かつて、私はTV番組制作の手伝いをしたことがある。


その思い出は、そのプロデューサーという人間の質の悪さばかりだった。


こんな奴が番組を作っているのか・・とあきれた。


そのくせ、まともなことをいうと、偉く腹をたて、結局私とけんかになった。


本当にひどいものだ。


いまも、このバカ者たちがTV番組を作っているのだ。


大衆はTVで評価されるものを追いかける。


しかし、その番組を作る人間がいかに愚かしく馬鹿か知らないだけだ。


日本を再生させるためには、この番組製作者を再教育するか、視聴者が自主的にテレビを見ないことだ。


いま日本のTVなど、見ないことのほうが、よほど人生を豊かにできる。


詰まらんコメンテーターなる人間どもの、言葉などしんようしないことだ。


いまコメンテーターなどと言われる類の人間でろくなやつがいないことは間違えない。




日本復興をいうなら、まず「アホ、追放キャンペーン」でもやればいい。


まず、今の日本、アホに汚染されていることに気が付かなければならない。


それでも、そんな中、一部の責任感のあり、そのわずかな優秀な人間が、今のこの日本を支えている事実もたしかにあるのだが・・


(^-^)

最近の日本、日本すべてに低調だ。


日本はこれまで、優れたものを世界に示してきた。電化製品、自動車、多種工業製品。これらはみな日本を一級品、高性能と認められてきた。


そこには、日本の職人魂ともいえる、挑戦するこころ、完璧をはるか遠くに眺め、自らの技術では満足しない「まだまだです」という謙虚の姿あった。



ところが、大衆主義が一般化し、より完全な人間を求め努力する人間より、どこか間違えのある、愚かな人間を評価する傾向ががしっかり定着し始めた。これはTVなどのマスコミの視聴率競争が原因であることは言うまでもない。


立派な優秀な人間など少ないのが当たり前だ。しかし、この人たち対象にTV番組を作ったところで、視聴率を稼げない。だから、このいささか能力の落ちる人々が多くいるレベルに向けての番組作りが始まる。それでも視聴率を稼げなければ、このような大衆を、「よいしょ」する、ほめる、このような作業を加えることで、大衆をいい気分にさせ、そのうち、それが正しいのだ、ということになる。


すなわち『人間的=大衆的』これが正しいということになる。


しかし、本当は、人間業とは思えないものを作ったとしても、やはり人間が作ったので、やはり人間的で、本来ならこのような人減こそ高く強化されるべきなのだ。


いまは、馬鹿な『俗悪化、痴呆化、サル化』したものが登場する番組が高くひょかされる時代なのだ。それがあたかも人間的かのように、まさに威張っているのだ。


困った時代だ。


(^-^)


これは、2007年亡くなった、池田晶子さんの現代日本を評した言葉だ。


彼女は、洋の東西を問わず、古典の書を友としていたようだ。


たしかに、私が海外の人と付き合い、そして、今の日本にいて、ふと我に返ると、


『俗悪化、痴呆化、サル化』の日本というイメージはかなり納得がゆく。


すなわち、本当の大人の会話がないのである。


みんな、どこかふざけている。冗談化している、根がふざけた状態が正常とでも思っているのか。


人生の重み乗る言葉がなく、美味しいものでも食べれば、それであたかも幸せ、という感じである。


これが日本中である。


私などは、飯などどうでもいいと思っている。だから牛丼屋の食事を済ましたり、それが280円のお弁当であっても結構満足して食べている。不満はないのだ。


ただ、安っぽい言葉に接したり、軽薄で無責任な人間に接しては吐きけを起こすことすらある。


いま、こんな吐き気を催す人間が日本に満ち溢れている。大衆ならそれもわかる。しかし、社会で責任のある人間がこれだと、もう腹がたつ。


生きずらい今の日本だ!!