ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』 | 文学どうでしょう

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ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)/筑摩書房

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ジェイン・オースティン(中野康司訳)『ノーサンガー・アビー』(ちくま文庫)を読みました。

ジェイン・オースティンは19世紀に活躍したイギリスの作家で、発表されたのは『高慢と偏見』など全部で6作。いずれも男女の結婚にまつわる恋物語で、鋭い観察眼とウィットに富んだ文章が魅力です。

「ハーレクイン」という、ラブストーリーを専門に出す出版社がありますが、「ハーレクイン」に影響を与えたのがオースティンらのイギリスの恋愛小説なので「ハーレクイン」に似た雰囲気もありますね。

今回紹介する『ノーサンガー・アビー』は遺作『説得』とともに死後に出版された作品ですが、書かれたのは22、3歳頃であり、実質的な処女作と言われています。それだけに若々しい印象の作品でした。

『ノーサンガー・アビー』の主人公はキャサリン・モーランドという17歳の少女。ずば抜けて頭がいいわけでもなければ、みんなから騒がれるほど美しいわけでもない、いわゆるごくごく平凡な少女です。

そんなキャサリンの楽しみは、小説を読むこと。無我夢中で小説を読み続け、いつか自分の前にも素敵な貴族の男性が現れるのではないかと夢見ていました。ところが、周りには素敵な男性は誰もいません。

しかしある時、大地主アレン夫婦のおともとして温泉行楽地バースへ行くことになり、そこで様々な出会いがあって……という物語です。

なんと言ってもキャサリンがいいんですよ。読書好きで想像力が豊かで、それ故に失敗してしまうこともある主人公。このキャサリンの要素というのは、後の児童文学の主人公とも共通する部分があります。

たとえば、L・M・モンゴメリの『赤毛のアン』のアン、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』のジュディ、L・M・オルコットの『若草物語』のジョーもまたとても読書好きの少女たちでした。

『ノーサンガー・アビー』の主人公キャサリンは、人生経験が豊富ではないので、頼りにするのは物語で得た知識。物語に登場する悪役みたいな人と会うと、きっと悪い人だと思い込んでしまったりします。

物語のヒロインのようにふるまって失敗してしまうキャサリンがなんともおかしくて、『ノーサンガー・アビー』はオースティンの小説で最もコミカルで、キャサリンは最も愛すべきヒロインだと思います。

物語が全体を通して、ヒロインの物語ではなく、ヒロインになりそこねたヒロインの物語とでもいうような、パロディのようになっているのもこの小説の醍醐味で、下敷きになっているのは、ゴシック小説。

具体的に言うとアン・ラドクリフの『ユードルフォの謎』ですがいい翻訳がなくてぼくも読んだことがないです。他に名前があがっていたのはゴシック小説の元祖ホレス・ウォルポールの『オトラント城』。

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ゴシック小説をざっくり言うと中世のゴシック様式で建てられた古い城や修道院などで怪奇現象が起こる物語です。ホラーに近いですが、その城や修道院には、隠し通路や秘密の部屋があるというのが重要。

バースで知り合った一家に、キャサリンはノーサンガー・アビーという屋敷に招待されました。アビー(Abbey)は元々、修道院だったことをしめしています。まさにゴシック小説に出て来る、憧れの場所。

修道院のじめじめした長い廊下や、修道士が寝起きした狭い独居室や、荒れ果てた礼拝堂などを毎日見ることができるのだ。それに、ひどい虐待を受けた不幸な尼僧の伝説を聞いたり、恐ろしい形見の品々を見られるかもしれないという期待を、彼女は抑えることができなかった。(211~212ページ)


しかし残念ながらこの物語はゴシック小説ではないので、キャサリンのどきどきわくわくはことごとく肩透かしな展開になって、そこに笑いが生まれて来ます。そうしたパロディ的な面白さのある小説です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 子供のころのキャサリン・モーランドを知っている人は、彼女が小説のヒロインになるように生まれついたなんて絶対に思わないだろう。彼女の境遇、両親の人柄、彼女自身の容姿と性格など、どこから見てもヒロインとしては完全に失敗だった。(8ページ)


