ジェイン・オースティン『説得』 | 文学どうでしょう

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説得 (ちくま文庫)/筑摩書房

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ジェイン・オースティン『説得』(ちくま文庫)を読みました。

明るく情熱的な人は積極的な行動で失敗し、それとは反対に、常に冷静で沈思黙考している人は行動に消極的で失敗することがあります。

19世紀イギリスで活躍したオースティンの処女作『分別と多感』はまさにそうした対照的な性質を描いた作品で、大人しい姉と感情的な妹のそれぞれ恋物語でしたね。姉妹はその性質故に苦労を重ねます。

明るく勝気なヒロインか、沈みがちで物事をよく考えるヒロインか、オースティンの全6作の主人公はそれぞれにタイプが異なりますが、一番読者の印象に残るのは、『高慢と偏見』のエリザベスでしょう。

エリザベスは頭の回転が早い、明るく勝気なヒロインで、気に入らないことがあると辛辣な言い回しで相手をやり込め、たじたじとさせてしまう女性。特に気に食わないのが高慢な態度のダーシーという男。

すぐれた家柄故に周りを見下すダーシーと、ことあるごとに対立するエリザベスでしたが、やがて偏見を持っていたことに気が付いて……という、とにかく面白い恋愛小説なので、ぜひ読んでみてください。

ストーリーとして抜群に面白い『高慢と偏見』が印象的なこともあり、オースティンと言えば明るくユーモラスというイメージだと思いますが、それとはまったく違う雰囲気なのが今回紹介する『説得』。

オースティンの遺作であり、死後に実質的処女作『ノーサンガー・アビー』とともに発表されました。どちらも温泉行楽地バースが重要な舞台になっているので、あわせて読んでみるといいかも知れません。

明るく行動的なヒロインを代表するのが『高慢と偏見』のエリザベスなら、沈みがちで物事をよく考えるヒロインを代表するのが『説得』のアン・エリオット。アンの悩みが中心となって綴られていきます。

どことなく暗い雰囲気で、一人の女性の心理描写が中心となって物語が展開することから、作品の印象としては、『ダロウェイ夫人』で有名なイギリスの作家、ヴァージニア・ウルフに近い感じがあります。

ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)/光文社

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つまりそれほど『説得』はオースティンらしくない作品なのですが、それだけにかえって作品全体を包む静かな雰囲気がとても印象的。『高慢と偏見』と並ぶ、オースティンの傑作ではないかと思います。

『説得』の主人公のアンは准男爵の娘で、27歳。母はすでに亡く、次女なので、長女を大切に思う父からは愛されていません。独身ですが19歳の時に愛する男性からプロポーズされたことがありました。

それは23歳のウェントワース中佐という若き海軍軍人でしたが、なにしろ准男爵の娘なのでどこの馬の骨とも分からぬ相手とは結婚させられぬと周りから反対にあい、アンは求婚を断ってしまったのです。

ひょんなことから、アンは今なお忘れられないウェントワースと8年ぶりに再会することとなりました。かつて何も持っていなかったウェントワースは大佐となり、財産も蓄えた立派な人物になっています。

はたしてこの再会をきっかけにアンとウェントワース大佐の関係はどう変化していくのでしょうか。ぎこちない二人の関係から目が離せなくなる物語。恋愛小説らしからぬ静謐な雰囲気が魅力の作品でした。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 サマセット州ケリンチ屋敷の当主サー・ウォルター・エリオットは、『准男爵名鑑』が唯一の愛読書であり、これ以外の書物はいっさい手にしないという人物だった。これさえあれば、暇なときには暇つぶしになるし、気分が落ち込んだときにはたいへんな慰めになった。(7ページ)


自らの身分を誇りに思っているサー・ウォルターでしたが、唯一いさめることの出来る賢い妻を亡くしてからは、その豪勢な生活に歯止めがきかなくなってしまい、内実は火の車どころか借金だらけの有様。

そこで贅沢な暮らしをなんとか維持したまま、准男爵の名誉を汚さず、出費をおさえて借金を返済する方法が考えられ、温泉行楽地のバースに転居しケリンチ屋敷を他人に貸すことが決まったのでした。

新しくケリンチ屋敷の住人となったのは、海軍提督のクロフト夫妻。それを知ってサー・ウォルターの次女アンは動揺します。クロフト夫人の弟のウェントワース中佐に、8年前求婚されたことがあるから。

お互いに愛し合っていた仲でしたが、ウェントワース中佐の身分が低く父から反対されたこと、そしてなによりも母の友人で絶対的な信頼を寄せているラッセル夫人も異を唱えたことで求婚を断ったのです。

ウェントワース中佐には財産がなく、いずれは艦長になるつもりだと言ってくれていたのですが、ラッセル夫人はウェントワース中佐を無鉄砲な若者だと判断し、アンは幸せにはなれないと思ったのでした。

戦争で活躍し宣言通り艦長となり今では大佐になって財産も蓄えたウェントワース。27歳になったアンはウェントワース大佐とともに生きることが出来なかったことを後悔し、今も忘れられずにいます。

しかしもしウェントワース大佐も自分のことを忘れずにいてくれたなら、財産を手に入れた時点で駆けつけてくれていたはずですから、感情の面はともかく理性ではもうすっぱり諦めているアンなのでした。

