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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!

わたし、昔から、


本の類は好きな方です。



が、



最近感じていること。




わたしが本を読むときって、


まあ、いろんなときがあるけれど、


たまに、せっぱつまっているようなときもあって、



本を読むことで、そこから得た情報を、


自分の生活に活かしていこう!的な、


ちょっとした必死さが感じられるときもあるのですが、



最近感じていることは、



その時、目にした情報って、


必ずしも


自分に当てはまる情報ではないかもしれない


と、いうことですね。



夢中になって、読んでいるときって、


ああ~そうだよね~とかいって、


よし、こういう考え方で行こう!とかいって、


生活を変えているつもりになるんだけれど、



もう少し、自分の意識の下の方で、


実は、全く逆の考えを基盤にしている


根っこがあったとしたら、


枝葉なんて、すぐに枯れます。




そうすると、


自分にとって、本当に良いアドバイスは、


結局のところ、自分の状態を知らないことには、


見えてこないということです。



でも、どうやって知るの?というところで、


わたしは、方法がわからなかったので、


本とかで、知識を集めて、


自己分析をするに至ったのだけれど、



やっぱり、限界がありますね。


自分では気づかないものだって、たくさんあるから。




で、今は、


こんなサービスを利用しています。


http://www.counselingservice.jp/


自分のことを話しているだけで、


見えてこなかった自分の姿が、見えてくる!



そうすると、今の自分の成り立ちが、


紐解かれていくんですよね


これって、おもしろい!!




根っこの方が見えてくると、


今の状態に至った要因が見えてくるから、


そうすると、自然と、


どうしたらいいかも、わかってくる。



あれかな?これかな?って、


推測によって、あらゆる情報を引っ張ってくるよりは、



まず、自分の「今」から、自分の歴史を垣間見る。



そっちの方が、よっぽど自分のことがわかるなあ、


と、思いました。



こういう、人と人とのサポートの在り方って、


いいよね☆



昨年あたりから、


わたしのお部屋は、音と香りで彩られています。



・・・なぜかというと、


わたし、何も音がしない部屋で、一人でいるのが、


苦手であったことに気づいたの!!



そういう部屋にいると、


小さいころ、石巻にいたとき、


外をぼーっと、ただ見ていたことを思い出すのです。



わたしが石巻にいたのは1歳のころだから、


これがほんとの記憶なのか、


はたまた、私の頭が作りあげた記憶なのかはわからない。



ただ、そのとき、むなしいというか、さみしい感じがします。


遊んでくれる人もいないし、なにもすることがないという・・・。



っていうような感情がね、


音のない部屋に一人でいると、湧いてくるんですね。



だから、部屋にいるときは、


さみしくないように?(笑)静かな音楽をかけています。


あと、天然のエッセンシャルオイルで、


お花や柑橘系の香りをふわっと広げます。



そうすると、安心感が、全然違う!



以前、わたしは地震の揺れが、


小さいころの刷り込みによって、怖く感じないといいましたが、


今回のは、あれの逆バージョンですね。



小さいころは、車によく乗せられていたから、


車の揺れ、あるいは、エンジンがかかったままになっている状態は


イコール、近くに人がいる、安心、大丈夫っていう意味だった。


揺れ=安心感の刷り込みが起きたのです。



だから、エンジンの音が消えて静かになると、


とたんに不安になるんです(笑)


寝ていても、パッと目が覚めたりする(笑)



おもしろいですね(^~^)