父親は牧師ですが貧乏ではなく、娘を秘密の部屋に監禁するようなことはしませんし、母親はキャサリンを産んではかなく世を去ったどころか全部で十人の子供を産んで、みなに愛情を注いでくれています。

全員が不器量な一家に育ったキャサリンも美人ではありませんでしたが、雰囲気はよく、ともすれば美人のように見える時もありました。そんなキャサリンは17歳になった時バースへ行くことになります。

大地主アレン氏が痛風治療のため医者からすすめられたのが、温泉行楽地として有名なバース。子供がいないのでキャサリンを可愛がってくれているアレン夫人がキャサリンにも声をかけてくれたのでした。

バースでは知り合いがいないのでさみしい思いをしますが、舞踏会のダンスの相手として24、5歳のヘンリー・ティルニー氏を紹介されます。絶世の美男子ではありませんがとても感じのいい青年でした。

キャサリンはティルニー氏に好感を抱きますが、残念なことにそれからなかなかティルニー氏には会えません。アレン夫人は学校時代の友達ソープ夫人と再会し、キャサリンもソープ一家と交流し始めます。

なんとソープ家の息子ジョンはキャサリンの長兄ジェイムズのオックスフォード大学の友達だったのでした。それが縁で、キャサリンは自分より4歳年上のソープ家の長女イザベラと仲良くなっていきます。

やがて再びティルニー氏を見かけたキャサリンは勇気を出してティルニー氏の妹のエリナー・ティルニーに話しかけ、派手なイザベラとは対照的で、物静かなミス・ティルニーとも親しくなっていきました。

しかしその結果、キャサリンを苦しめる問題が生じたのです。キャサリンとしてはティルニー兄妹と、もっと一緒にいたいのですが、ジョンやイザベラなど、ソープ一家とも交流しなければならないわけで。

ある時、ティルニー兄妹と散歩に行く約束をしていましたが、兄ジェイムズとジョン、イザベラがやって来てブレイズ城という古い城を見に行こうと誘われます。キャサリンは先約があるからと断りました。

しかしジョンはティルニー兄妹ならどこかへ出かけるのを見たと言います。雨が降り泥んこ道だったせいで散歩はやめたのだろうかとキャサリンは思いました。それにしても一言言ってくれたらいいのにと。

そうしてジョンたちと一緒に出かけることにしたキャサリンでしたが、途中でティルニー兄妹とすれ違います。ティルニー兄妹はどうやらキャサリンの所へ向かっているようでした。仰天したキャサリン。

馬車を止めてくれるように言い、なぜ嘘をついたのかと責めますが、ジョンは馬車を止めずに、ティルニー兄妹によく似た人を見たんだと言い張ります。結局遠くてブレイズ城にはたどり着けませんでした。

みじめな気持になったキャサリンは、なんとかティルニー兄妹に謝って、また散歩の日取りを決めます。ところがなんと、またもや同じ日に兄やソープ兄妹と出かける用事が、かちあってしまったのでした。

先約があるからと言い断固として兄たちの誘いを断りますが、みんなの楽しみを台無しにするなんてひどいとキャサリンは責められます。

「キャサリン、おまえがこんなに頑固だとは思わなかったよ」とジェイムズが言った。
「おまえはこんな聞き分けのない子じゃなかったし、ぼくの妹たちのなかで一番やさしくて、一番すなおな子だったのに」
「いまでもそうだと思うわ」キャサリンは胸がいっぱいになって答えた。「でもほんとに行かれないの。私が間違っているかもしれないけど、自分では正しいことをしているつもりなの」
「でも、たいした心の葛藤はなさそうね」とイザベラが低い声でつぶやいた。
 キャサリンの胸は怒りと悲しみでいっぱいになり、組んでいた腕を思わず離したが、イザベラも抵抗しなかった。こうして長い十分間が過ぎると、どこかへ行っていたジョン・ソープが戻ってきて、さっきより陽気な顔でこう言った。
「さあ、話をつけてきたよ。これで明日は何の心配もなく、みんなで出かけられる。ぼくはいまミス・スティールに会って、きみの代わりにお詫びを言ってきたんだ」
「まさか!」キャサリンが叫んだ。(149~150ページ)


