ポケットマスターピース12(桜庭一樹編)『ブロンテ姉妹』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。
いつかこのブログに戻って来るなら、絶対にやりたいと思っていた企画が、今回から紹介が始まる「ポケットマスターピース」という、集英社から出ている文庫の文学全集の全巻読破。なにせぼくは無類の全集好きなもので。
「ポケットマスターピース」は、2015年から2016年にかけて刊行されていたシリーズで、巻末に丁寧な作品ごとの解説、そして作者の著作や主要文献の目録がつけられていることに大きな特徴があります。
紙の本には情報がアップデートされていかないという欠点があるわけですが、それでも著作目録を見れば、日本でどんな翻訳があるのかある程度分かるので、気になった作品をどんどん読んでいけますし、まとまった主要文献の目録は調べものに便利そうです。
また、これは巻によりますが、書簡集(作者が知人にあてて書いた手紙などを集めたもの)が収録されていることがあり、作者の生活を垣間見ることができ、文庫という小さいサイズながら「文学全集」の醍醐味を味わわせてくれます。
「ポケットマスターピース」が発売された当時は、抄訳(一部分の翻訳)が多いコレクションだなという印象で、だったら別の形で(すなわち全訳のものを)読んでいこうと思ったというのが正直なところでした。
ただ、それから何年も経って、読んだことのある文学作品の印象も薄れ、もう一度世界の文学を色々と読んでみたいなと思った時に、真っ先に思い浮かんだのがこの全集。なにしろ文庫のデザインがかわいくて、ずっと忘れられなかったんですよね。
さて、というわけで、今回紹介するのは「ブロンテ姉妹」の巻。『ジェイン・エア』で有名な姉のシャーロット・ブロンテ、『嵐が丘』で有名な妹のエミリ・ブロンテ、そして日本での知名度はそれほどない末妹アン・ブロンテの、三人の姉妹の作品が収録されています。
収録されている作品でメインとなっているのは、女家庭教師(ガヴァネス)の人生を描くアン・ブロンテの『アグネス・グレイ』で、今まではみすず書房の「ブロンテ全集」ぐらいでしか読めなかったので、文庫で読めるようになったのは嬉しいですね。こちらは全訳。
シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』も収録されているのですがこれは抄訳で、所々カットされて物語の前半、三分の一辺りまで。波瀾万丈の物語の波瀾万丈の部分には到達しない、明るい雰囲気のところまでが収められています。(すなわちゴシックホラー的な怪奇現象の解決はされず)
エミリ・ブロンテで収録されているのは『嵐が丘』ではなく詩ですが、『嵐が丘』を知っている人はより楽しめる感じというか、なるほど『嵐が丘』の作者だなという印象を間違いなく受けるであろう、自然描写と激しい心理のゆらめきが綴られています。
作品のあらすじ
エミリ・ブロンテ「詩選集」(田代尚路訳)
訳者による「作品解題」によると、「エミリとアンの共同作業から生まれた想像上の王国」(707頁)である「ゴンダル」を舞台にした、囚人が登場する、物語の一部のような詩や、ヒースと呼ばれる草の生えた荒地の風景などを詠んだ詩が収録されています。一節を引くとこんな感じです。
ほの暗い朝の光が 琥珀色 青色へと溶けこんでいくなか
わたしたちは晴れやかに目を覚ました――
朝露したたる草地を横切るとき
わたしたちの足に 勢いのよい翼が生えた
荒野(ムア)へ 短い草が わたしたちの足もとで
ビロードのように広がる 荒野へ!
荒野へ 丘をわたる道が 日の光を浴びて
澄んだ空へとのぼっていく 荒野へ!(39頁)
シャーロット・ブロンテ「ジェイン・エア 抄」(侘美真理訳)
両親を失い、引き取られた親戚の元では愛されず、ローウッド学校という慈善寄宿学校に送られてしまった〈私〉ジェイン・エアは、様々な困難を乗り越えて成長し、ガヴァネス(女家庭教師)として、独立した生計を立てていくことを決意します。
ソーンフィールドという場所で、幼い女の子の家庭教師をすることになりますが、主人のロチェスター様は屋敷に不在で、まるで青ひげ城を思わせる薄暗い廊下を歩いていた時には、「どこが異質だがはっきりとして、かつ妙に堅苦しく重く響いた」(76頁)奇妙な笑い声が聞こえます。
家政婦に笑い声について尋ねますが、「きっと使用人の誰かじゃないですか」(76頁)と取り合ってもらえませんでした。そのまま数ヶ月が過ぎ、〈私〉が散歩がてら2マイル離れたヘイの村に手紙を投函しに行った時のこと。夕暮れの薄闇の中、けたたましい音が近付いてきます。
「馬やラバや大きな犬の姿をした精霊が人気のない道に現れ、時に行き暮れた旅人を襲う」(85頁)という、イングランド北部に伝わる精霊「ガイトラッシュ」を連想した〈私〉ですが、やがてそれは恐ろしい妖精ではなく、大きな犬と、馬に乗った男性であることが分かりました。
馬が薄氷で足を滑らし、男性は落馬します。「顔色は浅黒く、眉が太くて厳しい顔つき」(88頁)の三十五歳ぐらいのその男性に、〈私〉は手を貸そうとしましたが、男性は不機嫌そうな態度を取り、そのまま怪我をおして去っていってしまったのでした。
やがて、決して美男子とは言えないものの内に秘めた魅力を持つその男性こそが、ソーンフィールドの主、ロチェスター様であることが分かります。ロチェスター様は常に不機嫌で傲慢な態度を取り、また、〈私〉も譲らない性格であるが故に、意見の食い違いで時折衝突する二人。
