盛田隆二『夜の果てまで』 | 文学どうでしょう

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盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)を読みました。

現実でもそういう場合があると思いますが、物語では歳の離れた男女の恋愛が描かれることがあります。特に、ハードボイルドや冒険小説でよくあるのが、主人公の中年男性が若い女性に好かれるパターン。

中年オヤジとピチピチギャルの組み合わせというのは男臭い物語ではある種お約束となっていて、よく見かける組み合わせだと思います。

男性が年上で女性が年下というパターンがあるならば、当然ながら女性が年上で男性が年下というパターンもあるわけですが、そうなると俄然物語は不倫劇など、いわゆるどろどろ感が強くなっていきます。

ぼくは残念ながら見ていなかったのですが、たとえば、鈴木京香と長谷川博己が共演し、後に映画化されたことでも話題になったNHKドラマの『セカンドバージン』もそういう関係性を描いた作品でした。

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そうした女性が年上の年の差カップルを描いた小説の中で、とりわけ印象に残るのが、今回紹介する『夜の果てまで』です。三十三歳の人妻涌井裕里子と二十一歳の大学生安達俊介が禁断の恋に落ちる物語。

「ねえ、つらくなる前に別れよう? もう、これっきりにしよう?」
 両脚のあいだに割って入る寸前、裕里子は必ずそう言った。それを聞くたびに俊介はひどく切ない気分を味わった。だが、同時にだまされているような気もした。
「だって半年たったら、札幌を出ていくんでしょ」
(中略)
 半年という時間の区切りに意味などなかった。彼女もそれはわかっているはずだった。いまは気づいていないだけで、あしたにも関係が終わってしまうような事態が待ち受けているかもしれない。秘密をかかえ、先の見えない状態のまま、週に一度の密会をいつまで続けていけるのか。彼女はその不安を打ち消すために、それと同時にこれが最後になるかもしれないセックスを貪るために、そんな言葉を口にするのだった。(203ページ)


裕里子には複雑な事情を抱えた家庭があり、新聞社に内定が決まっている俊介には、輝かしい未来があります。二人が愛し合えば愛し合うほど、当然ながら、周りの人々は二人を引き裂こうとするわけです。

しかし、理性的な判断が出来なくなってしまうのが、感情に支配される恋愛というものですから、やがてどうしようもない状況に追い込まれた二人は、陽の当たる世界に背を向け、暗い道を歩み始めて……。

純愛を描いた美しい作品ではなく、かなりリアルに堕ちていく二人の姿が描かれているピカレスクロマン(悪漢小説)の趣もある作品。明るい話ではありませんが、それだけに引き込まれる迫力があります。

はかない愛を綴る綺麗な恋愛小説はそれこそ星の数ほどありますが、底なし沼にずぶずぶと足をとられるようなどうしようもない状況に陥る恋愛を描き、そこにすごみを感じさせる小説は滅多にありません。

当たり前の恋愛小説には飽きたという方、人妻と学生の禁じられた恋愛の行方に関心を持った方に、ぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

作品のあらすじ


一九九八年九月一日、札幌家庭裁判所に「失踪宣告申立書」が提出されました。申立人は、不在者涌井裕里子の夫。買い物に行くと外出した一九九一年三月一日から戻らず、失踪宣告が認められたのでした。

一九九〇年三月。北大の三年生安達俊介は一つ年上で、四月から新社会人となる賀恵から突然別れを告げられました。初めは悪い冗談だと思っていましたが賀恵は本気で、俊介は絶望的な気持ちになります。

そんな荒れた気持ちにぴったりの「番外地」というラーメン屋を見つけてふらりと入ると、初めは親子かと思いましたが、どうやら店主の奥さんらしい女性が、Mさんだということに俊介は気が付きました。

Mさんというのは俊介がつけたあだ名。俊介はセイコーマートというコンビニでバイトしているのですが、Mさんはいつも土曜日の夜十一時過ぎにやって来てチョコレート菓子M&Mを万引きするのでした。

たった九十五円のチョコレート菓子を万引きしていくMさん。防犯ミラーを通して目があった時のことが強く印象に残っています。店の二回が住居になっているので、涌井裕里子という名だと分かりました。

四年生になった俊介は、就職活動に乗り出します。第一志望にしているのは北海道新報社。時事問題に精通するために、過去三年間の北海道新報の縮刷版を読むなど、就職試験の対策に取り組み始めました。

