方が変わってるってだけの話だから。


それが証拠に、会津戦争後のみんなの人生の展開が気になるので、


この番組は、今までどおり見続けると思う(笑)




じゃあ、何に飽きてきたかっていうと、


憎しみを糧にして生きる、ってことにだ。




私はどういうわけか、昔から会津に思い入れがある。


だから、会津が舞台となった今年の大河ドラマは、


見たいんだけど、何かそれを遮る感情が自分の中にあって、


戊辰戦争が始める頃から、ようやく連続して見始めた。




内容が会津戦争の頃は、完全に感情移入していたのだが、


最近になって、その感情移入に疲れてきた。


どんなところに感情移入していたかというと、


理不尽な扱いを受けて大切な人や物を失っていくところとか、


あまりにひどいことも平然と、世の中には存在するよね、っていうところとか、


とりあえず、耐え難い感情を抱くところですね。




耐え難いから感じることをやめていた感情が、


番組の物語展開に合わせて、出てきたんだと思う。


私の場合は、激しく怒るというよりは、


頭と心が硬直して、無言で涙が出てくる、という状態だった。




で、最近になって、疲れてきた。


番組を通じて、自分の中にある感情を感じながら、


わかってきたことは、


憎しみを抱き続けて苦しむのは、


結局、自分自身であるのだということ。




憎しみを糧にして生きるって言葉は、


どんなに過酷な状況に突き落とされたとしても、


ネガティブなエネルギーを逆手にとり、それさえも武器にして這い上がっていくという、


ある種の力強さ、たくましさを感じるのだけれど、




ほんとうに、憎しみを糧にして生きてしまうと、


文字通り、生きる糧にしているのは「憎しみ」なわけだから、


「憎しみ」という燃料がなくなると、


実は自分が、生きていけなくなるのだ。




だから、生きるために、憎しみを求めるようになる。


憎しみを糧にしているようで、


実はいつの間にか自分が、憎しみに食われてしまっている。




・・・すっごい連呼したな、この言葉(笑)




それに気づくと、


ここから抜け出すためには、あきらめて手放すしかないんだな、


って、ようやく思うようになる。




けど、手放したら、生きていけなくなる。


生きる糧が、それだったのだから。


だから少しの間、葛藤が続く。




けれど、それでもどうにもならないときは、


どうにもならない。





ドラマの中で、すべての職を辞した梶原平馬さんが、


俺はもう、抜け殻だ、と言って奥さんと別れようとしていたけど、


そう、自分を構成していたものが、


藩への忠誠とか、戦いに勝つための執念とか、


自分の役割を全うすることとか、家族を守ることとか、


自分の存在意義を成り立たせていたものが全部抜けちゃうと、


そうなりますよね。




抜け殻。


だけど、それでいいとおもうんだなあ。




死ぬよりつらく感じる通過点だけれども、


そこを通過していくことが、実は進化だと思うんだよ。




元気なふりをしてごまかすこともできず、


肩書きも名誉も財産も信念も全て奪われたら、


自分はひとつの生命であるという事実しか、自分には残らないんだ。


そしてそこしか、出発点になりえないんだ。




幻のみが、はがされていく


ほんとうのものは、けっして、奪われることがない


って、いうよね




そのほんとうのものを見るためには、


幻は幻であったのだと気づくためには、


奪われてみる必要が、はがされてみる必要が、


あったのかもしれない。




ただし、希望として、


それらのことは、極めてゆるやかに行われてほしいけどね(笑)





だから、あらゆるネガティブな感情は、


気の済むまで、味わえばいいんだなあ。


(相田みつおか)





それにもようやく、飽きてきたら、


違う道を、勝手に選んで、


進んでいるような気がするよ。




☆☆☆




梨木香歩の「f植物園の巣穴」を読んだ。



しばらく小説の類を読んでいなかった私が、


最近堰を切ったように、本を読み漁っている。



子どもの頃に戻ったかのようだ。




それにしても、


梨木香歩作品というのは、潜在意識に作用しやすい。


彼女の作品は、特に「裏庭」を読んだ時などは、


一晩かけて朝に読み終えたのだけれど、


なんというか、天と地がひっくり返ったような、


今まで当たり前に存在していた意識の基盤が、


ぐちゃぐちゃに崩壊していく気がして、


その意味で、しばらくは朦朧としていたのを覚えている。



久しぶりに、梨木香歩の作品を読んで、


久しぶりに、その感覚を味わった。




朦朧としながら、オートミールを食べた。


火にかけず、冷たい豆乳を注いだだけの、


そしてさらに氷を加えた代物だったので、


その冷たさで、頭が少しすっきりとした気がした。




わたしは、何をしたいのだろう。


朦朧とした神経では、そんなことを考えるのもエネルギーがいる。


だけど、そのモヤモヤとした意識の底のほうでは、


明確に、入口が見えているような気がした。




わたしが今回、一番に願ったことは、


このモンスターと、決着をつけることだった。




昨日、河原を散歩して、少し昼寝をしたら、


なんと、ほとんど息を止めて寝ていたらしく、


脳にも体にも酸素が行き渡っていなかったせいか、


目を開けている植物人間のような状態になってしまった。


今までも正直、こういう状態は寝て起きるとあったのだが、


今回のは、完全に脳の動きがショートしている。


感覚としては、こっちのほうがぎょっとする。



生命ある”生き物”としての感覚が、消失するからだ。




そんなこともあり、今までの経験もあり、


一気にモンスターの巣穴へ行こうとしても、逆効果らしいということも感じた。


だけど結局は、向き合っていかなければならないのだけれど。





それはもう、なされている。


最近使っている、新しい言葉。


これを使うと、モヤモヤが消える。


なんか、宗教的な響きがある言葉だけど、


もう、それはなされている。


そう心の中で言うと、


もう、心配する必要がなくなるので、


気持ちを今この瞬間のために、使える気がする。



もうそれはなされているのだから、


心配する必要はない、って、思えるんだよね。




使える呪文は、どんどん使います(笑)



