滝口康彦『一命』 | 文学どうでしょう

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滝口康彦『一命』(講談社文庫)を読みました。

森鷗外の『阿部一族・舞姫』の記事の時に、おすすめの関連作品としてあげていたんですが、ぼくが忘れられない映画として、『切腹』という作品があります。

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1962年に公開された小林正樹監督作品で、仲代達矢と三國連太郎が共演した作品ですが、これが何ともすさまじい映画なんです。

場面の変化がほとんどない時代劇なんですが、鳥肌立つような傑作です。機会があれば、みなさんもぜひ観てみてください。

屋敷の中で切腹させてくれと言って、お金をゆすろうとするらしき薄汚い浪人者(仲代達矢)と、武士としての誇りを持ち、心身共に落ちぶれた浪人者を軽んじている家老(三國連太郎)との、火花散る議論を描いた物語。

そう、『切腹』は、世にも珍しいディベート(議論)時代劇なんです。2人の対話の中で、次々と意外な真実が現れ、物語は思いがけない展開になっていくこととなります。

その『切腹』が三池崇史監督、市川海老蔵主演で『一命』として2011年にリメイクされました。3Dで公開されたことも話題になりましたね。

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ぼくはまだ観ていないので、その内観たいと思っていますが、この映画の公開にあわせて、『切腹』と『一命』の原作である「異聞浪人記」を収録した、オリジナルの短編集が作られました。

それが今回紹介する『一命』です。「一命」という作品はなく、映画にあわせた短編集全体のタイトルとなっています。

作者の滝口康彦は、現在では作品のほとんどが絶版ですし、メジャーな時代小説作家とは言えませんが、九州に住み、九州を舞台にした歴史小説を残したことにその特色があります。

何か名前に聞き覚えがあるなあと思ってよく考えたら、立花宗茂について書かれた小説を読んだことがあるのを思い出しました。

誰もが知っている有名な武将について書かれた歴史小説も面白いですが、地域色の強い、マイナーな武将を取り上げるのは、それはそれでとてもいいことですよね。

この短編集にも、九州の大名である竜造寺隆信の領地で起こった出来事を描いた作品「謀殺」などが収録されていますが、九州が舞台になる歴史小説は本当に少ないので、とても興味深く読みました。

作品のあらすじ


『一命』には、「異聞浪人記」「貞女の櫛」「謀殺」「上意討ち心得」「高柳父子」「拝領妻始末」の6編が収録されています。

「異聞浪人記」

井伊掃部頭直孝の屋敷に、55、6歳と見えるみすぼらしい浪人者がやって来ました。

老職の斎藤勘解由(かげゆ)は、「またも来おったか、性こりもなく」(9ページ)とにやりと笑います。

当時、食うに困った浪人者が、切腹するための晴れの死に場所として玄関先を貸してくれないかとやって来て、それを断りたい武家屋敷から幾許かの金を得るという、半ばゆすりのようなことが流行していたんですね。

勘解由はやって来たその浪人、津雲半四郎に吠えづらをかかすために、半年前に起こった出来事を話し始めます。

その時にやって来たのは、千々岩求女という27、8歳の浪人者でした。

しかし、ゆすりを働く浪人たちの所業を目に余るものと見ていた勘解由は、切腹の用意をすべて整えてしまい、こう言ったのです。

「浪々貧苦のうちに、座して窮死の日を待つよりも、いさぎよく腹かっさばいて果てんとは、近頃まことに奇特のお志。いや、武士は誰しもかくこそありたいもの。先代直政以来の、赤備えの武勇を誇る当家にも、そこもとほどの覚悟ある者は稀であろう。大ぜいの侍どもも、まことの武士のあっぱれなる死ざまを拝見せんものと、ごらんの通り集まっておる。いざ、お心静かに」(23ページ)


青ざめた千々岩求女は、「今より一両日の御猶予が願いたい。逃げもかくれもいたさぬ。必ずこれへ戻って参る!」(24ページ)と言ったものの、無理矢理切腹に追いこまれてしまいました。

金に困って脇差はとうに売っており、竹光を腹に突き刺し、周囲に笑われながらの、惨めな切腹でした。

その話を聞いて、さぞかし怖れを抱いただろうと勘解由は半四郎を見ますが、半四郎は別段、動じた様子はありません。

自分は本当に切腹するつもりでやって来たのだが、ただ、介錯人に望みがあると半四郎は言います。

しかし、半四郎が名前をあげた井伊家でも指折りの剣の達人たちは、いずれも病気で出仕していませんでした。

――はて?
 斉藤勘解由の顔がつと曇った。
(中略)
 しかも、今はじめて気がついたことだが、三名が三名とも、千々岩求女と称する浪人に遮二無二腹を切らせた時の首謀者なのであった。
 ――何かある?
 斉藤勘解由は、ようやく相手の胸中に、容易ならぬ企みが宿されていることを思い知った。(19ページ)