やがて、涌井裕里子の出て来る夢を見た俊介は、他の店員に見つかる前に、万引きを辞めた方がいいと言おうと思い、「番外地」に出前を頼みます。ところがやって来たのは中学三年生の息子の正太でした。

元々裕里子が信頼出来る家庭教師を探していたこともあって、それが縁で俊介は、正太の家庭教師をすることになりました。涌井家の人々とも打ち解けて、花見などの家族行事にも誘われるようになります。

裕里子、夫の耕治、息子の正太、耕治の母八千代の他に、小夜子という中年女性も来ていました。耕治の妹だと紹介されますが、八千代は自分の重箱にしか手を出さず小夜子も自分のつまみしか食べません。

カラオケをすすめられて困った俊介は、花びらを使ったマジックをして周りをあっと言わせました。しばらくして、正太と遊びに行った帰りに涌井家に寄ると、居間から揉めているどなり声が聞えて来ます。

――私ね、あんたのその勝ち誇った顔が嫌いなのよ。おまえなんか来るなって、はっきり言えばいいじゃない。
――おい、いつまでぐずぐず言ってんだ。
――この人と話してんのよ、私は。
 じっと息をつめている俊介を見て、緊張するなよ、と正太が言った。
「お花見のときの叔母さん?」と俊介は訊いた。
「それがさ、聞きたい? あいつ、ほんとは母さんなんだ」
 俊介はその言葉の意味をうまく飲みこめなかった。正太はベッドの上であぐらを組み、うなずいてみせた。
「だれが」
「だから、小夜子」
――死んでやる! もう嫌だ、ぜったいに死んでやる。
 小夜子がわめき散らしながら階段を駆けおり、「おい、待たないか」とご主人の声があとを追った。ドアが音を立てて閉まり、家中が静まりかえった。(105~106ページ)


涌井家が複雑な家庭事情だと知った俊介はやがて裕里子から打ち明け話をされます。精神的におかしくなって離婚するも夫の助けが必要な小夜子のこと。M&Mチョコレートの万引きに隠された秘密のこと。

打ち解けた俊介と裕里子は、八月の定休日に、気晴らしを兼ねて小樽にデートに行きました。名前で呼び合い、手を繋ぎながら歩きます。海鳴楼の建物が見えると裕里子の指先が手のひらをくすぐりました。

 俊介は裕里子の手をにぎりしめ、右手の細い道に入った。倉庫の裏までひっぱっていき、彼女を抱きよせた。
「待って、なにするの」
 裕里子は俊介の背中を叩いた。その言葉を封じるように俊介は唇を押しつけた。彼女が抵抗したのは最初のうちだけだった。俊介が腕の力を抜くと、彼女はその場にしゃがみこみそうになった。
 俊介は手をとり、ひっぱりあげた。
「だったら、からかわないでください」
「ごめん、怖いのよ」
「ぼくのこと?」
「そうじゃなくて……」裕里子は顔をそむけ、肩にかかった髪の匂いをかぐようなしぐさをした。「こんな気持ちになるなんて」
「こんな気持ち?」
「いじわる」裕里子は顔をしかめた。(162~163ページ)


それから、夫には歯医者に行くといって、わずかな時間ですが、毎週俊介の部屋で逢瀬を重ねるようになりました。二人の愛は会う度に深まり、俊介の就職試験も順調にいき、内定を手にしたのですが……。

はたして、禁断の恋に落ちた二人に待ち受ける運命とは、一体!?

とまあそんなお話です。俊介と裕里子のそれぞれの視点で物語は語られていきますが、もう一人の視点人物が正太。これがこの小説の大きな特徴です。まず愛に溺れる二人を客観視する役割を担っています。

そしてそれだけでなく、生みの母は精神的におかしくなり、継母は自分の家庭教師と不倫するという複雑な環境の中で、悩みながら自分なりの生き方を模索していく正太自身の成長も語られていくのでした。

正太のパートは恋愛小説と考えると必要のないパートのようでありながら、ここで色々と考えさせられることも多かったです。物語のキーパーソンとも言うべき正太の葛藤にも、ぜひ注目してみてください。

俊介と裕里子の道ならぬ恋に共感出来るという人もいれば、共感出来ないという人もいるでしょうが、誰もがみな、恋愛において少なからず理性と感情のジレンマに苦しめられた経験を持っているはずです。

十二歳、ちょうど一回り年齢が違う人妻と学生との恋愛の物語。道ならぬ恋に溺れる二人に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

次回はミッキー・スピレイン『裁くのは俺だ』を紹介する予定です。