小林多喜二『蟹工船・党生活者』 | 文学どうでしょう

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蟹工船・党生活者 (新潮文庫)/新潮社

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小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)を読みました。

格差社会が問題となり、ワーキングプアが叫ばれる昨今。必死で働いてもなかなか生活が豊かにならない現実が、作中で描かれている労働者たちの姿と重なり、「蟹工船」は再び脚光を浴びました。

2008年に、「蟹工船」ブームが起こったんです。新刊ではなく、古い文学作品がベストセラーになるのは極めて異例のことと言ってよいでしょう。その時に、読まれた方も多いのではないでしょうか。

「蟹工船」や「党生活者」について何かを書くことは、実は、非常に難しいんですが、とりあえず、物語の面白さの面から見ていきましょう。そうなんです、「蟹工船」「党生活者」は面白い小説なんです。

「蟹工船」は、カニを捕って缶詰を作る船に乗せられた労働者たちの苦しみを描いた作品で、劣悪な労働環境の改善を求めて、ストライキを起こそうとするのですが・・・というお話。

苦しい状況に耐えて耐えて、とにかく耐えて、最後の最後ですべてを爆発させるという物語の流れは、高倉健の任侠映画、たとえば『昭和残侠伝』などに似た興奮があります。

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「党生活者」は、虐げられた労働者を救うために、工場に潜入して同志を集めたり、ビラをまくなど様々な活動を行う社会主義者の生活を描いた物語。

主人公は、特高(特別高等警察の略。反体制活動を取り締まるために作られた組織)から逃げ、アジトを転々としながら、自分の思想のために、なんとか任務を果たそうとするのです。

そのスリリングさは、さながら『ミッション・インポッシブル』などのスパイものや、尊皇攘夷の名の下に、新撰組から逃げながら活動を続ける幕末の志士たちの物語を思わせます。

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そんな風に、作者と作品を切り離して読めば、「蟹工船」も「党生活者」も、なかなかに面白い、エンターテイメント性に富んだ作品で、面白かったなあという感想も、大いにありだとぼくは思います。

ただ、小林多喜二の小説は、”面白かったなあ”と安易に口にできない作品でもあるんですね。何故なら、プロレタリア文学だからです。

プロレタリア文学と言うのは、耳慣れない言葉かも知れませんが、プロレタリア(労働者階級)の苦しみを描き、読者を社会主義に目覚めさせるような文学のことです。

『資本論』で有名なドイツの思想家、カール・マルクスは、一部のブルジョア(富裕層。労働者を雇う側)によって、プロレタリアが苦しめられている社会構造を見出しました。

これはなんとなく分かりますよね。一部のお金持ちが世界を牛耳り、貧しい人がいつまでも貧しいままなのはおかしいんじゃないかと、そういうことです。誰もがみなが幸せになれる道はないのだろうかと。

そうした思想が社会主義なのですが、しかしやがて、誰もが平等という新たな社会を求めたマルクスの思想は、既存の権力を打ち壊す革命運動に繋がってしまいました。

実際に、ソ連(おおよそ今のロシア)や中国などでは、社会主義国家が作られましたね。

革命運動を模索する勢力は、国家にとって脅威になります。なので、社会主義活動をしていた小林多喜二は特高に捕まり、拷問を受けて亡くなったんですね。これは極めてショッキングな事実だと思います。

そうしたことがありますから、プロレタリア文学として「蟹工船」や「党生活者」を読む時、小林多喜二の死を含む、社会主義活動そのものをイメージとして重ねずに読むことは、不可能なんです。

安易に取り扱えない生々しい問題が、今だに内包され続けているのがプロレタリア文学であり、小林多喜二の「蟹工船」や「党生活者」なんですね。

なので、「蟹工船」を面白かった、感動したと肯定的に受け入れることはある意味では、”労働者たちよ立ち上がれ、革命運動を起こそう!”という気持ちに、同調することに他なりません。

労働者たちが今の苦しみから脱け出すための選択肢が他にはないため、そういう気持ちになるようにこれまたうまく書かれているわけですが、簡単に答えが出せない難しい問題がそこにはありますよね。

そうした、言わば極めて偏った思想で書かれた小説なので、あまり安易におすすめは出来ない部分があるのですが、かなり引き込まれる物語で、今だに古びていない作品であることは確かです。

作品のあらすじ


『蟹工船・党生活者』には、「蟹工船」「党生活者」の2編が収録されています。

「蟹工船」

こんな書き出しで始まります。

「おい、地獄さ行ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかゝって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
(8ページ。くの字点は表記を改めました)


カニを捕り、船の中で缶詰を作る蟹工船の博光丸は、労働者たちを乗せて出航しました。食べるのに困って乗った者、半ば騙されるような形で連れて来られた者など、労働者たちの事情は様々。

労働者たちは、「糞壺」と呼ばれる部屋でみんなで寝起きするのですが、とても寒くて、みなガタガタと震えながら眠り、船酔いと過労で具合が悪くなる者も出ます。

やがて、博光丸と並んで進んでいた秩父丸からSOSが入りました。船が沈みそうだというのです。船長はすぐさま助けに行こうとしますが、労働者たちの監督である浅川はそれを止めました。

