ポケットマスターピース13『セルバンテス』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース13(野谷文昭編)『セルバンテス』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

セルバンテスと言えば、ミュージカルの『ラ・マンチャの男』などでも有名な「ドン・キホーテ」の作者で、この巻には「ドン・キホーテ」の抄訳(一部分の翻訳)と、「規範小説集」という短編集から、三つの短編が収録されています。

 

『ドン・キホーテ』は牛島信明訳で岩波文庫から全六冊、岩根圀和訳で彩流社から上下巻で出ていて、この辺りが手に入りやすいと思います。あとは、水声社が出している「セルバンテス全集」にも収録されているようです。

 

 

僕は以前、岩波文庫で読んだことがありますが、基本的には同じパターンのくり返し(騎士道小説から発想をえた妄想を元に、ドン・キホーテがおかしな行動を取り、従者のサンチョ・パンサとともに痛い目にあう)です。

 

なので、こうした抄訳でも「ドン・キホーテ」の魅力は十分に味わえるので、「ドン・キホーテ」って、名前は聞いたことがあるけれど、一体どんなお話なんだろう? と興味を持った方は、これを最初の一冊にするのは、なかなかによいのではないかと思います。

 

そして、抄訳の翻訳を手がけた野谷文昭はラテンアメリカ文学(コロンビアやアルゼンチンなど、スペイン語圏の現代文学)の研究や翻訳で著名な方で、「解説」もセルバンテスがラテンアメリカ文学に与えた影響という観点で書かれています。

 

特に『百年の孤独』で有名なガブリエル・ガルシア=マルケスとの比較がなされているのですが、この観点は目新しく、個人的にラテンアメリカ文学にはかなり関心を持っているので、「解説」は読んでいてすごく楽しかったです。

 

 

あとはセルバンテスの短編小説は今まで読んだことがなかったですし、読んでみようと思ったことすらなかったのですが、収録されている三編、「美しいヒターノの娘」「ビードロ学士」「嫉妬深いエストレマドゥーラ男」は、いずれも予想以上に面白かったので驚きました。

 

物語の筋はシンプルで面白く、それでいてロマンスの雰囲気と静かな狂気が入り混じる感じは独特で、これはうれしい発見というか、セルバンテスの短編を他にも読んでみたいと思わされました。そんな風に、セルバンテスの魅力が詰まった一冊です。

 

作品のあらすじ

 

ドン・キホーテ 抄(野谷文昭訳)

 

ラ・マンチャ地方の村に、間もなく五十歳を迎えようとしている、やせぎすだが頑丈な体をした一人の郷士がいました。四十過ぎの家政婦と、二十歳前の姪、使用人と暮らしていましたが、やがて騎士道小説に夢中になってしまいます。

 

 つまり、彼は本の虫となり、毎夜一睡もせず、夜が明ければ日が暮れるまで読書三昧というありさまだったので、寝不足と読みすぎが原因で脳みそが干からびてしまい、正気を失った。彼の頭は本で読んだ、魔法、喧嘩、戦い、決闘、手負い、女性への褒め言葉、色恋沙汰、感情の爆発、およそありえない荒唐無稽の数々といった想像の産物でぎっしり埋め尽くされた。そのため、本の中の作り事は何もかも本当のことで、自分にとって世の中にこれほど確かな話はないと思い込んでしまった。(13~14頁)

 

自分の名前を由緒正しい騎士にふさわしい「ドン・キホーテ」に変え、生国を後ろにつけた「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗ることにし、馬は「かつて(アンテス)は駄馬(ロシン)だった」という意味を込めて、「ロシナンテ」と名付けます。

 

騎士には思いを寄せる姫が必要なので、近くの村にアルドンサ・ロレンソという名の農家の娘がいたことを思い出したドン・キホーテは、彼女をドゥルネシア・デル・トボソと呼ぶことにして、勝手に思い姫に決めたのでした。

 

ドン・キホーテが従者にしたのが、サンチョ・パンサという名の、近くに住む善良な農夫。サンチョは妻子持ちであるにもかかわらず、一緒に冒険に出れば手に入れた島を与えてやると言われて、従者になってしまいます。

 

サンチョは、あまり長く歩くのに慣れていないからとロバに乗ってきて、騎士道小説にそんな前例があったかどうかドン・キホーテは首をひねりますが、いずれ冒険で立派な馬を手にすることもあるだろうとそれを認めたのでした。

 

そうして冒険の旅に出たドン・キホーテとサンチョでしたが、三十基か四十基の風車が立ち並んでいるのを見た時のこと。ドン・キホーテが、並外れた大きな巨人がたくさん現れたと叫んだのを聞いて、サンチョは目を丸くします。

 

「あそこに見えるのは巨人じゃなくて、風車だよ。それに腕に見えるのは本当は羽根で、あれが風を受けてくるくる回り、石臼を動かすんだ」(82頁)と必死で止めようとするサンチョでしたが、ドン・キホーテは全く耳を貸そうとせず、槍を小脇に抱え、ロシナンテを走らせ、風車に全力で突っ込んでいって……。

 

『規範小説集』より

美しいヒターノの娘(吉田彩子訳)

 

ヒターノ(スペインに居住するロマ)に、プレシオサという名で呼ばれる娘がいました。その美しさと歌のうまさが評判を呼び、とある立派な家柄の息子が恋に落ち、プレシオサに求婚します。プレシオサは一つの条件を出しました。