ジョンが勝手に散歩の約束を断ったと知って、愕然としたキャサリンはみんなが止めるのも聞かず、慌ててティルニー兄妹を追いかけます。真心込めて説明すると、ティルニー兄妹は分かってくれました。

ティルニー兄妹の父に紹介され、気に入られたキャサリンは、ノーサンガー・アビーというティルニー家の屋敷に招待されます。ゴシック小説に出て来る建物のような響きだと胸をときめかせるキャサリン。

一方、ソープ兄妹と出かけた兄ジェイムズはイザベラに求婚し婚約が決まります。ジョンもまたキャサリンに愛の告白をしますが遠回しすぎてキャサリンは気付かず、ジョンだけが手応えを感じたのでした。

ノーサンガー・アビーへ行くと怪奇な物を求めて部屋を探り、ティルニー兄妹の母が不審な死を遂げていることを知ると、実はまだ生きていて、秘密の部屋に閉じ込められているのではと考えるキャサリン。

ティルニー兄妹の父ティルニー将軍が屋敷を案内してくれることになり、ミス・ティルニーと三人で屋敷をめぐりますが、ティルニー兄妹の母が閉じ込められているなら、この将軍が怪しいと思って見ます。

 三人は出発した。先頭を行く将軍の堂々たる態度と、威厳たっぷりな歩き方を見て、キャサリンは感心したが、小説をたくさん読んだおかげで彼の心を知っているので、彼にたいする疑惑はそう簡単には揺るがなかった。将軍は玄関ホールを通り、普段用の客間と、あまり使われていない控えの間を抜けて、広さも家具もじつに堂々とした部屋へと入っていった。これが貴賓用の正式の客間なのだ。「とても立派で、ものすごく広くて、ほんとうにすてきね!」キャサリンの褒め言葉はこれで精いっぱいだった。家具の価値などまたくわからないし、サテンの生地の色の見分けさえつかないのだ。細部にわたる称賛と、重要な意味をもつ称賛の言葉は、すべて将軍が補足した。しかし、部屋の家具がどんなに高価で立派でも、キャサリンには何の意味もなかった。彼女は十五世紀以降の新しい家具にはまったく興味がないのだ。(275~276ページ)


ゴシック小説を思わせるノーサンガー・アビーで一人冒険心をたくましくするキャサリンの元にやがて思いがけない知らせが届いて……。

はたして、ゴシック小説好きなキャサリンは、幸せになれるのか!?

とまあそんなお話です。友達と出かける約束をしていたのに、他の友達からも誘われてしまって、どちらに行ってどちらを断ればいいか悩んでしまうというのはある意味ではどうでもいいジレンマですよね。

ただ、こうしたありふれた日常風景を描きながら読ませるのがオースティンで、そのどうでもいいジレンマに引き込まれてしまうのです。

登場人物の個性をあまり紹介出来なかったのですが、イザベラは派手で行動的、ミス・ティルニーは清楚で物静か、ジョンはほら吹きな自信家で、ティルニー氏は知的ながら、時に辛辣な物言いをする人物。

どの個性も現実の人間にもあるものばかりなので、「ああ、こういうやついるんだよなあ」と、思わずにやにやさせられてしまいました。

完全無欠のヒロインとは正反対のごく平凡な少女のコミカルさもある恋物語。読書好きの主人公なだけに、読書が好きな方には自信を持っておすすめできます。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、東川篤哉『密室に向かって撃て!』を紹介する予定です。