☆☆☆





「自分のやりたいことってなんだろうって思いながら、


一日過ごしてたけど、全然ピンと来なくて、


そしたら、女性のための空間を作ろうと思ってるって人がいて、


あたしもそれ、前から考えてた!と思って、


そのこと話し始めたら、止まらなくなって、


あ、これなのかもしれない、って、思ったんだ。





ただ、方法は、わからないんだ。


というか、もしわたしがその方向に向かっているのだとしても、


女性が元気になれる場所を創る前に、


私自身を、とことん見つめることになると思ったの。


誰かを助けたいとか、そういうのは少し違う気がした。




みんな、自分の中に答えを持っていて、


みんなほんとうは、自分の足でしっかり立って、生きていける。


答えもコンパスも、ちゃんと自分の中にあることを、


体現して、生きていける女性達。


そういう人って、その人の存在自体が、


周りの人に手を差し伸べてる気がしてね。


輝いて生きている人は、ただそばにいるだけで、


まだ自分の輝きを知らずにいる人たちの原石を、


目覚めさせる力を持っている気がして。


そういう生き方って、いいなあって感じたの。





だけどね、そのためには、


まずわたしが、そういう生き方を知らないとね。


私の生き方が、そうであるかと言われたら、


まだまだだなあ、と思うんだ。




っていうことは、そこに行き着くためには、


私っていう人間の、あらゆる面を見ることになるんだろうなって。


あらゆる面だから、結構タフだよね。


また何回か、死ぬのかもしれない(笑)


その道のりが、途中にあるんだろうなっていうことだけは、


なんとなくだけど、わかっているんだ。」




そんなことを話していた矢先だった。





フタがパカっと開いたように、


出てきたモンスター!!!




どうしたらいいのかわからない。


手の打ちようがない。


なんなんだいったい。




痛みは、それなりにあった。





けど、ひとつわかっていたのは、


わたしが、答えを持っているんだってこと。


わたしが、答えを知っているはずだということ。





おそらく、ハートを開くこと。


これが、鍵なんだと思う。


つまり、湧き上がってきている、ネガティブな感情を、


すべて、感じきること。 蓋をせずに。


モンスターの正体を知る方法は、これしかない。




だけど、それは、


檻の中から、モンスター達を解き放つようなもの。


自分が死ぬかもしれないという(心理的に)リスクがある。


だから、今までだって、慎重にやってきた。




慎重にやってきても、この結果なら、


いっそ、ぐわっと出してしまえばいいんだろうか。




くそ、答えなんてわからない。




わからないから、やるしかないんだ。






☆☆☆








最近は、そうだな、


整理の時期かもしれない、と思う。




フルタイムの仕事になると、


ショートタイムに比べれば、経済的にはやれることが増えてくるので、


活動の幅が広がると、人間関係も増えたりして、


生活のいろどりが豊かになってくるところが、いいよね。




一方で、


生活の中に、自分を巻き込ませてないかなって、


振り返ったりもするんだ。




その日その日、その瞬間その瞬間、


それなりに過ごしている一方で、


俯瞰して自分を見たときに、


今までと同じ考え方や価値観を採用して、


毎日を過ごしていないかなと。




生活が同じでも、


自分の感じ方や考え方が変化し続けている生活は、


内側が、目覚め続けている。




生活がそれなりに過ごせていても、


お金の使い方、時間の使い方、


だいたいは、この二つに現れるんだけど、


これが、以前と同じままなら、


自分は、本質的には、変わっていない可能性が高く、


ゆえに、毎日にマンネリを感じ始める可能性も高い。




最近の私は、どうだろう。




いいところは、ハートが開いてきているところね。


人との境目が、いい意味でなくなり始めている。


自分にも他人にも、心で寄り添うことができるようになってきた。




あんまり、書く事をしていないな。


書く事が出てこないから、書こうとすると頭を使っちゃう。


そうすると、頭だけの文章になって、響いてこない、自分に対して。


それで、あんまり、書いていない。




考え込むことも、あまりなくなった。


考えたって、わからないから、歩いてみる。


そういう方法をとってるせいか、悩まない(笑)




ただ、なんか滞ってる感を抱くときとかはある。


けれど、なんで滞ってるのかなんて、


考えたってしょうがないのですう。




というわけで、そういうときは、


いい状態をつくってあげる。


たっぷり泡立てたタオルで身体を洗ってあげるとか、


すっきりする歯磨き粉で歯を磨いちゃうとか、


今、自分にしてあげられることをして、過ごす。




歩いていくことをやめなければ、


必要なものは、全部揃っていくし、


必要な情報は、その時に応じて入ってくるし、


必要な経験は、いつの間にか終えている。



そういう感覚があるのかもしれない。




・・・別に、悟ったとかいわないから。(笑)


そりゃ、聖おにいさん好きですけど(笑)




これでいいのかな


こんな感じでいいのかな


もっとなにか、始める必要があるのかな




そう思ったら、感じたら、


意識の叡智へと降りていく。


氷がしゃりしゃりと削られていくところを眺めたりして


意識をぼーっと、無にさせてあげる。


と、


シンプルな答えが、見えたりする。




その答えを試してみると、


また、その先の展開が、見えてくるのかもしれないね☆



やったほうが、おもしろいから、やっちゃうんだけど(笑)



☆☆☆