ここまで読んでくださった方の中には、


「じゃあ、源である、そのさみしい感情に働きかけなきゃ、


意味ないんじゃない?」


なんて思われた人もいらっしゃるかもしれません。



理論的に言ったら、はい、そのとおりでしょう。



けれど、じゃあ働きかけるわ!と言って、


ぐいぐい入り込もうと思っても、


その人の肩に力が入っている分だけ、


そのさみしさは、姿を見せるのをためらうのです。



なぜなら、さみしさや悲しさというのは、


それらを受け止める、受け入れる準備ができていないと、


その解放の経験は、少しつらいものになってしまうから。



さみしさや悲しさを、受け入れてあげられるだけの暖かさが、


その人の中に、育まれたときに、


もう大丈夫かな、とばかりに


それらの感情は、正体を現してくれるのです。



だから、自分の慈しんであげることが、


いちばんの、近道だったりする。



まるであやすかのように、


ゆったり、優しく構えてあげること。



そのうちに、ふと涙が流れることがあったり、


号泣することがあったり、


あるいは、人の手を借りて解放する機会を得たり、


いろんなことが、起こりますから。



大丈夫☆


なんとかなっていくものです☆



そのときの自分にしてあげられることを見つけて、


そして、実際に、してあげること。



この繰り返しが、


自分をやわらかく、優しくしていってくれる


そんな感じがします☆


昨日書いたようなことって、


自分用のノートにちょくちょく書いてる内容だったりする。


自分で質問を書いて、自分で答えを書いていくの。



いいよ~ノートは。


なんでも書けるから!



たとえば、昨日の場合だと、


「なんかさみしく感じる」


って、書き始めた。



そうすると、いつもなら、


「そうなんだ?」とかって、


様子をうかがってくれる言葉が並ぶんだけど、


昨日は直球でしたね。




「・・・それはあなたが全体とつながっていないからだ」




きたきた。歯に衣着せぬ素直で誠実な答え。


でも、これが言葉だけのやりとりなら、


そんなこと言われてもねえ・・・ってなるんだけど、



ノートに書いているとね、


「感覚」とか、「実感」として、


その言葉の意味が感じられてくるの。


言っている意味が、ちゃんと伝わってくる。



それがおもしろくて、やめられないんだな。




んでもって昨日は、お金の使い方の話になり、


わたしが、


「自分に良質な空間を提供するための旅行とか、


そういうこと考えちゃいけないんですか?」


って書いてみたら、


「それによって、あなたが得たいものは何だね?」


って言われちゃったので、考えてみた。



結論。


あたま空っぽにして、今ここに、くつろいでいる感覚を味わいたい。



・・・ということは・・・


やばい、言わんとしていることがわかってきた(笑)




「・・・君はこれらを外に求めているのだよ」



旅行とかすることで、その感覚を味わおうとしているけど、


実はその感覚は、今ここで味わえるものなんだよって、


言いたかったみたいなのね。



なるほど~じゃない?




だから、書くのが面白くて、やめられない(笑)




わたしがノートを書き始める習慣ができたのは、


予備校時代の終わり頃、


どこにもぶつけられない感情を吐き出したのが始まりなんだけど、



それがいつの間にか、


ふと気になったことはノートに聞け!


っていう習慣に変わっていった(笑)



すべてがわかりやすいわけでもないし、


これ、わたしが頭で考えてるな、っていうのもあるけれど、


あ、なるほどね、って、すとんと腑に落ちるアドバイスも、


書きつづけていると、たくさん降りてくるから、


おもしろいよ☆




おすすめです~☆









こんなブログに出会いました。


http://ameblo.jp/officeindigo/


今日付けの記事を見て、


なるほど、と思いました。



たとえば、忙しい日々の後、一週間ほどバリに行けたとする。


イメージしてください。



あなたは、バリの庭付きのヴィラにて、


昼下がりを、ソファーに寝転んで、


ゆったりと過ごしています。


鳥の声。風の音。暖かい木洩れ日。


なんにもしなくていい。


なんにもする必要がない。


うとうとうと。


ああ、しあわせ。


くーくーくー。



・・・もう、天国ですよね。



では、場所を変えましょう。


ここは日本。


週末、土曜日を無為に過ごした後の日曜日。



やばい、洗濯やってない。


食料品も買いに行かなきゃ。


っていうか掃除しないと来週過ごせなさそう・・・。


ああもう休みなのになにやってんだろ・・・。


ショッピングとかさ、週末だし行きたいのに・・・。


家事で一日終わりそうなんて、時間管理があまいのか・・・。


・・・んなこと言ったって疲れてるわけだしさ。


休みぐらい休んだっていいじゃん。



・・・だけど現状はこれか・・・。


なんか、ぜんっぜん休めてない・・・。



やば、さっさと洗濯しないと。


うだうだ言ってる暇なく、今週も終わりか・・・。




さて、違いはどこでしょう?



