予告編を見たとき、正直主人公の声を懸念していた。
やっぱり素人は素人だから、
求められた声の存在感よりも、素人感の方が浮きすぎてしまって、
観る側(つまり私なのだが)が、話に入り込みにくくなるのでは、と。
それが、庵野さんの、いや、二郎のひとことで吹き飛んだ。
「ばかなことを」
震災の場面で、このセリフが出てくるのだけれど、
この一言を聞いたときに、これは庵野さんでないと出せないねって思った。
普通の役者さんや声優さんがやったら、普通の主人公になってたと思う。
世の中に求められる、素敵な主人公に。
だけど、この主人公は違う。
求められようが、求められまいが、全く気にしない。
空気を読むことにエネルギーを費やすなんてことはしない。
そういう発想自体がない。
そしてその分のエネルギーは、
自分の夢を叶えるために、費やされていく。
どんなに状況が過酷でも、過酷さに同調するなんてことはしない。
楽しい、おもしろい、しか、基本的に頭の中にない。
そして、発想が無邪気。
誰かを責めたりすることをしない。自分自身をも含めて。
だから、まとうエネルギーが、基本的に軽々としている。
流れとともに、ある意味生きることが自然体。
世間の価値観に染まらないから、周りから完璧に浮く。
けど、その天才さゆえに重宝され、
彼のエネルギーの注ぐ方向が、時代が求めていたものということもあり、
彼が求めようが、求めまいが、
彼の存在は、時代に欠かせないものになっていく。
彼自身は、そんなことどうでもいいのだけれど。
そして、ラブストーリーですよね。
結局これを書きたかったんだろうな、宮崎駿さんは、
って、勝手に想像して、一人にやにやしてた。
愛なんて、純粋に描こうとしたら、
描く人間その人自身が、自分をさらけ出さなきゃならない。
共感を得るためでもなく、人を惹きつけるためにでもなく、
自分が書きたいからという理由だけで、愛を描こうとするなら、
その愛のエネルギーは、作者自身の内側から現されなければならず、
それには、自分の奥底と自分自身が触れ合わなければならず、
非常にめんどうくさく、しかし決して避けて通ることもできず、
観念して、現れてくるものを描くしかないという状態。
宮崎さんがこういう状態であったのかどうかは知らない。
けど、一番繊細で恥ずかしいと感じられるようなエネルギーが、
仕方なしに、さらけ出されていたような気がして、
勇気も葛藤も要ることだったろうな、って感じた。
けど、美しいって思った。
そういう時に放出されたエネルギーは、
純粋で、澄み切っていて、素敵だ。
☆☆☆