アガサ・クリスティー『ポアロのクリスマス』 | 文学どうでしょう

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ポアロのクリスマス (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)/早川書房

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アガサ・クリスティー(村上啓夫訳)『ポアロのクリスマス』(ハヤカワ文庫)を読みました。

日本ではクリスマスは恋人と過ごすのが定番となっていますが、イギリスでは家族で過ごすようです。今回紹介する『ポアロのクリスマス』もまたある富豪の一家がクリスマスに集まる所から始まる物語。

ゴーストン館の偏屈な富豪シメオン・リーの元に、長男夫婦、二男夫婦、三男夫婦、鼻つまみものの四男、長女の娘など普段あまり会うことのない面々が一堂に会します。日本のお正月みたいな感じですね。

シメオンは遺言状を書きかえることを仄めかしており、莫大な財産を誰が多く手にするのか緊張感が走る中、密室状態でシメオンは殺されてしまいます。サンタクロースのように真っ赤な血だらけの状態で。

クリスマスと言えば、クリスティーと同じく、イギリスの作家であるチャールズ・ディケンズに『クリスマス・キャロル』という作品があります。人嫌いの老人スクルージに三人の精霊が訪れる奇跡の物語。

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)/光文社

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偏屈な富豪の老人が中心となる物語であること、精霊が現れたとしか思えないような不思議な現象が起こることなど多かれ少なかれクリスティーは意識しているはずなので、興味のある方はあわせてどうぞ。

ゴーストン館の事件の謎に挑むのは、我らが名探偵エルキュール・ポアロ。名探偵というのは奇人変人が多いものですが、ポアロはかなり人当たりがよく、ベルギー人なので、時折フランス語を口にします。

ポアロはたまたま、ミドルシャー州の警察本部長ジョンスン大佐の所へ遊びに来ていたのでした。ジョンスン大佐がクリスマスは愉快で楽しいから、犯罪など起こらないだろうと言うとポアロは反論します。

たくさん飲み食いすると消化不良になりそれは人間の短気を呼び起こす、そしてたしかに善意の精神がいきわたる季節であり、喧嘩などは一時休戦となるが、それがかえって大きな反動を呼び起こすのだと。

「ところで、家族の場合には一年中離れ離れになっていた家族の者が、ふたたび一つところに集まる。こうした条件の下では、そこに多くの緊張が起こることは、きみも認めるでしょう。やさしい気持ちを持たない人もやさしげに見せようとして、自分自身に大きな抑圧を加える! こうして、クリスマスの期間にはたくさんの偽善が――なるほど、それはよき動機からくわだてられた偽善、尊敬すべき偽善かもしれないが――とにかく多くの偽善が行われるものです」
「さあ、わたし自身は、そんなふうには考えないがね」と、ジョンスン大佐は疑わしげに言った。
 ポアロは微笑した。
「いや、もちろん、そんなふうに考えているのは、わたしであってきみではありませんよ。ただわたしが、きみに指摘しておきたいことは、こうした条件――精神的緊張と肉体的不快感――の下では、往々にして、それまではごく軽度にすぎなかった嫌悪やとるに足らなかった不和が、とつぜん、より重大な、真剣な性質をおびるようになる、ということです。自分を実際以上に、やさしい、寛容な、気高い人間のように見せかけることは、その反動として、早晩その人間をして実際よりももっと感じの悪い、残忍な、不愉快な人間のように振るまわしめることになるものです。ねえ、そうでしょう。自然の流れをせきとめれば、おそかれ早かれダムは決潰し、大洪水になるのは当然ですからね!」(140~141ページ、本文では、「ねえ、そうでしょう」に「モナミ」のルビ)


ポアロの言うことを気にもとめていなかったジョンスン大佐でしたが、その後すぐに電話がかかって来て、シメオン・リーが殺されたと知らされたのでした。犯人は家族の中の誰かとしか考えられず……。

クリスマスを描いた物語ですが、血みどろの死体が出る話をクリスマスに読むのもあれなので、クリスマス以外に読むのがおすすめです。

作品のあらすじ


ゴーストン館に暮らす老シメオン・リーの呼びかけで、その子供たちが集まって来ました。長男のアルフレッドとその妻リディア、二男のジョージとその妻マグダリーン、三男のデヴィッドとその妻ヒルダ。