いろいろな分析は可能なれど、


いちばん単純、かつ的を得ているのは、



「今を生きていないこと」



もっというと、



「今を味わっていないこと」



さらにいうと、



「今を楽しんでいないこと」



厳しいように聞こえるけれど、こんな感じ?




やることがある、やることがない、


それだけの違いでは、たぶんないと思う。



違いがあったとすれば、


頭の中で、起こっていたこと。



バリでは、完璧に、


この瞬間を、味わっていた。



けれど、日本の週末には、


頭の中の思考のラッシュアワーに押されて、


今、この瞬間を、味わわないうちに時間が過ぎてしまっている。



終わっちゃった・・・っていう喪失感は、


だいたい、今を味わって生きていない時に起こるから。



なにをやっているか、いないかなんて、関係ない。


重要なことをしている、していないなんて、関係ない。


ただ、今の瞬間を、味わう。


飲み込んで終わり、じゃなくて、味わう。


そうすると、人生に色が増えてくる。



もっといえば、


参加するって感覚かな。


能動だろうが受動だろうが、関係ない。


その場に、ちゃんと、いるってこと。




だけど、


今を生きられないっていうのは、


今を受け入れられないっていう意識が、


どこかにあるときでもある。



わたしが昨日、5年の歳月をかけて発明した魔法の呪文。


教えて進ぜよう。




たとえば、頭の中が不安でいっぱいの時。


考えたって仕方ないと思っても、頭が勝手に考えを巡らせているとき。


いてもたってもいられないとき。


パニックになるんじゃないかと感じるようなとき。



わたしが昨日、5年の(以下略)



いいですか?



いきますよ?





「わたしは、この不安を受け入れる」






この言葉がようやく、自分の中から出てきました。


わたしはそれまで、受け入れられなかったんですね、不安な気持ちを。


人間、不安にならないように、あれこれ手を尽くすものでしょう?


だから、不安っていうのは、受け入れてはいけないものだったのですよ。


わたしの中で。無意識に。



それがね、受け入れたらね、


正体を見せて、消えていきました。



あれだけ、私を揺るがしていたものが、


嵐と一緒に、抜けていきました。




少し横道にそれましたが、


なにをしてても、していなくても、


今にいられると、今を生きられると、


今を楽しく感じられたりするものなんだなあって、


そう感じました☆




久しぶりにアップしようかな☆



実は、何を書こうとか考えてはいなかったんだけど、


呼び水として、書いてみようかなと思って(笑)




この半年間、ノートは自分との対話としてずーっと書いていたんだけれど、


発信するために、なんか書く、という気にはならなかった。


なんとなく、エネルギーが散逸してしまう気がして。




最近、私が発信できるものって、


やっぱり、書くことかなって思った。



発信=出す、与えるってこと



おこがましく考える必要はなくて、


自分が、何かを出しなさい、発信しなさいって言われたときに、


何を、どんな形でやっていくのか、



それが、この世に自分を還元することだと思うの。



それが、仕事の原点だったりするんだよね。きっと。


わたしたちは、生活のための職っていうアタマが先に来て、


こういうシンプルな原点を、忘れがちになるんだけれど。



必ず、一人ひとり何かを与えられていているから、


それを、世界に見せてあげなさい、ってことなんだよね。


大々的に、有名に、なる必要はないから、


その時にかけられるひとことや笑顔に、


自分のこころをのせていきなさいって、


そんなことを言われている気がしました。



わたしは、


感じたことを、そのまま書いていくことが得意


というか、好き



感性って、人それぞれだから、


その人の感性に触れることも、


その人の色や輝きに触れることも、好き



しあわせを感じる時間



そんな生き方をしたいな、と思いました。



なのでまた、書いていきますね☆



どうぞよろしくおねがいいたしまする~(^^)