やがて、半四郎の口から、思いもよらぬ話が語られ始めて・・・。

「貞女の櫛」

佐賀の鍋島家に百石で仕える武士、田代利右衛門の屋敷に下男として奉公をしていた23歳の巳之吉が、死体となって村へ帰って来ました。

突然の出来事に、家族は呆然とします。おまけに、無礼討ちだというのが何より驚きです。巳之吉は、一体何をしたというのでしょう。

やがて、ある噂が伝わって来ます。利右衛門には夏という妻がいるのですが、巳之吉は夏に身分不相応な愛情を抱いていたというのです。

「奉公人の分際で、かりにもご主人さまの奥様に思いをかけるなど、もってのほかと、何度も自分をしかりつけました。でも、前世の因縁か、もはやいちずに恋しくて、あきらめることができません……」
 必死と見えて、顔には血の色もなく、額には汗がにじんでいた。(48ページ)


力ずくでも思いを遂げようと迫り来る巳之吉に、夏は武家の貞女らしく機転をきかせて事なきをえたのですが、巳之吉は主人の怒りを買って、無礼討ちにあってしまったというわけです。

兄の突然の死にどうしても納得できないおくみは、夏の元を訪ねて行って・・・。『葉隠』の挿話を新解釈で描いた短編。

「謀殺」

竜造寺隆信に仕え、正直者として有名な西岡美濃は、ある重大な役目を命じられました。

大浦鎮並を暗殺するため、肥前須古城までおびき寄せるという役目。

鎮並は隆信に対して謀反を起こした武将で、現在は和睦を結んでいるのですが、隆信は何としてでも、気に食わない鎮並を殺してしまおうと思っているのです。

鎮並も美濃が嘘をつけない人間だと知ってますから、美濃の言うことは信じるだろうという、隆信の思惑があります。

「かねての正直ぶりに物いわせて、わしのために一生一度の大嘘をついてもらいたい」(73ページ)


そう主君から頼まれては、断るわけにはいきません。

美濃は立派に使者の役目を果たし、鎮並の心を動かすことに成功しました。

鎮並の母である千寿は、息子の命が心配なので、美濃の本心を探るために17、8歳で美しい侍女、深雪に美濃の伽(とぎ。この場合は夜の相手をつとめること)を命じます。

謀(はかりごと)を胸に抱いているならば、誠実な美濃は深雪を抱かないだろうと考えたわけですね。

そして誠実な美濃は美濃で、鎮並を騙し討ちしたくないという思いがあります。はたして、美濃が取った行動とは?

「上意討ち心得」

紀州和歌山の家中の中でも指折りの手練れ、浅香大学が主君のお気に入りの近習を切り捨てて出奔しました。

追手をかけますが、次々と返り討ちにあってしまいます。そんな中、上意討ちを命じられたのは、28歳の里見主馬。

取り立てて腕が立つわけでもない主馬にこの役目が命じられたのは、祇園弥三郎が主君に頼んだことによるものでした。

弥三郎の妹、小雪が主馬のことを好きなのですが、主馬は取り立てて取り柄がないので、親族がなかなか結婚を認めてくれないのです。

そこで、腕の立つ自分が介添えとして参加し、妹の幸せのために、主馬に手柄を立てさせてやろうという腹づもりだったのです。

ところが、主馬は介添えを断り、一人で旅立ってしまったのでした。どう考えてもやけになって死に急いでいるとしか思えません。

上意討ちの役目を果たせたかどうか、そして何よりも主馬が無事かどうか、やきもきしながら待っている弥三郎と小雪の兄妹の耳に飛び込んで来たのは、驚くべき知らせでした。

まず、主馬は無事に大学を討ち果たしたこと。しかし、隣国で討ったにも関わらず、ご判物(はんもつ。この場合は役目について書かれた主君の書状)をなくし、罪人のおそれありとして取り調べを受けているというのです。

主馬はいかにして大学を討ち果たしたのか? そして何故ご判物をなくしてしまったのか?

「高柳父子」

小城藩主、鍋島加賀守直能は、死の床に伏せっています。

主君の枕元にするすると近付いていったのは、29歳の高柳外記でした。「殿……。高柳外記、追腹つかまつりとう存じまする……。この儀、なにとぞお許しのほどを……」(141ページ)と平伏して頼みます。

慌てたのは周りにいた重臣たちです。何故なら、10数年前に幕府の法令で殉死が禁じられているからです。

実際に、殉死者を出した藩に処罰が降った例もあります。勝手な殉死者を出せば、藩の命運にも関わるわけですね。

しかし、殉死を止めようとする居並ぶ重臣たちに対して、外記は思わぬことを言い出します。

「父の織部は、詰め腹を切らされた。寄ってたかって詰め腹を切らされた。兵部殿……。その父の不覚、父の恥辱を、外記はすすぎたいのでございます。よしや公儀のおとがめがあろうと、お家がどうなろうと、外記はかならず追腹つかまつりますぞ」(147ページ)


