葉室麟『銀漢の賦』 | 文学どうでしょう

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銀漢の賦 (文春文庫)/文藝春秋

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葉室麟『銀漢の賦』(文春文庫)を読みました。

海外ミステリの文学史について、もう少しちゃんと調べようと思って、ここの所ずっとジュリアン・シモンズの『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』など、ミステリ関係の本ばかり読んでいたんです。

時代小説を紹介する記事の中で、『ブラッディ・マーダー』を紹介するのも何だか変な話ですけど、まあいいですよね。値段は高いですが、非常にいい本でしたよ。

ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史/新潮社

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『ブラッディ・マーダー』は海外ミステリの通史ですが、論旨がはっきりしているので、読んでいるだけで面白いです。海外ミステリの文学史に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

ただ、エドガー・アラン・ポーやコナン・ドイル、アガサ・クリスティーなど、ミステリの基本となるいくつかの作品のトリックは明かされてしまっているので、ある程度、基礎的な作品は押さえてから読んだ方がいいかも知れません。

通史を読むと、やっぱり読みたい作品が増えてしまうわけで、今ぼくの机の上には、海外ミステリの古典が何冊も積み重なっています。

でもあれなんですよ、海外ミステリばかりを読んでいると、何だか急に真逆のジャンルのものを読みたい衝動が沸き上がって来るものなんですよ、不思議と。

歴史小説・時代小説は、ぼくの中では海外ミステリと対極にあるジャンルなんです。いや、なんとなくなので、特に理由はないんですけども。

とまあそういうわけで、とりあえず時代小説をと思って何気なく読んでみた一冊が、今回紹介する『銀漢の賦』なんですが、これが当たりだったんです。いやあ面白かったです。

まさに読みたかったのはこういう時代小説なんだよという感じで、非常に楽しみながら読んだ一冊でした。

作者の葉室麟は、『蜩ノ記』で直木賞を受賞して、今時代小説の領域では、かなり注目されている作家だと思います。

『銀漢の賦』は、ある出来事をきっかけに袂を分かってしまった親友同士を描いた時代小説です。

一人は藩を牛耳る家老にまで登り詰めましたが、もう一人は郡方(農民の監督などの仕事)止まり。二人の運命を分けたものは一体何だったのでしょうか。

そして、二人は何故、絶縁状態になってしまったのか?

中年になっている現在と、若き日の二人が友情を育んでいく過去の回想が交互に描かれていき、物語の後半で、その謎が明かされることになります。

友情、そして武士の生き様が描かれているのは勿論、政治そのものの難しさが大きなテーマになっているのが特徴的な作品でもあります。

藩を牛耳り、藩の政治を腐敗させていた人物を倒す形で家老になったものの、自分が正しいと信じる政治を行うためには、時には非情な決断もしなければなりませんし、他の人から批判されることを恐れてはいられません。

闇雲に信念を貫いてきたその姿は、皮肉にもかつて藩政を牛耳っていた家老に、とてもよく似ているのでした。

藩にひそかな危機が忍び寄って来た時、大きな身分の差が生まれ、もう交わることがないと思われた二人の運命が再び交錯して・・・。

和田竜の『のぼうの城』や、百田尚樹の『影法師』など、最近の時代小説・歴史小説は、登場人物のキャラクターがしっかりしていて、武士の生き様で心に訴えかけるものが多いですが、『銀漢の賦』もまさにそういう点で、大満足の作品だろうと思います。

逆に言えば、自然体ではないというか、人物造形と主題の点で装飾過多の感じがしないでもないんですが、物語的に面白いので、思わず引き込まれてしまうこと請け合いの時代小説です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

日下部源五が家老松浦将監の異常に気づいたのは八月の昼下がりのことだった。場所は月ヶ瀬藩から領外に抜ける風越峠への道である。(7ページ)


家老の将監が堰を視察するので、その案内をつとめていた源五は、馬に乗った将監の顔色が悪いこと、苦しげに腹を押さえているのを不審に思いました。

「武士が人前で苦痛を見せるなど不心得な」(13ページ)と思った源五ですが、余程のことがなければ、将監がそういったそぶりを見せる人物でないことは、幼い頃からの付き合いで知っています。

観音堂で休憩すると、将監は源五に親しげに話しかけて来ました。源五もとまどいながらそれに応えます。

今は身分も違いますし、ある出来事をきっかけに何十年も絶縁状態の二人なのですが、そこから見える峠は、二人がかつて遠乗りでやって来て、夢を語らった思い出の場所なのでした。

将監は自分が病におかされていて、余命幾ばくもないことを告げ、「源五よ、わしは間もなく名家老どころか、逆臣と呼ばれることになるぞ」(20ページ)と謎めいた言葉を口にします。

