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コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『ザ・ロード』(ハヤカワepi文庫)を読みました。
コーマック・マッカーシーの作品を読んだことがなくても、映画化作品はご存知かもしれません。一番有名なのは、コーエン兄弟が監督をつとめた2007年のアカデミー作品賞受賞作『ノーカントリー』。
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犯罪を描いたクライムもののようでありながら、普通のクライムものとは明らかに異質な雰囲気の映画で、コーエン兄弟監督のファンの間でも好みが分かれている作品ですが、一度はぜひ観てみてください。
海外文芸というだけでもハードルが高くなってしまうので、日本ではまだまだそれほど読まれていないコーマック・マッカーシーですが、本国アメリカでは、ベストセラーになっている作品が多いようです。
これはすごく不思議な話で、文学的評価が高い作品は売れず、それとは反対に、売れている作品は文学的評価が低いということがよくあります。芥川賞とライトノベルの比較が分かりやすいかもしれません。
芸術性を重んじる純文学は、売れないけれど文学的評価が高く、娯楽性の高いエンタメ小説は、文学的評価が高くないけれど売れるというケースが多く、文学的に評価されつつ売れるケースは珍しいのです。
コーマック・マッカーシーはまさにそうした極めて珍しいケースの作家で、近年ではノーベル文学賞の候補にあがるほど文学的に高く評価されていながらなおかつ爆発的に本が売れ、読まれているのでした。
さて、今回紹介する『ザ・ロード』はピュリッツァー賞を受賞している作品。ピュリッツァー賞は主にジャーナリズムに対して与えられるアメリカの権威ある賞ですが、実は、文学や音楽の部門もあります。
文学の受賞作はたとえば、パール・バック『大地』、スタインベック『怒りの葡萄』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、ヘミングウェイ『老人と海』、ハーパー・リー『アラバマ物語』など。
過酷な自然環境や差別に立ち向かうなど、テーマ的に共通する部分が多く、歴代受賞作を見るとなるほどなあと思わされます。娯楽として面白いというよりは、心揺さぶられ考えさせられる作品が多いです。
というわけで、「地球滅亡SF特集第二弾」の中の一冊として、今回『ザ・ロード』を紹介しているわけですが、ストーリーや設定は終末SFそのものでありながら、明らかに雰囲気が違う作品なのでした。
純文学かエンタメかで言えば純文学よりの骨太なタッチの作品なだけに読む人を選びそうですが、設定はSFでありながらピュリッツァー賞を受賞した小説とは一体どんな感じなのか、気になった方はぜひ。
2009年に、ヴィゴ・モーテンセン主演で映画化もされています。
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原作にかなり忠実に作られているので、鍵カッコすらない小説の独特の文体につまずいた人は映画を先に観てから読むのもおすすめです。
作品のあらすじ
こんな書き出しで始まります。
森の夜の闇と寒さの中で眼を醒ますと彼はいつも手を伸ばしてかたわらで眠る子供に触れた。夜は闇より暗く昼は日一日と灰色を濃くしていく。まるで冷たい緑内障が世界を霞ませていくように。彼の手はかけがえのない息に合わせて柔らかく上下した。合成樹脂の防水シートを身体の上からのけ悪臭をはなつ服と毛布をまとった姿で立ちあがって少しでも光が見えていないかと東に眼をやったが光はなかった。(7ページ)
荒廃した神なき灰色の大地を彼と少年は南下していました。もう随分暦を記録していないので正確なことは分かりませんが、おそらく今は十月頃で本格的な冬が来るとこの辺りではもう生きていけないから。
少年が眼をさますと、ショッピングカートに荷物を詰め込んで旅を続けます。荒れ果てた大地のどこにも生き物の姿はなく市街地は廃墟と化していました。食料がなかなか手に入らない苦しい旅が続きます。
どんどん寒くなりついに雪が降り始める季節になってしまいました。
午前中二人は足早に歩いた。とても寒かった。昼近くにまた雪が降りだしたので早めに野宿をして防水シートの下にしゃがみ雪が火の上に降るのを眺めた。
(中略)彼のナップサックのポケットに見つけた小分け袋半分の最後のココアを少年のカップで湯に溶かし自分のカップには湯だけ注いでふうふう息を吹きかけた。
それはしないって約束だったでしょ、と少年がいった。
え?
