ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』 | 文学どうでしょう

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ジェイン・オースティン(新井潤美・宮丸裕二訳)『マンスフィールド・パーク』(上下、岩波文庫)を読みました。

 

「好きな作家は?」と聞かれた時にぼくが名前をあげるのが一番多いのが今回紹介するジェイン・オースティン(『高慢と偏見』など)で、それかあとはサマセット・モーム(『人間の絆』など)かチャールズ・ディケンズ(『大いなる遺産』など)ですかね。イギリスの文学、かなり好きです。

 

ジェイン・オースティンはおそらく、新訳が出れば出る度に読み直しますね。それぞれ違った性格の主人公、異なったシチュエーションの六作品の長編小説があるのですが、どれも再読に耐える作品ばかりだと思います。

 

今ジェイン・オースティンを読むなら最もおすすめ、というか決定版とも言えるのが2003年から2010年にかけて刊行されていた、ちくま文庫の中野康司訳で、そこではもう六作品すべての翻訳がそろっています。以前にこのブログで紹介したのもそのちくま文庫版でした。

 

他の文庫だと、おそらく一番の人気作の『高慢と偏見』以外は全然翻訳がないので、「続けて他の作品も読みたい!」と思った時に探すのが面倒だったり、あるいは見つけても翻訳が妙に古かったりすることがあると思うので、初めからちくま文庫で読むのが最もストレスがなくてよいのではないでしょうか。

 

と言いながら、今回紹介するのは新井潤美・宮丸裕二訳による岩波文庫なわけですが、2021年の11月(上巻)と12月(下巻)に発売されたばかりの新訳というのがもちろん大きくて、今回手に取ったのはまさにそれが一番の理由。

 

ただ、この岩波文庫版も素晴らしくよくて、5、600頁ずつの上下巻だったので、「あれ? この作品そんなに長かったかな?」と思いながら読んでいたのですが、丁寧な注と解説がついていました。そしてなんといっても、下巻に併録されているのが、100頁ほどの戯曲。

 

物語の中で、登場人物たちが演劇をやろうとする場面があるのですが、その台本の「恋人たちの誓い」です。本邦初訳とのことで、これはかなり注目に値します。今までは、どんな内容の演劇だったのかはある程度しか分からなかったので。

 

自分たちで演劇をしようとすることが、あまりよいことではないように作中では書かれていたのですが、その理由も訳者解説で分析されていたのがよかったです。より深く『マンスフィールド・パーク』の作品世界に触れられる喜びがありました。

 

また、上巻では物語の時代背景(イギリスの貴族階級や食事の作法など)について、下巻では作者、そして作品についてそれぞれ丁寧な訳者解説がつけられています。この素敵な解説が読めるだけでも岩波文庫版には価値があると思います。

 

いきなり『マンスフィールド・パーク』からジェイン・オースティンを読み始める人はなかなかいないと思いますが、(なにせ長編六作品の中でも、一際控え目な性格の主人公の、地味な物語なので)ジェイン・オースティンの物語世界をより深く知りたい方にはこの岩波文庫版、かなりおすすめですよ。

 

作品のあらすじ

 

今から三十年前のこと。ウォード家には三人の姉妹がいました。次女はなんと準男爵の心を射止めて豊かな暮らしができるようになりましたが、長女と三女はまわりが期待したほどの資産家との結婚はできませんでした。

 

牧師と結婚した長女はまだよかったのですが、三女は学歴も財産もない海兵隊大尉と結婚し、その結婚は家族からは反対されていたものだったので、それから三女はほとんど家族と連絡を取らないようになってしまいます。

 

それから十一年の年月が流れ、夫の稼ぎが少なく、それなのに間もなく九人目の子供の出産をひかえていた三女は、自分の暮らしがいかに大変かを訴える手紙を書き、それをきっかけに姉妹たちの交流は再開したのでした。

 

長女のノリス夫人は、三女の娘の一人を引き取って養育することを次女の一家に進めます。そうすることで三女の一家は一人分の養育の費用がかからなくなるからと。ノリス夫人は、自分はお金は出さないけれど色々計画して口を出したいタイプなのです。

 

そうして貧しい実家から豊かな次女一家が暮らすマンスフィールド・パークに引き取られることになったのが、十歳の少女のファニー・プライス。この物語の主人公です。小柄で顔色が悪く、引っ込み思案な性格の少女でした。

 

ファニーが養育されることになった準男爵バートラム家には四人の子供がおり、十七歳の長男トム、十六歳の次男エドマンド、十三歳の長女マライアと十二歳のジューリアで、みな美男美女で堂々とした態度の子供たちでした。

 

なにしろファニーがいつもおどおどした態度なので、トムからはしょっちゅうちょっかいを出され、マライアとジューリアからは教育がないことで笑われ、気まぐれで遊びに入れてもらえたり、入れてもらえなかったりします。

 