「余計な寄道せって、誰が命令したんだ。」
 誰が命令した? 「船長」ではないか。――が、突嗟のことで、船長は棒杭より、もっとキョトンとした。然し、すぐ彼は自分の立場を取り戻した。
「船長としてだ。」
「船長としてだア――ア!?」船長の前に立ちはだかった監督が、尻上がりの侮辱した調子で抑えつけた。「おい、一体これア誰の船だんだ。会社が傭船してるんだで、金を払って。ものを云えるのア会社代表の須田さんとこの俺だ。お前なんぞ、船長と云ってりゃ大きな顔してるが、糞場の紙位えの価値もねえんだど。分ってるか。――あんなものにかゝわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない、一日でも遅れてみろ! それに秩父丸には勿体ない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得をするんだ。」
(31ページ、本文では「傭船」に「チアタア」のルビ、「フイ」に傍点)


そうして、乗組員425人を乗せた秩父丸からの連絡はそのまま途絶えてしまったのでした。

航船ではなく、工場でもない”工場船”である蟹工船は、航海法も工場法も適用されません。逃げ場のない環境の中、労働者たちはただただ過酷な労働を強いられるのです。

次第に、浅川監督は働きの少ないものに「焼き」を入れることを発表し、労働者たちはますます辛い状況に追いやられてしまいました。死んだ者はどんどん海に捨てられます。

ある時、暴風雨でカニを取る小船が流され、そのまま行方不明になってしまいました。誰もが乗っていた者は死んだと思いましたが、3日後になって元気な様子で戻って来ます。

なんと、カムサツカの岸に打ち上げられ、ロシア人の家族に救われたのだと言うんですね。ロシア人の元には、片言の日本語が喋れる中国人がいました。

中国人は、ロシア人の言葉を通訳しながら、君たちプロレタリアは団結して戦うべきだと言います。そうすれば環境が、やがては国全体の仕組みが変わるはずだと。

「働かないで、お金儲ける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好、)――これ、駄目! プロレタリア、貴方々、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる。)強くなる。大丈夫。(腕をたゝいて、)負けない、誰にも。分る?」(53ページ)


浅川監督の下で、ひたすらこき使われ続ける労働者たち。やがて、一部の労働者たちが力をあわせて、浅川に立ち向かうことを決めたのですが・・・。

「党生活者」

戦争が始まり、臨時工として入り込みやすくなったため、〈私〉は仲間と共に倉田工業に潜り込んでいました。そうしてビラをまくなど、ひそかに社会主義活動を行っているのです。

家に帰る時、下宿の子供にキャラメルを買って来てやりました。そうして周りの子供やその親にいい人だと思われておくのも重要なことです。社会主義者だと疑われてはいけませんから。

前に、何時ものように家を出ようとした時、「あんたはヨク出る人ですねえ」と、おばさんが云ったことがある。私はギョッとした。事実毎晩出ていたので、疑えば疑えるのである。私は突嗟にドギついて、それでも「何んしろその……」と笑いながら云いかけると、「まだ若いからでしょう?」と、おばさんは終いをとって、笑った。私はそれで、おばさんはあの意味で云ったのではないことが分って安心した。
(151ページ、本文では「あの」に傍点)


そんなことがあってからというもの、他人からどう見られているかに、〈私〉はより一層気を配るようになったのです。

やがて、ヒゲと呼ばれるキャップ(責任者)と連絡がつかなくなり、自分のアジトを知っている仲間が捕まってしまいました。もう今住んでいる場所にはいられません。

そこで、慌てて円タクに飛び乗り、どうしようかと考えます。身を寄せる場所はなかなか思いつかず、以前から社会主義活動に好意を持ち、何かと助けてくれる笠原という女の元を訪ねることにしました。

特高に存在が知られているため、表に出て働くことも出来ない〈私〉は、ふらふらしていても怪しまれないようにカモフラージュする必要もあって、笠原と夫婦のようにして暮らすことにしました。

ところが、〈私〉のアジトを隠すため、住む場所を移ったことを会社に知らせていなかったことから、”赤”(社会主義者)だと疑われ、笠原は仕事を首になってしまいます。

日々暮らす金にも困る中、特高がどんどん自分に近付きつつあるのを〈私〉は感じていて・・・。

とまあそんな2編が収録されています。「蟹工船」は集団、「党生活者」は個という、それぞれ違った視点から社会主義活動を描いた一冊。

現代の社会問題と重ねあわされて、再び脚光を浴びたわけですが、少なくともワーキングプアを解決する答えが書かれている本でないことは確かです。

何しろ、”革命”を起こし、国の仕組み自体を変えることで、プロレタリア(労働者階級)を救おうとしているわけですから、いくら共感しても、すぐ実行出来るノウハウ的なものは学べません。

なので、どういう人にこの本をすすめるかは、非常に難しいですね。間違いなく一度は読んでみる価値がある一冊なのは確かですけども。

仕事の環境に悩みを抱えていない人は、読んでもピンと来ないでしょうし、かと言ってあまりにも共感しすぎて、過激な活動を始められてもあれですし・・・。

とりあえずぼくが言えるのは、ストーリーとしてはどちらもスリリングで面白いということ。

プロレタリア文学って一体どんな感じなのかなあと、興味を持った方は、社会主義についてなど、あまり難しいことは考えずに読んでみてもいいかも知れません。

明日は、水上勉『飢餓海峡』を紹介する予定です。