外記のこの言葉は非常に複雑な意味合いを持っていて、父を恥に思っての言葉ではありません。恨みの言葉であり、激しい怒りの言葉なんです。

それと言うのも、先代の主君の死に際して、最も主君から信頼されていた父の織部は、殉死をしなかったんですね。

勿論織部も心情としては、殉死を考えないではありませんでした。しかし、殉死が礼賛されていた当時の状況にも、やや複雑なものがあったのです。

殉死者はまた、忠誠心の発露によるものとして賞揚され、その墓所は、たいてい主君の廟所のかたわらに建てられる。その子孫に対しては、格別の優遇を賜わることとなる。
 これが次第にこうじて、おのれが死んでかわりに子孫の繁栄を願う、悪くいえば取り引き――いわゆる商い腹の弊風を生み、あるいは、欲せぬ者にまで、立場上死を強いる結果ともなった――。(164~165ページ)


本来忠義をしめすための殉死が、打算的なものになり、また忠義だからと言って、死にたくない者まで死に追いやられてしまう状況があったんですね。織部はその状況に異を唱えようとしたのです。

しかし、何故殉死をしないのかと、織部に対する風当たりはどんどん強くなっていって・・・。

「拝領妻始末」

会津若松に三百石で仕える笹原家は、主君松平正容からの突然の話に困惑します。

その話は側用人の高橋外記によってもたらされたのですが、愛妾だったお市の方を、笹原家の嫡男与五郎の嫁にしてはどうかというものでした。

正容とお市の方との間には、世継ぎではない容貞という子供がいましたが、正容の寵愛は他の妾に移ってしまったんですね。

その妾に対して逆上したお市の方が乱暴を働いたことから、暇を出されることになったというわけです。

笹原伊三郎は遠回しに断りますが、外記は、「くどいわ。御内意だと申したこと、まだわからぬか」(189ページ)と声を尖らせます。

どんな時も腰が低く、側用人と聞いただけで怖れをなすような父親が、自分のためを思って断り続けてくれている姿を見て、与五郎の胸は熱くなりました。

そして、ついに与五郎は、「父上、わたくし、お受けいたしたいと存じます」(190ページ)と言ったのです。

夫婦になった与五郎といちに戻った市の方は、どことなく肩身が狭い感じもありながらも、仲睦まじく暮らしています。やがてとみという女の子も生まれました。

ところが、世継ぎの予定だった子供が亡くなってしまい、急遽、いちの子供である容貞が世継ぎに決まったのです。

いずれは藩主になる容貞の生母を藩士の嫁にしてはおけないということで、与五郎は、いちの返上を願い出るように命じられてしまったのでした。

笹原家の親族は巻き添えを食ってもいけないという思いから、一刻も早く藩主の命に従うように圧力をかけて来ますが、伊三郎と与五郎親子は、決していちを離そうとはしないで・・・。

とまあそんな6編が収録された短編集です。映画『切腹』と『一命』の原作になった「異聞浪人記」は短いながらも、やはり突出した面白さがあります。

「切腹させて欲しい」は、本当に切腹をさせて欲しいということではなく、まあまろやかに言えば、金銭的に少し助けて欲しいということですよね。

それを分かっていながら、あえて言葉通り受け取って、無理矢理切腹させてしまった井伊家の態度は残酷です。残酷ですが、ある意味では筋が通った、正しいことでもあります。

「切腹させて欲しい」とやって来た人に、切腹する道具や場所を貸してあげるわけですから、むしろ感謝されてもいいぐらいです。

とにかく、井伊家にとっては、次から次へと浪人にたかられてはたまりませんから、一度断固たる処置を取っておけば、後々うるさくないという考えがあったわけですね。

そうした言わば正論を身にまとった斉藤勘解由に対して、津雲半四郎は何を語り、何をしようというのでしょうか。ぜひ注目してみてください。

本音と建前の差や、周囲と考えがぶつかっても決して譲らない信念のようなものは、他の短編でもテーマになっていて、「高柳父子」や「拝領妻始末」も手に汗を握る面白さがあります。

「異聞浪人記」を除けば、個人的に好きだったのは、「上意討ち心得」です。

これはアイデア的に結構面白い作品で、「なるほど、そういうことだったのか!」と腑に落ちる感じがいいですね。

物語の終わり方は痛快な時代小説とは一味違う感じにひねってあって、何だか変な余韻が残るんですが、それもまたこの短編が印象に残る大きな理由だろうと思います。

どの作品もストーリーが明確ですし、考え方の違いから、真っ向からぶつかり合う人々が描かれた、面白い作品集です。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。映画『切腹』もおすすめですよ。ぜひあわせてご覧ください。

明日は、池波正太郎『剣客商売二 辻斬り』を紹介する予定です。