唯一温かく接してくれたのが、思いやりが深くやさしい性格のエドマンドでした。ある時、ファニーの灰色のポニーが死んでしまった時のこと。ファニーの健康維持のためには乗馬が必要不可欠なのですが、おじが仕事で不在中ということもあり、新しい馬は買ってもらえなかったのです。

 

まわりはマライアかジューリアに貸してもらえばいいと言うのですが、ファニーに順番が回って来ることはなかなかありません。見るに見かねたエドマンドは、自分が持っていた三頭の馬の内の一頭を、ファニーでも乗れそうな牝馬と取り替え、いつでも乗れるようにしてくれたのでした。ファニーはとても喜びます。

 

やがて、牧師をしていたノリス夫人の夫が亡くなり、マンスフィールド・パークの牧師館には新しくグランド博士がやって来ました。そしてファニーが十八歳になった頃、グラント夫人の父親違いの弟ヘンリー・クロフォードとその妹のメアリーがやって来て、牧師館で暮らすようになります。

 

ヘンリーは美男子ではないもののその振る舞いと表情には堂々としたところがあり、メアリーは際立った美貌の持ち主でした。バートラム家の子供たちとクロフォード兄妹はすぐに打ち解けて、仲良くなります。

 

メアリーは尊敬すべき人のことを悪く言うなど、思ったことをすぐ口にしてしまうところがあって、礼儀を重んじるファニーとエドマンドはそうした態度がひっかかりますが、エドマンドはやさしい見方をするのでした。

 

「それはあの人が明るい人で、自分や人を面白がらせられるものならなんでも利用するからだよ。意地が悪かったり、品がなかったりするのでないかぎり、それはまったく問題がないし、クロフォードさんの表情や様子にはそんなことはひとかけらも見られないね。きついところや、下品で粗野なところはまったくない。まったくもって女性らしい人だ。僕たちが今話したこと以外の点ではね。あのことは許し難いけれども。君が僕と同じ意見で嬉しいよ」。
 エドマンドこそがファニーの考え方を方向づけて、その愛情を得てきたのであることを考えると、ファニーがエドマンドと同じ意見であるのも不思議はなかった。とはいえこの話題に関しては、意見が分かれてくる危険も生じてきていた。エドマンドは今やクロフォード譲への賞賛の道を歩み出しており、ファニーがついて来られないところへ行ってしまう可能性があったからだ。(上巻、119頁)

 

エドマンドはメアリーのハープを聴きに牧師館に足繁く通うようになり、いつもはファニーに貸してくれていた牝馬もメアリーに貸してあげるようになります。メアリーの欠点はまるで見えなくなってしまったかのようでした。

 

ファニーはまた、ヘンリーにも気に入らないところがあります。自分のいとこのマライアとジューリアの両方に粉をかけて、嫉妬させあい、自分に関心を寄せさせて楽しんでいるようだったから。特にマライアには婚約者がいるので、それが正しい態度とは思われません。

 

やがて、自分になびかないファニーに興味を抱くようになったヘンリーは目標をファニーに切り替えて、自分に惚れさせてみせると妹に宣言します。「いいや、ファニー・プライスでないと満足できないんだ。ファニー・プライスの心に小さな穴を開けなければね」(上巻、402頁)と。

 

そうしてヘンリーの猛烈なアタックが始まり、ひたすらに困惑するファニー。求婚を断るファニーですが、やさしい性格なので伝わらず、そしてヘンリーが財産家なので、まわりの人々は結婚するように圧力をかけてきて……。

 

はたして、絶体絶命の窮地に追いやられたファニーの運命やいかに? 控えめな性格だけれど、やさしい心を持つファニーは、幸せを手にすることができるのか!?

 

というお話です。マンスフィールド・パークで暮らすバートラム家とそこで養育されることになったファニー、そしてクロフォード兄妹の物語で、登場人物はそれほど多くなく、その関係性や心理の変化が淡々と描かれていきます。

 

ジェイン・オースティンの小説は、もしかしたら好きか嫌いは分かれるかもしれなくて、どれも結構地味な物語なんですよね。ぼくはすごく好きなのですけど、人によっては退屈という印象を受けることもあるかもしれません。

 

なにしろ物語のピークになるのが「誰が誰と結婚するか?」という点なので。ただ、そこに関心を抱かせてぐいぐい読ませるだけのユーモアというかウィットがジェイン・オースティンの文章にはあって、ずば抜けた人間に対する観察眼の鋭さが光ります。

 

特に、計画を立てるのが好きで、口は出すけれど全然お金を出そうとしないノリス夫人のキャラクターは面白くて、いかにもその辺にいそうなリアルな人物で、現実にもありそうなやり取りが書かれているのにどことなくコミカルさがあって、ノリス夫人が出るところではいつも笑ってしまいました。

 

ジェイン・オースティンの長編の中でも一際地味な作品なので、何作品か読んでからこの『マンスフィールド・パーク』を読むのが本当はおすすめなのですが、あらすじを読んで興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。