わかってるはずだよ、パパ。
彼は湯を鍋に戻して少年からカップを受けとりココアをいくらか自分のカップに移してから少年にカップを返した。
油断もすきもないんだから、と少年はいった。
そうだな。
ちっちゃな約束を破る人はおっきな約束を破るようになる。パパがそういったんだ。
そうだった。でも大きな約束は破らないよ。
(41~42ページ)
二人は州道を南下していきます。少年はどうして州道というのかを尋ね、以前は州というものがあったのだと彼は答えました。もう道路に車やトラックは走らないんだねと少年が聞き、ああと彼は答えます。
タイヤがパンクし欄干を突き破って川の上へ数フィート突き出ている壊れたトレーラーを見つけました。なにかあるかと思って中を探しますが既に持ち去られた後らしく、食料も何も見つかりませんでした。
薄く漂い流れる煙の中を歩き続けていた二人は、火が道を横切ったらしくアスファルトが熱くなっていることに気付きます。タールが靴底に粘りつくようだったので、その日は移動をやめることにしました。
翌朝、アスファルトが冷えたのを確認して再び移動を始めた二人でしたが、路面に刻印された足跡に出くわして、ぎょっとします。誰かなと少年は言い、誰であっても知らない人だと彼は警戒を強めました。
ひそかに跡を追った二人は、片足を引きずりながら歩くその足跡の主が、雷に打たれて死にかけている人間であることを知ります。少年は助けてあげたがりますが彼はどうすることも出来ないと言いました。
それきり少年は口をきかなくなったので彼は、「あの人はもうすぐ死ぬ。なにか分けてあげたらこっちも死ぬ」(60ページ)パパとお前にしてあげられることは何もなかったのだと言い、少年は頷きます。
やがてトラックで移動する一団に狙われますが、拳銃を突きつけなんとか窮地を脱しました。ぼくたちは今でも善い者なの? と怯える少年は尋ね、自分たちはこれからもずっと善い者だと彼は答えました。
遠くに煙が見えたので注意しながら近付いてみることにします。避難民の集まりかも知れませんし、悪者の一団かも知れませんが、今はもう危険をおかしてでも食料を手に入れなければならない状況でした。
彼は拳銃を手にし、ぴったりくっついていろと少年に言います。二人は破壊工作隊員のように一ブロックずつ街路を進んでいきました。しかし、街はすでに略奪された後で目ぼしいものはなにもありません。
丘に戻ると急速に闇と寒さが押し寄せて来て、少年はもうおなかがぺこぺこだよ、パパと言います。犬の声が聞こえると、ぼくたちその犬殺さないよね、パパ? と少年は言い、殺さないと彼は答えました。
高架道の下に放置された自動車の中で体を休めますが、闇と沈黙の中でいくつかの明かりが街にぽつぽつと現れるのを見ます。みんななに食べてるの? と少年は尋ねますが、彼は答えをはぐらかしました。
夜中に眼が醒めた彼は耳をすました。自分が今どこにいるのか憶い出せない。そう考えて思わずにやりとした。われわれは今どこにいる? と彼はいった。
なんなの、パパ?
なんでもない。大丈夫だよ。寝なさい。
これからも大丈夫だよね、パパ?
