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ピーター・アントニイ(永井淳訳)『衣装戸棚の女』(創元推理文庫)を読みました。
ピーター・アントニイという作家名も『衣装戸棚の女』という作品名も知られていないと思いますが、「面白い密室ミステリと言えば?」という話題になると、必ず出て来る作品。なかなかにすごいですよ。
いやあ、なにがどんな風にすごいのか言えないのが残念ですねえ。日本では今はこういう系のミステリをさす言葉がありますが、この作品が発表された1951年当時はこういう感じは珍しかったでしょう。
全体的にユーモラスな雰囲気の作品で、げらげら笑うという所まではいきませんが、探偵役にせよやや突飛な設定にせよ本格ミステリのパロディみたいで面白いです。密室好きなら一度は読んでみて下さい。
ピーター・アントニイとはそもそも、アンソニー・シェーファーとピーター・シェーファーというという双子が、共作をする時に使っていたペンネーム。『衣装戸棚の女』は彼らの25歳の時の作品です。
二人はその後、ミステリ作家ではなく、それぞれが劇作家として活躍し始め、ミステリ風味の演劇やミュージカルで大成功を治めました。
まず、アンソニー・シェーファーの代表作が『探偵スルース』。元々はトニー賞を受賞した舞台ですが、1972年と2007年には映画化も。どちらにもマイケル・ケインが出演しているのがいいですね。
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アンソニーは他に、ヒッチコック監督の『フレンジー』や、アガサ・クリスティ原作の『ナイル殺人事件』などで脚本をつとめています。
一方、ピーター・シェーファーの代表作は、こちらもトニー賞を受賞している舞台『アマデウス』。モーツァルトの暗殺をめぐる物語で、1984年の映画版は、アカデミー賞8部門受賞を成し遂げました。
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『アマデウス』を観たことがないという方はぜひ観てみてください。すごくおすすめ。才能はあるけれど天才ではない宮廷楽長サリエリの目から、本物の天才モーツァルトが描かれ、悲劇に繋がる物語です。
そんな風に演劇界で活躍したシェーファー兄弟が若い頃に書いた、一風変わった密室ミステリ『衣装戸棚の女』。『探偵スルース』や『アマデウス』が好きという方は、手に取ってみてはいかがでしょうか。
作品のあらすじ
イギリス、サセックス州の小さな田舎町アムネスティ。目抜き通りのはずれに白亜の高い建物がありました。《ザ・チャーター》というホテルです。週末になるとロンドンからカップルなどがやって来ます。
アムネスティの名士と言えば、なんといってもヴェリティ氏でした。
彼はその肥満体を堂々と支えるのにちょうど見合った長身の巨漢だった。顔は目鼻立ちがくっきりして、肌はつやつや、赤銅色に陽灼けしていた。青い目は小粒で、射すくめるような強い輝きを放っている。みごとな栗色のヴァン・ダイクひげをはやし、冬はおきまりのマントを着て、フランス・ハルス描くところの「笑う騎士」の老人版といった感じの、(ある人々にいわせれば教養豊かな)表情をたたえていた。もちろん今では探偵稼業の世界における名士となって久しく、スコットランド・ヤードからも一目も二目もおかれていた。実のところ、もしもそんなことが可能だとすればの話だが、嫌われているのとほとんど同じくらい尊敬されてもいた。
というのは、ヴェリティ氏は大いに嫌われてもいたからである。なぜかといえば、ひとつには彼が十中八九正しいからだった。(10ページ)
なにか事件が起きるとすぐ首をつっこみ、すぐに解決してしまうことで、尊敬されていると同時に煙たがられてもいるヴェリティ氏はその日、早朝にひと泳ぎしようと別荘を出て、坂道をくだっていました。
すると《ザ・チャーター》の二階で、ワイシャツ姿の男がバルコニーを伝って隣の部屋に移動している所を目撃したのです。気になったのでホテルに寄ってみるとその男が叫びながら階段をおりて来ました。
