「孤独と不安のレッスン」という本を見つけた、
一人暮らしを勧めている部分を、パラパラと読んでみた。
私は、ものすごく一人暮らしに憧れてたけど、
今は、経験上、その孤独感を知っていることもあって、
どうせ暮らすなら、共同体のような、
周りに知っている人がいるところがいいな、と思っていた。
けれど、同時に、
孤独がもたらす恩恵も、確かにある。
今は、パソコンとかスマホを手に取れば、
お手軽に、孤独感を紛らわせることができる時代でしょ、
みたいなことが書いてあって
確かに、紛らわせることも、ごまかすこともできるなあと思った。
でも、癒すことって、できないよね。
どうがんばってみてもさ。
わたしは今、家族と同居しているので、
たとえ、自分の部屋にこもっていたとしても、
人のぬくもりがないという寒々しさは、感じないんだな。
おもしろいね。
だけど、それにかまけているところがあったんじゃないかなと、
ちょっと思ったりもした。
自分の内側に存在する、孤独感や不安感をダイレクトに感じていると、
自分の内側を見つめることが、必然的に多くなる。
けど、PCにしても、家族のぬくもりにしても、
何かしら、それらを和らげられるものがあると、
意識は、自分の外側へ向くようになる。
こうなってしまうと、
自分の内側から、すべてが始まっていく、という感覚よりは、
あれをこうしてこうしてこうすれば、うまくいくんだ、というように、
外側のものを操作することで、状況を変えることに焦点を当てがちになる。
まあ、これは私の場合だけど。
ほんとうの根っこや幹は、まず内側を観察することなんだけれど、
その根っこや幹をすっかり忘れて、あるいは見ないふりをすることに成功して、
枝葉の部分である、外側の現象をどうにかすることに、
エネルギーを使いがちになるのだ。
内側が変化するというとき、ふっと思い浮かべるのは、
レ・ミゼラブルの、ジャベール警部が橋の上からダイブ!しちゃうシーン。
ああいうことが、自分の内側で起こっちゃったら、
身体は死んでなくても、その人の観念は一回死ぬわけだから、
そりゃ、隙あらば、避ける方法を探すわな。
だから、油断してると、
自分の中で、出来事や感情に決着をつけないままでいたりする。
レ・ミゼラブルで言うと、何時間経っても、
ジャベール警部に、未だに主人公を追わせていたりする。
ジャベール警部としては、そっちの方がいいんだろうけど、
それだと、物語にはなんの進展もないんだよ。
逃げて、追って、躍動しているように見えて、
2人の関係性には、実はなんの変化も生じていない。
こういう状況が続くと、魂のレベルでは、しびれを切らすんだろうね。
変化が生じるような出来事を、2人の道筋に置き始めるんだ。
そんでもって、ダイブ!みたいな!(笑)
今日も、友達と話して感じたけれど、
物事や感情を完了させないまま、今の状況を長引かせるほうが、
実は、かなりのエネルギーを消耗して、自分が疲れてたりする。
けど、完了させるっていうのは、
出来事や感情の状態に、根本的な変化を加えることだから、
確実な変化を生じさせるという意味では、覚悟もいるし、
リスクも引き受ける必要があったりして、勇気もいるよね。
小さなことから、大きなことまで含めて。
すぐに結論を出せ!ということではなくて、
する、しない、をはっきり決断したり、
保留なら保留と、はっきり決めてあげることかな。
今の時点での自分の姿勢を、はっきり表明すること。
自分に対しても、他人に対しても。
何が言いたかったかというと、
「物事を未完了にしておくために、自分が隠れ蓑にしているものに気づく」 ということ。
物事を完了させることは、
なんとなくの状態は、できないから。
たとえば、仕事での決断はバッチリだけど、
自分のための時間をとることに関しては、後回しにしていたりする場合、
時間があればとるけど、それがないのだ!という正当な理由を盾にして、
今の状況を変えることを恐れ、長引かせているだけだったりする。
現状が、自分の理想とはかけ離れたものだったとしても、だ。
ちょっと厳しい言い方かもしれないけれど、
そういうことに、自分自分が気づいていかないと、
自分自身、何も変わらないまま終わるな、と思った。
私の目的は、変容していくことなのでね(笑)
その人によって、完了させているもの、させていないものは違うと思う。
そういうことに、自分が気づいていくと、
結局は、内側から、変わらざるを得ないから、
根本的な変化が自然に起こり始めて、
ダイブ!!できちゃうかも!!(笑)
☆☆☆