THE CLEARING DAY -19ページ目

THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!

人間って、


何かを言われても、



そう「感じられ」なかったら、



動けない生き物だ。





でも、感じているのかいないのか、わからない、



というような状態も、



人間だもの、あります。





そういう時は、



触感を使うというのが、



わたしのやりかた、かな。






赤ちゃんの時って、言葉をしゃべれない。



言葉だけで、何かを言ってみても、伝わらない。



じゃあ、愛されてるという感覚って、



赤ちゃんなら、どこで抱くのかな、と思ったの。





私が感じた答えは、



温かい体温を感じながら、



やさしく柔らかく、抱かれているとき。





安心感があるんじゃないかなって。



守られているっていうね。




だって、人の手がなかったら、



赤ちゃんのときって、生きていけない。





誰かが必ず、



自分をやさしく包み込んでくれる。



そんな安心感が、



愛されてる感覚に、つながるのかなって。





実際、お母さんに抱かれていると、



赤ちゃんって、安心して眠っちゃうでしょ。





わたし、幼稚園の頃とか、



一人だと、なかなか眠れなかったんだけど、



お母さんと一緒だと、安心してすぐ寝るの。



熟睡には、安心感って大事なんだね!






話を戻しますと、



温かいとか、触感っていうのは、



私たちが生まれてきたときの、



根源的な安心感とつながっているのかなって。




だから、温かいものを飲んだり、



温かいお風呂に入ったり、



柔らかいタオルに包まれたりすると、



ほっとして、力が緩むでしょ?





だから、力を抜きたいときとか、



感覚が、麻痺しているかも、っていうときは、



触れることや、温かさに関するものを、



増やしてあげるといいかも☆





温かい飲み物を飲むだけでも、



こころもからだもほっとするよ☆





・・・そういえば、私事ですが、



触れるといえば、2年前、



タイマッサージを習得してきた私です(^^)



マッサージ、してもらうの大好きで☆



帰国した後も、してもらう方、一方だったんですけど、



少しずつ、してあげる方になってもいいかな、



とも、思ってきました。





場所があれば、(女性限定)マッサージしますので、



まだ、練習中ではありますが、



ご希望の方は、お声がけくださいね☆


時間にも、質がある、と思う。



誰といたとか、何をしていたとか、


そういうことではなくて、



自分の意識が、明晰であったかどうか。



そこで、決まる感じがする。



で、そんな瞑想状態に、


いつも、いられたらいいのだけれど、


お天気のように、変化や波風があるのも人間だ。


だから、工夫をしていけばいいんじゃないかなって思う。



今につながり、今を味わっていれば、


満たされた感覚はそこにあると、ノートから言い渡された私ですが、


明晰でないときだってあるのが、正直なところ。



まず、意識することは、しますよ。


そのうえで、自分がそのときいる環境にも手伝ってもらおうと思った。


自分ができる工夫は、講じてみようというわけです。


それで、家にいるときの大部分を過ごす私の部屋を、


上質な空間にすることに決めた。



わたしが、ノートやブログを書いてるときは、


静かな音楽がかかり、アロマが部屋に広がり、


花が何本かテーブルに置いてある、


そういう環境を創っています。



そうそう、自分の部屋で瞑想したり、ヨガしたりするのもいいよ。



場も、使う人によって創られていくから、


同じ場所で、瞑想やヨガをし続けると、


そこにいるだけで、なぜか気がすうーっと休まるような、


そんな場所が、できてきます。



そういう場所で、過ごしていると、


質のいい時間になりやすいんじゃないかな、と思って☆



あと、こないだ思ったのは、高級ホテルね。


美しく磨かれた空間と、上質な時間を提供するところには、


やっぱり、いい気が流れるんだなあと思いました。


感覚が、クリアになってくるのがわかりました。




最近は、質を高める、ということを意識しています。


かける時間も、大切なんだけれども、


明晰な意識状態でいることが、見えない部分で、


とても有益な何かを、自分と周りとにもたらしてくれている感じがして、


このことって、とても大切なことなのかもしれないって、


最近少しずつ、意識し始めています☆





よく、ゆっくりと着実な努力のことを、


亀の歩み、なんて言う。


使う人によって、やっぱり意味も違ってくると思うけど、


あれも、知恵の一つかな、って感じる。




新しい習慣を始めようとするとき、


それらを継続させるためにはどうしたらいいか、


ということについて書かれたものを、


いくつか読んだことがある。




その中のひとつは、


「スロースタートで行く」ということ。


新しいことを始めるときというのは、


実は、初めのころが一番、エネルギーを使うという。


人間は、安定を求める本能があるから、


何か習慣を変えるという行為ですら、


抵抗というかたちで、変えられないようにするらしい。



だから、禁煙とか、ダイエットとか、


3日坊主で終わってしまいやすいのだとか。



じゃあ、どうしたらいいのか?