「マクスウェルさんが――死んでいる……殺されたんだ!」(14ページ)と。その男パクストン氏の案内でマクスウェル氏の部屋に向かったヴェリティ氏でしたが、何故かドアには鍵がかかっています。
そうこうしている内に、下の玄関ホールから、取っ組み合いの音が聞こえて来ました。カニンガム氏というお客が巡査に捕まって暴れていたのです。カニンガム氏はどこかの部屋の窓から出て来たのでした。
《ザ・チューター》の支配人ミス・フレイマーはマスター・キイがなくなってしまっていることに気付き、やむをえない状況だと判断したヴェリティ氏は、ドアの錠を壊して、中に入ることにしたのでした。
「ひとつだけ方法がある。どうせ古い錠だ。パクストンの銃を使うとしよう」
ミス・フレイマーがそれを聞きつけて抗議する間もなく、錠が打ちこわされて、はずみでドアがひとりでにあいた。目の前に現れたのは惨憺たる光景だった。まず目についたのは血だった。カーペットも、皺くちゃのベッドも、壁も、カーテンと窓ガラスも、あらゆるものが血だらけだった。床には倒れた家具、本や書類、ゴルフ・クラブのセット、二本のウィスキー・ボトル、そなえつけの歯磨きコップなどが散乱して、足の踏み場もなかった。乱雑をきわめる部屋のなかの、ドアと、右側の壁をふさいだ大きな衣装戸棚の間に、死体が横たわっていた。床にうつぶせになって、まだシルクのパジャマを、かつては白かったが今は血で赤く染まったパジャマを着たままだった。
「検屍がすむまで動かすな」と、警部が巡査部長に指示した。
「さわりたい者はおらんだろうがね」と、ヴェリティがつけくわえた。(27~28ページ)
現場を観察したヴェリティ氏は、窓にもしっかり鍵がかかっていたことに気付きます。そう、部屋は密室状態だったのでした。部屋の隅からは弾丸が二発なくなっている四五口径の軍用拳銃が見つかります。
やがて衣装戸棚から物音が聞こえて来ました。自動ロック式なので鍵がなければ開きませんが、中から鍵が開けられ、扉が開きます。衣装戸棚の中にいたのはロープで縛られたウェイトレスのアリスでした。
鍵はあったものの、手足をロープで縛られていたために長い間外へ出られなかったと言うのです。マクスウェル氏に給仕していたアリスでしたが、突然銃を持ち覆面をした男がやって来たのだと言いました。
「もう最後の一シリングまできみに払ってしまったんだよ、マックスウェル」(38~39ページ)と言った男はマックスウェル氏と取っ組み合いを始めマックスウェル氏は背中を撃たれてしまったのだと。
そして、逃げる男にロープで縛られ、衣装戸棚に閉じ込められたと言います。「信じていただけないんですね? わたしがマクスウェルさんを殺したと思っているんですね?」(40ページ)と泣くアリス。
ヴェリティ氏は、マクスウェル氏を殺す動機のある者がいないかどうかを調べ始めました。すると、マクスウェル氏を恨んでいる者は大勢いることが分かります。パクストン氏もカニンガム氏もそうでした。
どちらも服に血がついていたこともあり、パクストン氏もカニンガム氏もマクスウェル氏の部屋に行ったことは認めましたが、すでにあの惨劇は起こっていて、自分は殺していないとどちらも言い張ります。
パクストン氏とカニンガム氏のどちらかが犯人だとしても、死体が発見された時には二人とも部屋の外にいたわけですから、犯行現場がドアと窓に鍵がかかった密室状態になっていたことが腑に落ちません。
部屋の中にいて犯行を行いうる人物がアリスでしたが、アリスは手足を縛られて衣装戸棚の中にいたと証言しています。アリスが嘘をついているのでしょうか? ヴェリティ氏はねばり強く捜査を進め……。
はたして、ヴェリティ氏が解き明かす、密室事件の真相はいかに!?
とまあそんなお話です。密室は密室でも、密室の中にウェイトレスが閉じ込められていたという、一風変わったミステリ。被害者が大勢から恨まれていて誰が犯人でもおかしくないというのもユニークです。
個性的なキャラクターが目白押しで、一度読むと忘れられない、あっと驚く密室ミステリ。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、小森健太朗『ローウェル城の密室』を紹介する予定です。