サー・ウォルターと長女のエリザベスとともにバースへ行くことになっていたアンですが、結婚している三女メアリーが病気になってしまったのでその看病のためにアパークロス・コテッジへ向かいます。

メアリーの夫チャールズ・マスグローヴとその妹ヘンリエッタ、ルイーゼと交流し始めますが、思いがけない出来事が起こりました。マスグローヴ家と知り合ったウェントワース大佐がやって来たのです。

ウェントワース大佐はアンを見ると軽く会釈し、アンも膝を折ってあいさつをしました。猟の支度が出来るとチャールズとウェントワース大佐はすぐに出かけていきます。たった数分で終わった再会でした。

「終わったのだ! 終わったのだ! 最悪の事態は終わったのだ!」とアンは、興奮と感謝の気持ちで何度も自分に言った。
 メアリーが何か言ったが、アンはうわの空だった。私はあの人に会ったのだ! 私たちは再会したのだ! 私たちはまた同じ部屋の中にいたのだ!
 だがアンはすぐに、「もっと冷静にならなくては。感情を鎮めなくては」と必死に自分に言い聞かせた。あれからもう八年が経ったのだ。すべてをあきらめてから、もう八年が経ったのだ。長い歳月が忘却の彼方へ追いやったはずの、あの心乱れる思いをまた蒸し返すなんて、なんと愚かなことだろう! 八年も経てば、何もかもが変わるのが当然ではないか。あらゆる種類の出来事、変化、疎遠、移動……何が起きても不思議ではない。そして過去の完全なる忘却も……なんと自然で、なんと確かなことだろう! 八年といえば、私のこれまでの人生のほぼ三分の一ではないか。
 ああ、しかし、理性によっていくら言い聞かせても、心変わりを知らぬ心にとっては、八年という歳月も無に等しいかもしれない。
 では、あの人の心はどう受け取ったらいいのだろう? 私を避けたいと思っているのだろうか? だがつぎの瞬間アンは、こんな問いを発した自分の愚かさに呆れた。(101ページ)


それからアンとウェントワース大佐はたびたび顔を合わせるようになりましたが、あいさつ程度しか会話はしません。避けられてはいないようですが、もう今となっては全く関心を持たれていないようです。

ケリンチ屋敷に滞在しているウェントワース大佐は頻繁にマスグローヴ家のアパークロス屋敷を訪れ、ヘンリエッタとルイーゼと親しくなっていきます。どちらかと結婚するのではないかという噂でした。

ある時、アンはたまたまウェントワース大佐とルイーザが散歩中に交わしている会話を立ち聞きしてしまいます。ウェントワース大佐はハシバミの実をもぎとって、ルイーザにこんなことを言ったのでした。

「このつやつやした美しい木の実は、木の実本来の強い力に恵まれて、秋の嵐にも負けずに生き残ったのです。小さな斑点ひとつないし、どこにも弱点がない」大佐は冗談半分のまじめな調子でつづけた。「たくさんの仲間たちが地面に落ちて、人間の足に踏みつけられているのに、この木の実は、ハシバミの実が享受できるあらゆる幸せをしっかりと持ちつづけています」そしてまた元のまじめな調子に戻った。「ぼくのまわりのすべての人たちに第一に望むことは、気持ちをぐらつかせず、強い意志を持つことです。もしルイーザ・マスグローヴが人生の十一月になっても、いまの美しさと幸せを失いたくないなら、いまの心の強さをいつまでも大切にすることです」(147ページ)


周りからの反対を受けて、ウェントワース大佐の求婚を断ってしまったアンにとっては、耳が痛い言葉でした。ウェントワース大佐が自分の性格についてどう考えているかこれで分かったような気がします。

バースへ移ったアンは絶縁状態になっていたいとこのエリオット氏と父が交流を始めていたことを知りました。サー・ウォルターには男子がいないので、エリオット氏はエリオット家の相続人に当たります。

サー・ウォルターが亡くなると、准男爵の身分と財産はエリオット氏が受け継ぐことになっているのでした。そこで、かつてサー・ウォルターはエリオット氏と長女エリザベスを結婚させようとしたのです。

しかしそれをエリオット氏が拒否したことで、ずっと絶縁状態が続いていたのでした。再び交流が始まってよかったと思っていると、エリオット氏はアンに好意を抱いたらしく、アプローチをして来て……。

はたして、アンは、幸せな未来をつかみ取ることが出来るのか!?

とまあそんなお話です。かつて婚約していたアンとウェントワース大佐が8年ぶりに再会するも、それぞれにいい感じの相手が出来てしまい、どことなく意識しつつも、なかなか距離が縮んでいかない物語。

この小説の面白い所は、ほとんどがアンの視点で、ウェントワース大佐が何をどう考えて行動しているかよく分からない所。8年前に求婚を拒否されたことで傷つき、絶望し、怒っていたことは分かります。

しかし、8年ぶりに再会したアンのことをどう思っているのかはよく分からないのでした。それだけに読者は、悩むアンと一緒の気持ちになって、ウェントワース大佐の心を探っていくことになるわけです。

描かれているのはごくありふれたものばかりで、劇的な物語ではありませんが、登場人物の性格がそれぞれに特徴的で面白く、また誰と誰がくっつくのか目が離せず、ぐいぐい読まされてしまう小説でした。

オースティンは面白い作家なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。ちくま文庫から中野康司訳で6作とも刊行されています。

明日は、藤沢周平『驟り雨』を紹介する予定です。