ポケットマスターピース05『ディケンズ』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース05(辻原登編)『ディケンズ』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

「ポケットマスターピース」の中でも、おそらく最も読みやすい一冊ではないかと思われるのが、今回紹介する「ディケンズ」の巻です。

 

ディケンズの小説は、たとえばバルザックのように、文体が凝っているというか癖があるわけではないので、文章がとても読みやすいです。逆に問題となってくるのは、長編小説であるが故に、登場してくる人物が非常に多いこと。

 

たくさんキャラクターが出てくると、誰が誰なのかわけがわかなくなる恐れがあるところなのですが、この「ポケットマスターピース」のディケンズの巻では、各編ごとに丁寧な「登場人物紹介」がつけられているので、その点は安心です。

 

収録されているのはディケンズの長編小説が三編で、「デイヴィッド・コッパフィールド」と「骨董屋」と「我らが共通の友」。ただし、いずれも文庫本にして何冊にもなる長編小説なので、三編とも抄訳(一部分の翻訳)です。

 

ディケンズの代表作の一つ『デイヴィッド・コパフィールド』は、新潮文庫の中野好夫訳が全四巻、岩波文庫の石塚裕子訳が全五巻で出ていて、このブログでも以前(2013/08/08)新潮文庫版で紹介をしたことがあるので、次もし読み直すなら岩波文庫版ですかね。

 

 

ともかく、それだけ長い作品なので、この巻に収録されているのはほんの一部分で、所々カットというかダイジェストをまじえながら、主人公の乳母の兄に引き取られた「おチビのエムリ」という美少女にまつわるエピソードがメインとなっています。

 

「骨董屋」は、今は紙の本は手に入りづらいですが、かつてちくま文庫で北川悌二訳が上下巻で出ていました。「骨董屋」は文学好きの間では結構有名な作品で、あのドストエフスキーが影響を受けた作品としてよく知られています。

 

それ故に、なんとなくキャラクターとか話の筋とかは知ってしまっていたのですが、ちゃんと読んだことがなかったので、「これがあの伝説の『骨董屋』かあ」と嬉しくなりながら読みました。これもまた抄訳ですが、飛ばし飛ばしながら結末までがしっかりと描かれていたので、満足度は非常に高かったです。

 

「我らが共通の友」はかつてちくま文庫から上中下で間二郎訳が出ていて、この「ポケットマスターピース」の抄訳では、起承転結の転ぐらいのところで「後略」となってしまいます。「デイヴィッド・コッパフィールド」は読んだことがあったのでまだ大丈夫でしたが、これは「えっ?」と思って、続きが滅茶苦茶気になりました。

 

物語の筋がかなり面白くて、しかも予想外の展開にぐっと引き込まれたところで終わってしまったので、「解説」でその後の筋もおおよそ把握はしたのですが、それもまた非常に気になる展開が書かれていて、落ち着いたら「我らが共通の友」は全訳でちゃんと読んでみたいですね。

 

作品のあらすじ

 

「デイヴィッド・コッパフィールド 抄」(猪熊恵子訳)

 

生まれる前に父を亡くし、可愛いけれど気の弱い母、そして召使いのペゴティと暮らしていた〈僕〉デイヴィッド・コッパフィールド。やがて母の元に黒い頬ひげの男が訪ねてくるようになります。ぼくは母を取られたようで、なんとなくその男のことを気に入りませんが、仕方がありません。

 

二週間ほど、ペゴティの親戚が暮らすヤーマスへ行くことになりました。そこにはペゴティの兄に引き取られた「おチビのエムリ」と呼ばれる女の子がいて、〈僕〉はすっかり仲良くなります。まわりの人を海で亡くしているエムリは海を怖がりますが、こういうのは怖くないのと思いがけないことをします。

 