現在将監は51歳、源五は一つ上の52歳ですが、二人が知り合ったのは、源五が12歳の時に、当時は岡本小弥太だった将監が、貫心流の道場に入門して来たことによってでした。

源五と小弥太は、初めはぶつかり合いますが、やがてお互いに本当に心を許せる友になります。

そこに加わったのが、百姓ながら、向上心に満ちあふれている少年、十蔵。三人はいつも一緒です。

源五と十蔵はよく小弥太の家に遊びに行きました。小弥太の父は、江戸で何者かに斬られて亡くなってしまったのですが、母の千鶴がいつもやさしく出迎えてくれます。

ある時、千鶴が石路(つわぶき)を活けているのを見て、源五はこんな風に尋ねました。

「花というものは自然に咲いておってきれいなものだと思いますが、やはり葉は切らねばならぬものですか」
 と聞いた。千鶴はにこりと笑って、
「源五殿、人は皆、生まれたままで美しい心を持っているとお思いですか」
「いや、それは――」
 源五は頭をかくと、
「人も花も同じです。生まれ持ったものは尊いでしょうが、それを美しくするためにはおのずと切らなければならないものがあります。花は鋏を入れますが、人は勉学や武術で鍛錬して自分の心を美しくするのです」
 千鶴は静かに石路に鋏を入れながら、
「花の美しさは形にありますが、人の美しさとは覚悟と心映えではないでしょうか」
 と言うのだった。(50ページ)


その千鶴は、やがて自害して死んでしまいます。遺書にはっきりした理由は書かれていなかったのですが、死の前日に潮見閣に入るところを十蔵に目撃されていました。

潮見閣は、藩の政治を裏で牛耳っている九鬼夕斎の隠居所です。

藩主もひそかに訪れ、遊女を呼んでの乱交が行われていると噂されている場所なだけに、小弥太は「なぜ母上は潮見閣などに行かれたのであろう」(85ページ)と不審に思います。

千鶴の死の真相を追う内に、小弥太と源五は、藩の政治の裏側で、九鬼夕斎が様々な陰謀が張り巡らしていることに気付きました。

小弥太の父の死もその陰謀に関係があること、誰が下手人だったかを知った小弥太は、父の仇討ちを決意するのです。

父を殺した下手人を殺し、母を死に追いやり、すべての陰謀の黒幕である九鬼夕斎を倒し、藩の政治の腐敗を取り除くことを、小弥太は心に決めました。

しかし、父を殺した下手人は、必殺の技を持つ凄腕の剣士で・・・。

一方、現在。源五は将監が何を考えているのかを探る内に、娘婿の伊織から、寄合(会議のこと)で揉め事が起こったことを知ります。

殿様が幕閣入りをするために必要な、国替えといって、藩を丸ごと移ることを幕府に願い出ようという話が出たのですが、それに将監は異を唱えたというんですね。

 源五は目先の欲得に目を奪われて社稷を忘れるのか、と言いたかったがやめた。同じことを将監も言っただろうという気がしたのである。
 それよりも伊織がなぜ、こんな話をするのかが気になった。
「話はわかったが、つまるところ御家老の反対でつぶれたというわけであろう」
 源五が言うと、伊織はゆっくりと頭を振った。
「義父上もおわかりでしょうが、この件は中原殿の発案などではなく殿の御意志です。寄合で結論が持ち越されたのは、あまり紛糾して国替えのことが藩内に漏れるのを恐れたからです。殿が決意されている以上、必ずそのように運びましょう」
「そうなれば御家老は腹を切るぞ」
 源五の目が光った。(77ページ)


やがて、藩政を牛耳り、主君の考えを通さない将監の暗殺が企てられることとなります。

剣の腕が立つことから、「主命である。否やは許されぬ」(122ページ)と、上意討ちを命じられたのは、なんと源五だったのでした。

二人が絶縁状態に至った過去の出来事とは一体? 藩の政治の行方は? そして、将監と源五の運命はいかに!?

とまあそんなお話です。タイトルの「銀漢の賦」の「銀漢」とは、天の川のことです。

少年時代の夏祭りで、源五と小弥太、十蔵の三人は天の川を眺めたんですね。その時に天の川を漢詩では「銀漢」と言うと、小弥太が口にしたのです。

同じように天の川を見上げていた三人の少年たち。しかし、それぞれの立場の違いから、運命は三人を思いも寄らぬ形で引き裂くことになるのです。

読みやすく、面白い時代小説ですので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、横溝正史『八つ墓村』を紹介する予定です。