ロチェスター様と、学校を卒業したばかりの若い〈私〉は、主従関係や歳の差を越えて、顔を合わせるとへらず口を叩き合うような間柄となります。
いつしか、不器用さの中に繊細な一面も見せるロチェスター様に惹かれていった〈私〉でしたが、やがてロチェスター様と、身分もあり、美しい婦人が結婚するという噂が聞こえてきて……。
アン・ブロンテ「アグネス・グレイ」(侘美真理訳)
商人をしている友人の儲け話に乗った父親が、思いがけない船の難破によって財産を失ってしまいました。危機に陥った一家を助けるため、十八歳の〈私〉アグネス・グレイは、ガヴァネス(女家庭教師)になることを宣言します。
つてをたどって、ブルームフィールド家で働くことが決まりますが、ブルームフィールド家の人々は冷たく、また教える息子も娘もわがままで全く言うことを聞いてくれず、それでも「忍耐、決意、根性」を武器になんとかがんばろうとする〈私〉。
しかしやがて解雇されてしまい、まわりはもう働きに出ることを止めますが、諦めない〈私〉は今度はホートン・ロッジにあるマリー家で働くことになったのでした。十六歳のロザリー、その二歳半ほど年下の妹マティルダに様々な教科を教えますが、二人とも気まぐれで、なかなか身につきません。
ロザリーが十八歳になって社交界デビューすると、教えることが減った〈私〉はゆとりのある時間を持てるようになり、目の病気で苦しんでいる人など、困っている村人の元を訪ねるようになりました。するとそこで、新しく村に来た副牧師のエドワード・ウェストン氏のいい噂を耳にします。
〈私〉は元々、ウェストン氏の説教を聴いた時に、「その素朴で飾らない真面目な態度と、明快で力強い話し方」(498頁)に好感を持っていましたが、村人から、教区正牧師のハットフィールド氏とはまるで違う人で、よく訪ねてくれるし、たとえば炭の蓄えがつきて困っていると持ってきてくれたりするという話を聞いて、嬉しくなります。
私はそのとき、なんとも勝ち誇ったような気分で、あることを思い出していた。そういえば、あの微笑ましきマリー嬢はウェストン氏のことを恐ろしく品のない人、とよく言っていた。時計は銀製のものだし、ハットフィールド氏のような真新しい服だって着やしないし、とそう言っていたのである。
屋敷に戻る途中、私はとても幸せな気分だった。神に感謝せずにはいられなかった。ようやく自分には考える何かができたのだ。このうんざりするくらい単調な生活からほんの束の間抜け出して、よくよく考えてみたいことができたのである。(523~524頁)
ある時、いなくなった飼い猫が、間違って猟銃で撃たれはしないかと心配している村人を勇気づけていると、ウェストン氏が猫を見つけてきてくれました。雨が止むまでと少しだけ話をし、それをきっかけに〈私〉とウェストン氏は偶然会った時は、話しながら散歩をするような間柄になります。
土手の高いところにあった三本のかわいくてきれいなプリムラの花を、ウェストン氏が取ってくれました。その内の二本はグラスに活けて完全に枯れるまで長い間部屋に置いておき、残りの一本は聖書の頁に挟み込んで押し花にします。
やがて、〈私〉にとって思いがけないことが起こりました。自分の魅力に絶対的な自信を持っている教え子のロザリーは、男性を振り向かせることに強い関心を抱いており、しばらくそのたわむれの相手だったのが、ハットフィールド氏。
しかし、ハットフィールド氏の心を容易につかんでしまったロザリーは、「私はね、ハットフィールドさんの代わりに、今度はウェストンさんに目をかけるつもりよ」(586頁)と、今度はウェストン氏に狙いを変えたのです。
ロザリーが自分の魅力を最大限に使って、ウェストン氏の関心を引こうと試みる中、〈私〉は無理矢理に仕事を押しつけられるなどして、自分の時間が奪われ、自由に村へと行くことができなくなってしまって……。
という内容の一冊です。「アグネス・グレイ」も決して面白くなくはない小説なのですが、そうかといって面白いと言い切れるほど、ずば抜けたなにかがないという印象ではあります。同じくガヴァネス(女家庭教師)が主人公の「ジェイン・エア」と比較すると、それが明らかです。
「ジェイン・エア」の主人公ジェインはちょっと変わっているというか、素直とは言えない、ひねくれている部分があるのですが、その歪んでいる部分も含めて魅力的というか、ジェインのことは「何だかよく分からないけれど好き」という読者はきっと多いだろうと思うんですよ。(ぼくもそう)
つまりそれは分かりやすく言えば、「キャラ立ち」しているということで、「ジェイン・エア」という物語は、キャラクターにせよストーリーにせよ大袈裟でドラマチックなものなのです。その辺りも「ジェイン・エア」の大きな魅力でしょう。
ただ、それはそれで物語として面白くてよいわけですが、裏返した見方をすると、現実味に欠けるものということでもあります。リアリズム(現実的な)を重んじる観点からすると、むしろ、淡々とした日々を克明に描いた「アグネス・グレイ」の筆致の方が、評価されることとなるわけです。
まあその辺りは好みですね。怪奇現象を思わせる出来事が起こったり、ゴシックホラーを思わせるおどろおどろしい雰囲気もある「ジェイン・エア」の方がぼくは好みですが、なにせこの本では抄訳なので、改めて全部を読み直してみたくなってしまいました。
収録されている「解説」や「作品解題」では、ブロンテ姉妹が作家になるまでのエピソードや、文学史的な評価の揺れ動きなどについても触れられているので、その辺りに興味のある方にもおすすめの一冊となっています。