人を動かす 人を説得する十二原則② | re:monkeyのRelaxationRoom

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脱力系リラクゼーションblog。
其の実はカオス。



皆さんの1分を無駄にします。


テキトーに備忘録をメモして参ります。


では、早速、
デール・カーネギーの「人を動かす」から
・人を説得する十二原則
「誤りを指摘しない」

ここは何故か、
個人的に反省せねばならないと
感じることが多い節でした。

相手が誤っていたことを言っていたとしても、
これ見よがしに指摘するのは、
やはり、考えものだな。
と感じました。

節の冒頭あたりでは、
目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、
相手の間違いを指摘することは出来るが、
これは、あからさまに相手を
罵倒するのと何ら変わりない。
相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に
平手打ちを食らわされているのだ。
当然、打ち返してくる。
考えを変えようなどと思うわけがない。
と。
うぐッ・・・
ボク自身も思いあたるフシがあるので、
心が痛むのなんの・・・
mo、なんつーか、
日常的に平手打ちの打ち合いですからね・・・
我が社の日常です。

ちなみに、
指摘し、相手を説得したければ、
相手に気付かれないようにやることがオススメのようです。

これについては、
イギリスの詩人アレクサンダー・ポープ曰く、
「教えないフリをして相手に教え、
相手の知らないことは、忘れているのだと言ってやる」
そして、ガリレオも、
「人に物を教えることはできない。
自ら気付く手助けができるだけだ」
さらに、チェスターフィールド卿の処世訓では、
「できれば人より賢くなりなさい。
しかし、それを人に知らせてはならない」
ほいで、ソクラテスも弟子たちに、こう繰り返し伝えた。
「私の知っていることは一つだけだ
自分が何も知っていないということだ」
無知の知、不知の自覚というヤツですな。

人の誤りを変に指摘、刺激し、
相手の自尊心を傷つけ、
自分が悦に浸っているようでは、
人を動かす器ではないのだろうな。
と思います。

相手の意見に敬意を払い、
誤りを指摘しないことこそ、
正常な意思疎通の第一歩なのかもしれません。
maybe。

マウントを取ったり、
揚げ足を取ったり、
さらには、
人前で指摘し、貶めるようなマネは論外なんでしょうな。
我が社には いっぱいいるけど・・・

soいうワケで、
大きな人間になれるようなAI画でも、
イキマスcut。












何かこう、
器が大きくなったような気がします。
その漢の器がね。
うん。

そのなんというか・・・
無知の知・・・
ムチムチみたいな・・・


※テキトーで大雑把な拙い読解力しかなく、

独断と偏見で満ち溢れた感想になっていることを深くお詫び申し上げます。