それだけでなく、品行が悪く様々な問題を起こして家を飛び出した末弟ハリーも来る予定だと聞かされたので、アルフレッドは驚きます。

 アルフレッドは真っ青になった。彼はどもりながら言った。
「ハリー――まさかあのハリーじゃないでしょう――」
「あのハリーさ!」
「でも、わたしたちは彼を死んだと思っていました!」
「死にはせんよ!」
「あなたは――あなたは彼をここに帰らせようとしていらっしゃるのですか? あんなことがあっても?」
「あの放蕩息子を、というのか? そのとおり! 放蕩息子の帰宅だ。ひとつあいつを大歓迎してやらにゃいかんぞ」
 アルフレッドは言った。
「あの男はあなたや――われわれ一同の――顔に泥をぬるようなことをしました。あの男は――」
「あいつの罪をかぞえ上げるにはおよばんよ! 一大目録になるからな。しかし、クリスマスは、知ってのとおり、許しの季節だよ! わしらは放蕩息子の帰宅を喜んで迎えてやろう」
(70~71ページ)


ハリーの他にも意外な人物がやって来ていました。亡くなったジェニーの娘でシメオンからするとたった一人の孫にあたるピラール・エストラバドス。ピラールは明るい性格で、みんなの心をつかみます。

ご機嫌になったシメオンは、売れば数千ポンドにもなるダイヤモンドの原石を見せてやったほど。やがてシメオンの旧友の息子スティーヴン・ファーが訪ねて来ました。初めてイギリスにやって来たのです。

スティーヴンはあいさつだけというつもりでしたが、シメオンに強引に間近に迫るクリスマス会に参加させられることとなりました。夜になって、サグデン警視が警察孤児院の寄付金を集めにやって来ます。

夕食が終わり、執事のトレッシリアンはコーヒーの給仕をしていましたが、頭上で何かが倒れるような音、続いて甲高い絶叫を聞きます。声を耳にした人々は階段を上がり、シメオンの部屋に向かいました。

しかしドアには鍵がかかっており、呼びかけにも答えがありません。

 スティーヴン・ファーが言った。
「ドアをたたきこわしましょう。そのほかに方法はありませんよ」
 ハリーが言った。「それはたいへんな仕事になりますよ。ここのドアはとびきり頑丈な材料でできているんだから。よし、やろう、アルフレッド」
 彼らは必死になってドアと格闘した。そして最後にカシの木の椅子を持ってきて、それを破城槌のかわりに用いた。その結果、とうとうドアはかぶとをぬいだ。蝶番がはずれ、扉がビリビリとふるえて、その枠から離れ落ちた。
 ちょっとの間、みんなは戸口に重なり合うように立って、中をのぞきこんだ。が、そのとき、彼らの眼をとらえたものは――誰もが永久に忘れることのできない光景だった……。
 そこにはぞっとするような、おそろしい格闘のあとが、まざまざと残っていた。重い家具類がひっくり返り、陶器の花びんが床の上に割れ散っていた。そして、赤々と火の燃えている炉の前の敷物の中央に、シメオン・リーが血まみれになって横たわっていた……。あたり一面血の池で、そこら中に血がとびちり、まるで戦場のようだった。(131ページ)


サグデン警視から連絡を受けたジョンスン大佐に頼まれたエルキュール・ポアロは早速事件の捜査に取り掛かりますが、サグデン警視から思わぬことを聞かされます。金庫のダイヤモンドが盗まれたのだと。

盗んだのは家族の誰かに違いないから、大事にしたくないというシメオンの意向で、サグデン警視は寄付金集めという口実でやって来ていたのでした。ダイヤモンドを盗んだ犯人が、殺人犯なのでしょうか?

ポアロは殺人が起こった時刻のリー家の人々と使用人の行動を調べますが、犯行を行いえた者はなかなか見つかりません。おまけに犯行が行われた部屋は、ドアと窓が閉ざされた密室状態だったのですから。

手がかりがまったくつかめないまま、ポアロはリー家の人々が抱える苦悩や、思いがけない出来事について知っていくこととなって……。

はたして、ポアロは老シメオン殺しの謎を解くことが出来るのか!?

とまあそんなお話です。家族だから分かり合えることもあれば家族だからこそ憎しみを抱えてしまうこともあるのでしょう。一代で莫大な財産を築き上げた人物だけにシメオンはかなり癖のある人物ですし。

リー家の抱える様々な問題が少しずつ浮き彫りになっていく物語なだけに、ぐいぐい引き込まれました。そして、何よりも密室のトリックが非常に面白い作品。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』を紹介する予定です。