答えは、少しずつ、変化を起こすということ。


気づかないくらいに。



いきなり急激に運動を始めるんじゃなくて、


まずは、歩くことからはじめるとか、


できるところから少しずつ行い、


そして確実に、できることを増やしていく。



そうすると、いつの間にか、


それが新しい「習慣」になっている。


そういうしくみらしい。



面倒くさく感じても、


「急がば回れ」


この方が、近道だったりするのかも☆



わたしもまた何か、


新しいこと、始めてみようかな☆



あ、このブログもそうか☆(^^)

いい人になんて、つくづくなるまい、と思う。


いい人なんて、その人によって定義が違うけれど、


言いたいことも言えない、突っ込んだ話もできない、


あたりさわりなく、まるで仮面を着けているように生きていくのは、


やっぱり、ごめんだ。




たぶん、もっと、自分に触れたいんだと思う。


当たり障りのない生き方をしてると、


自分自身に対しても、当たり障りなく接してしまう。



けれど、それじゃ、届かないところもある。


届きたいと、思う。



感じないようにしてきた感情を感じる過程では、


こんな心境の変化が、起こってくるらしい。




触れられないと、わからないところがあって、


でも、触れられたくなくて、触れたくなくて、


逃げたり、何もないふりをしたり、通り過ぎてみたり、


いろんな対策を無意識に講じた結果、


残ったのは、どこかぽっかり空いた虚しさ。



ほんとうは、触れられることを望んでいるのに、


また傷つくかもしれないと、おびえた結果、


誰も寄せ付けないように、作った壁。


その壁が、生きる感動をも、押し出してしまった。



壁によって自ら閉ざした、埋まらない穴。


埋める決意は、いつかした方がいい。



自分を抱きしめる用意ができた時に。


一緒に感じてあげる用意ができた時に。


もう、新しい道を歩もうと、決意した時に。



そのときがきたら、一緒に感じてあげよう。


つらかったことも、思い出したくなかったことも。



そのつらさを受け止めてあげられるのは、


世界中のどこを探しても、


自分以外には、いないから。



大丈夫。



泣きたいだけ泣いたら、


涙は太陽に乾かしてもらえばいい。


光に向かって、また、歩いていけるように。





午後に、阿部寛の「ゴーイングマイホーム」の再放送がされていて、


宮崎あおいちゃんと一緒に、


目には見えないものがなんたらかんたらと話している場面に出くわした。



・・・話の前後が全く分からないのだけれど(笑)


目には見えないものを敬う文化って、


原始的とかじゃなくて、「知恵」なのかも、って感じた。



うちでは、朝、自分たちがご飯を食べる前に、


仏壇に、ご飯とお茶とお水をお供えする。


そこで、ご先祖様に感謝の気持ちを捧げてから、


自分たちがご飯を食べるわけです。



わたしは長い間、こういうことが、


いかにも、家のことちゃんとしてます、っていう無言の主張に思えて、


そういうの、好きじゃない、と思って、


仏壇のことは、ほとんどしたことがなかったんだけれど、



このまえふと、お供えしなきゃ、って思って、


はからずも、やってしまったんですよね(--;)



こういうのって、頭で考えることじゃなくて、


たぶん、感覚的なことなんだろうなって思う。



習慣とも、ちょっと違う。



それをしないと、


なすべきことがなされていない感覚がついて回るから、


しておけば済むから、やっておこう、みたいな。




全然話は変わるのですが、


これとちょっと似た感覚が、


「働かざる者食うべからず」


っていう言葉について、抱いた感覚かな。


この言葉、


働かない奴には食う資格なんかない!


なんて意味で使われてきたでしょう?



だから、なんて乱暴な言葉なんだ!って思ってたけど


反面、ほんとにそんなこと言ってるのかな、って、思ってたの。



それがね、この間、運動しないで朝食食べたときにわかった。



朝起きて、何もしないですぐご飯を食べると、


なんか、体の中の気の巡りが、うまくいかないの。



それが、運動とか掃除をして、


ご飯の支度もしてから食べると、


落ちるところに、すとんと落ちるというか、


これで、ひとサイクル完了、っていう感じ。



どういうことかというと、


先にエネルギーを「出して」いるわけですね。



運動、掃除、食事の支度、


なんでもいいのだけれど、


それらをするには、エネルギーを使うでしょう?


そして、使ったから、「食事」をして、


そのエネルギーを「入れる」わけ。



だから、「出す」と「入れる」のバランスが整うから、


しっくりくるんです。



だけれど、何もしないで「食べる」と、


もともといっぱいで「出して」ないのに、さらに詰め込むことになるから、


ぎゅうぎゅうになって、気の便秘状態(笑)


だから、なんとなく、重ったるくなってしまう。



そこで、あの言葉が響いたわけです。



「働かざる者、食うべからず」



ああ、こういうことなのかな、と。



エネルギーを「出さない」で、「入れて」ばかりいると、


自分の中の、気のバランスが、悪くなりますよ。




バランスが崩れる=不健康(肉体的にも)


という状態を作り出す要因になるから、


「出して」から「入れる」、のサイクルを心がけなさい、



っていう、知恵の言葉だったのかな、と。


思いやりからくる、優しい促しなんだったんですよ。


これだと、しっくりくるんです。



そうそう、「摂理」って言ったほうがいいのかな。



仏壇のことも、私なりに解釈すると、


一日の始まりを、仏壇に「お供え」することから始める、


つまり、「出す」ことから始めているわけですね。


さらに、ご先祖様に「感謝を捧げて」いる。


これも、感謝を先に「出して」いるわけですね。



出してしまったのだから、


あとは摂理としては、入ってくるだけの状態。


こうすると、便秘状態はなくなっているから、


文字通り、


一日がうまく「回っていき」やすいのかもしれない、


と感じました。




目に見えないものを大切にする文化っていうのは、


こういうことに、気づいていたんでしょうね。



こういうことを、大切にしていくことが、


もしかしたら、ひいては世界のバランスをとることにも、


つながっていくのかも?と、


ひとりほくそえんだ、私でした☆(*^^*)