 彼女は僕のそばからぱっと駆けだすと、足元から海に向かって突き出したギザギザの丸太の上をひょいひょいと歩き出した。丸太はかなりの高さで海の上に掛かっていたうえ、手すりもなにもついていなかったけれど、そんなことてんでお構いなしだった。この出来事は僕の脳裏に焼き付けられた。もし僕が絵描きなら、今ここで、あの日のままの情景を寸分たがわず描き出せるだろう。そう、チビのエムリが破滅へむかって飛び出していくところを(僕にはそんなふうに思えた)、そして、遠い遠い海のかなたを見つめる、決して忘れようもないあの眼差しを。(82頁)

 

母のいる家に戻った〈僕〉は、ペゴティからお父さまに会いに行こうと言われてびっくりします。教会の墓地を連想したから。ところがなんと、母はあの黒い頬ひげの男、エドワード・マードストンさんと再婚していたのでした。やがてマードストンさんの姉もやって来て、家の鍵束を管理し始めます。

 

召使いによる盗難防止のために、棚には鍵がかけられているのが当時は当たり前だったのですが、その鍵束を持てないということはすなわち、母は女主人の座を失ってしまったということ。〈僕〉もまた、勉強がうまくできないとマードストンさんから鞭(むち)で叩かれるなど、辛い暮らしが始まります。

 

次々と起こる思いがけない出来事を乗り越えていき、なんとか学校を卒業して十七歳になった〈僕〉は、傲慢で気分屋なところがあるが、容姿端麗で勇敢、魅力的な、少し年上の旧友ジェイムズ・スティアフォースと再会し、一緒にヤーマスへ旅をすることとなり、成長したエムリと再会を果たしたのですが……。

 

「骨董屋 抄」(猪熊恵子訳)

 

両親を亡くした十三歳の少女ネルは、骨董屋を営む祖父と暮らしています。貧しさのせいで娘を失ったと思っている祖父は、孫娘にはお金の苦労とは無縁で暮らせるだけのたくさんの財産を残してやりたいと思っていたのでした。

 

それ故に祖父は賭け事に手を染めてしまい、狡猾な小男ダニエル・クウィルプからお金を借りるようになってしまいます。ネルに目をつけ、病弱な妻が亡くなったらネルをその後釜にしようと画策し始めるクウィルプ。

 

借金がかさみ、ついに骨董屋をクウィルプに奪われ、ショックで病の発作を起こした祖父は子供のようになり、正常な判断ができなくなってしまいます。クウィルプから逃れるため、ネルは祖父を連れて旅立ったのでした。

 

クウィルプ以外にも、ネルの祖父に隠し財産があると思い込んだ人々が二人の行方を追い始めます。道中、親切にしてくれる人たちもいたのですが、祖父がお金欲しさに盗みを働いたりするため、ネルはそこを離れる決心をします。長い長い道のりを歩くネルと祖父。

 

「あの人から聞くには、ずいぶん辛い道だっていうじゃないか」祖父は泣き言を言うようにして答えた。「他の道を行くわけにはいかんかな? この道じゃないのを行くわけにはいかんかね?」
「この道をずっと行ったところに」少女はきっぱり言った。「あたしたちが心穏やかに、悪い誘惑にそそのかされることもなく、暮らしていけるところがあるの。そんな場所に向かって続くこの道を進んでいくのよ。たとえ弱い心が思い描く道のりよりも、百倍もおそろしい道が待ってたとしたって、あたしたち、この道から絶対に外れちゃいけないわ。ねえおじいちゃん、そうでしょ、そうよね?」
「そうだな」声にも態度にも煮え切らない様子を滲ませながら、老人が言った。「そうだな。行こう。わしも覚悟ができたよ。そうとも、すっかり覚悟ができたよ、ネルや」(390頁)

 

かつて骨董屋で使い走りをしていた少年キット・ナップルズは、立派な家で奉公できるようになるという思いがけない幸運と、クウィルプらの罠で窃盗の罪を着せられてしまうという不運に見舞われながらも、やがて姿を消したネルとその祖父の行方を探し始めて……。

 

「我らが共通の友 抄」(猪熊恵子訳)

 