ああ。大丈夫だ。
悪いことはなにも起こらないよね。
そのとおりだ。
ぼくたちは火を運んでるから。
そう。火を運んでるから。(95~96ページ)
朝になると冷たい雨が降っていました。雨脚が弱まった昼過ぎに動き出し、再び街に行って何軒かの家を捜索し、いくつかの家庭用品と衣服を手に入れました。誰かの視線を感じますが人の姿は見えません。
少年は男の子がいたと言いますが「男の子なんかいやしない。いったいなにやってるんだ?」(98ページ)と怒る彼。動くなと言っておいたのに勝手に動いたから。少年は男の子のことを心配し続けます。
「探しにいこうよ、パパ。あの子を見つけて一緒に連れていこうよ。あの子も犬も一緒に連れていこうよ」(99ページ)と少年は言いますが、彼は駄目だと言い、先を急ぎます。口をきかなくなった少年。
食べ物がまったくなくなり、五日間何も食べず、ほとんど眠っていない状態で街はずれの大邸宅の跡にたどりつきました。誰かいないか調べていると、鍵のかかった、食料貯蔵室らしき小部屋を見つけます。
シャベルで鍵を開けて中に入っていくと、そこにはおぞましい光景がありました。何人かの裸の人間が囚われていて、助けてと言ったのです。ある男は両脚がなく、切り口が焼かれて、黒く焦げていました。
彼と少年は慌てて家を離れ、垣根に身をひそめます。その家で暮らしているらしき顎ひげを生やした四人の男と二人の女が庭をうろついていました。心臓は激しく動悸し、怯える彼は拳銃を握り、考えます。
「お前にそれができるか? その時が来たら?」(131ページ)彼は少年に苦しい思いをさせるぐらいなら、自分の手で楽にしてやるつもりなのでした。隠れたまま夜になり、家からは悲鳴が聞こえます。
闇にまぎれて、なんとか捕まらずに逃げ出すことが出来ました。あの人たち殺されるんでしょ? と少年は聞きます。続けて、なんで殺さなくちゃいけないの? と聞かれた彼は、わからないと答えました。
しかし少年は食べちゃうんだよね、そうでしょ? と言い「でも助けてあげられないのはぼくたちも食べられちゃうからだよね」(146ページ)と言ったのでした。それきり少年は口をきかなくなります。
彼は何を考えているか尋ね、怒らないから話してごらんと言うと今まで泣いていたかのような顔に見える少年は、ぼくたちは誰も食べないよね? と尋ねたのでした。彼は飢えていても食べないと答えます。
やがてある家でコンクロートブロック製のシェルターを見つけ二人は喜びました。その小さな部屋には、トマト、桃、豆、杏、ハム、コンビーフの缶詰や、水を詰めたポリタンクなどが保管されていたから。
小型のコンロを使ってバスタブに湯をためて、久しぶりにお風呂に入り、新しい服を着て眠りについた二人。しかし、二人とも分かっていました。ここに安全にいられるのは、ほんのわずかだということを。
何日かしてカートに乗せられるだけのものを積んで二人は再び旅立ちました。ここで暮らせたらいいんだけどなと少年は言い、彼もその気持ちはわかると言いますが、いつ悪人がやってくるか分かりません。
「予想していないときに面倒が起きるんだとしたらやらなくちゃいけないのはいつも予想しておくことだろう」(173ページ)という信念を持つ彼は、温かい地を求め、少年と過酷な旅を続けていきます。
しかし、ついに、彼と少年に大きな危機が訪れることとなって……。
はたして、絶体絶命の危機に直面した、彼と少年の運命はいかに!?
とまあそんなお話です。どうして世界がこれほど荒廃してしまったのかの説明はされていません。少なくとも地球がどの生き物も生存することが難しいほどの異常気象に見舞われてしまったことは確かです。
SF的に言えば巨大な隕石の墜落、現実的に言えば核爆弾が使われた第三次世界大戦後の世界という感じでしょうか。他人を襲って食料を奪うだけでなく、人そのものも食べる悪人がはびこる恐ろしい世界。
そんな夢も希望もない世界の中で、善き者であろうとし、”火を運ぼう”とする父子の物語です。ストーリーの起伏が激しく、のめり込んで読めるエンタメ小説とはほど遠い淡々としたタッチの地味な作品。
決して読みやすい小説ではないですが、テーマ的に興味を引かれたという方は、読んでみてください。娯楽作とはまた違った心の動かされ方をする小説であることは間違いありません。おすすめの一冊です。
また少し間が空くかも知れませんが、「地球滅亡SF特集第二弾」次回は、P・D・ジェイムズ『トゥモロー・ワールド』を紹介します。