 

それは二年間、ヒターノとしての暮らしをともにすること。それでも心変わりをしなければ求婚を受け入れると。若者はこの条件を受け入れ、アンドレス・カバリェロという名をもらって、自分の家を捨ててヒターノとして暮らします。

 

生活のために時折盗みをするヒターノの文化にアンドレスは馴染めず、盗んだ品で手に入れたとして、自分のお金を出して乗り切るなどして、次第にヒターノの中で認められていきます。しかし、ある村を訪れた時のこと。

 

裕福な未亡人が経営する宿屋に泊まったのですが、そこの十七、八歳の娘フアナ・カルドゥチャにアンドレスは激しい恋心を抱かれてしまったのです。アンドレスを引き留め、自分のものにするためカルドゥチャは、珊瑚と銀の飾り板を盗まれたと嘘をついて……。

 

ビードロ学士(吉田彩子訳)

 

二人の紳士に見出された少年トマス・ロダーハは、サラマンカ大学で法律学と人文学を学びます。新しく出会った友人で、歩兵隊の隊長をしているドン・ディエゴ・デ・バルディビアに誘われて、イタリアを旅したりも。

 

やがてスペインに戻って勉強を続けますが、ある時イタリアにいたことがあるという売春婦が町へやって来ます。知り合いかどうかを確かめるために訪れたトマスは売春婦から一目ぼれをされますが、トマスは勉学に夢中で売春婦に関心を抱きません。

 

そこで売春婦はトマスの心をつかむため、モーロ人の女の助言に従って、トレド産の果物であるマルメロに媚薬を仕込んだのでした。ところがその媚薬はトマスに重大な病気の発作をもたらし、それを知った売春婦は逃げ出します。

 

 トマスは六ヵ月のあいだ病床に伏していましたが、その間にやせ細って、いわゆる骨と皮だけになってしまい、すべての感覚が麻痺している様子でした。出来る限りの手当はしたものの、治ったのは体の病気だけで、判断力は回復しませんでした。健康ではあるが、これまで見たこともない、実に奇妙な狂気に取り憑かれていました。不幸な男は自分の全身が、ガラスでできていると思い込んでいたのです。この思い込みのために、誰かが彼に近づくと恐ろしい声をあげ、整然とした言葉と論理で頼み、懇願するのでした。近づかないでください、壊れてしまいますから、私は事実、本当に、他の人たちとは違うのです、頭から足まで全身がガラスでできているのです、と。(534頁)

 

自分をガラスでできていると思い込んだトマスでしたが、町の人々が話しかけるとどんなことでも即座に鋭い回答をし、それが評判となります。やがて「ビードロ学士」と呼ばれるようになり、大きな注目を集めるようになったのですが……。

 

嫉妬深いエストレマドゥーラ男(吉田彩子訳)

 

スペイン、イタリア、フランドルで放蕩生活をし、四十八歳頃にペルーに渡り、二十年間で財産を蓄えたフェリポ・デ・カリサレスは、望郷の念にかられてスペインへと帰国しました。自分の死後に財産を残してあげる者が欲しいと思ったカリサレス。

 

非常に嫉妬深い性格のカリサレスは、浮気されることを極度に恐れていました。そのため、純粋な若い娘を結婚相手として選ぶことにします。そこで十三、四歳の乙女レオノーラを見初めて結婚し、絶対に浮気できないような環境を作ったのでした。

 

高い塀でまわりを囲み、男が目に入らないように窓はすべて防ぎます。何層にも鍵のかかった扉があり、食料を運ぶにも回転式の窓口を使うほどで、カリサレスがいつも身につけている鍵がないと行き来ができない、頑丈な作りの屋敷。

 

これで絶対に、万が一にも浮気されることはないと思われましたが、そうした難攻不落な要塞のような構造がかえって、暇を持て余した裕福な家の子息たちの心に火をつけてしまいます。楽器の演奏が得意な青年ロアイサは仲間と協力して、屋敷への挑戦を試みて……。

 

とまあそんな四編が収録されています。「ドン・キホーテ」は脱線に次ぐ脱線、みたいな感じで続いていく物語ですが、非常にユニークで面白くて、ドン・キホーテとサンチョがお互いにゲロを吐き合うとか、ひどいけど笑える場面の連続です。

 

そして、それと同時に、創作(フィクション)であることが強く意識された作りになっていて、今風に言うと、ポストモダン文学(近代小説を否定する流れのことです)とかメタフィクション(フィクションであること自体をネタにしたもの)の雰囲気もあります。

 

そのことを作者のセルバンテスがどれくらい意識していたのか、単なる騎士道小説のパロディをやろうとしていてたまたまそうなったのか、それとも文学理論的な、深い企みがあったのかは分かりませんが、ともかく「普通の文学」の殻を破っている印象のある作品です。

 

キャラクターがユニークで面白いのはもちろんのこと、「小説というのはこういうのがお約束だよね」という、本来固定されていて意識にのぼらないはずの「小説の形式」をどんどん自由に逸脱していく、そういったところがむしろ多くの作家に影響を与えた由縁なのです。

 

十七世紀に発表された古い作品ですが、今読んでも新鮮に感じる新しさがあると思うので、「ドン・キホーテ」という名前は知っているけれどまだ読んだことがないという方は、この機会にこの本を手に取ってみてはいかがでしょうか。