テムズ川にジョン・ハーモン氏と見られる死体が浮かびます。ハーモン氏は長年外国暮らしをしており、船で英国に戻って来るところでした。手提げかばんには売りに出した外国の小さな土地の代金、七百ポンドは下らないお金が入っていたはず。

 

おそらく金銭の強奪を目的とした殺人だと思われますが、死体の腐乱が進んでいて、どのように犯行がおこなわれたのかは分かりません。「謎の解明に貢献した者には、百ポンドの賞金を与える」というお触れが出たのでした。

 

ジョン・ハーモン氏は、財産家であった父親の死によって英国に帰国することになったのですが、その財産を受け継ぐ者がいなくなってしまったため、遺言によって、長年父親の召使いをしていたボフィン夫妻がその莫大な財産を受け継ぐこととなります。

 

 この純真無垢な夫婦は、正しいことをせねばならぬ義務感と、正しいことをしたいという願望を道しるべに、これまでの人生を歩んできた。もちろんそんな二人の胸にも、数多の弱さや不条理が去来したことだろう。あまつさえ妻の胸には、ひょっとすると数多の虚栄心も巣食っていたかもしれない。けれど、働き盛りの二人をボロ雑巾のようにこきつかいながら、それでいて雀の涙ほどの賃金しか与えなかった、あの峻厳で強欲な主人さえ、彼らの真っ正直な心根を見あやまることはなかったし、その心根に敬意を表してもいた。ひねこびた気性のうえ、常日頃から自分自身ともこの夫婦とも、なにかと面倒や諍いを起こしてばかりだったにもかかわらず、主人が二人の誠実さを疑うことだけはなかった。そしてこれこそが、この世で永遠に変わることのない真理である。とはつまり、悪は往々にして自らによって躓き自らの行いがもとで死に至るが、善は決して躓かず自らを滅ぼすこともない。(570頁)

 

善いことをしたいと願うボフィン夫妻は、ベラ・ウィルファー嬢を引き取って養育することにします。ベラは何故か老ジョン・ハーモン氏が息子の嫁にと考えていた女性でした。ベラと結婚しなければ財産は受け継がせないとまで遺言状には書かれていたのです。

 

会ったこともない男のせいで喪服を着なければならなくなったベラは、事務員をしている父親の乏しい給料による貧乏な暮らしに、そして貧乏な暮らしがずっと続くであろうことにうんざりしており、自分の将来に明るい兆しが見えたことを喜びました。

 

ベラの家の下宿人であり、やがてボフィン夫妻の秘書になったジョン・ロークスミス氏がベルに想いを寄せますが、豊かな暮らしを望むベラはロークスミス氏のことを受け入れられません。そんな中、ボフィン夫妻の財産を狙う者どもが現れて……。

 

という三編が収録されています。ディケンズの小説はとりわけキャラクターが魅力的で、ユニークな登場人物がたくさん登場します。たとえば、「我らが共通の友」のベラの父親は、教会にいる智天使(ケルビム)みたいだと表現されています。

 

「ぷくぷくの身体、髭のない顔、無垢そのものの表情ゆえに、彼はいつも周囲の人間からぞんざいに扱われ、そうでなくても先輩風を吹かされた」(540頁)と書かれていて、もうそれだけで、どんな人柄か分かる感じで面白いですよね。

 

そしてなんといっても悪役のキャラクター性にとりわけ魅力があって、本当にディケンズの小説はどの悪役キャラクターも魅力的なんですよ。今回で言えば、特に「骨董屋」のダニエル・クウィルプの造形が素晴らしくよくて、ユーモラスさ、残酷さ、愚かさなど、忘れられない印象が残ります。

 

予告編とするにはやや長いですが、とても読みやすい巻なので、この巻を「ディケンズ」最初の一冊にして、興味を持ったものを全訳で読んでみるというのはいかがでしょうか。ディケンズは長い作品が多いのですが、キャラクターも物語の筋も抜群に面白いので、おすすめの作家ですよ。