長嶋有『ぼくは落ち着きがない』 | 文学どうでしょう

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ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)/光文社

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長嶋有『ぼくは落ち着きがない』(光文社文庫)を読みました。

ぼくの通っていた高校には、文芸部というのがちゃんとあって、しかもぼくの担任だった先生が、文芸部の顧問だったんです。

「文芸部って何をするんですか?」と先生に聞いたら、みんなで同じ本を読んで話し合ったり、文豪にまつわる史跡を見に行ったりするんだというんですね。

うわあ面白そうだなあともちろんぼくは思ったわけですが、残念なことに、文芸部は存在はしているものの、部員が一人もいないんです。一人も、です。

なので、ぼくが文芸部に入ってもやることは何もないですし、部員集めから始めないといけないわけですね。

それで結局文芸部には入らずに、図書委員会をずっとやっていたんですけど、新しく入った本の登録なんかをしていると、「寄贈 文芸部」のハンコが押してあったりするんです。

つまりどうやら、文芸部は部として認定されているから予算は出る、予算は出るけれども活動実態はないから、そのまま図書室に本を寄贈するという流れだったらしいんです。

ぼくは元々、みんなで力を合わせて何かをやるというのが得意なタイプでもないので、高校時代に部活動をしなかったことに関して、特に後悔はないです。

でも、文芸部にちゃんと部員がたくさんいて、先輩や同期や後輩に囲まれて、そこで何かしら得るものがあったなら、ぼくの人生は少し変わっていたのではないかと、そんな風にふと思ったりもするのです。

さて、今回紹介する『ぼくは落ち着きがない』は、桜ヶ丘高校の図書部の物語。

図書部は、貸出や返却など、カウンター業務を行い、図書室を運営していくという点で、図書委員会と似たようなものですが、少し違います。

クラスで一名ずつ選抜される図書委員もいるにはいるんですが、みんな委員なんてものは、熱心にやりたがらないわけですね。

その日に、カウンターで貸出業務を担当するはずの図書委員がさぼってしまうと、図書室は使えなくなってしまうわけです。

そこで、この物語が始まる何代か前に、自主的に図書室を運営する集まりが出来たんです。そうするといつでも図書室が使えますし、自分たちの好きな本を入れることが出来ます。

そうして出来た自主的な組織が図書部です。図書室の中の、薄いべニヤで仕切られた所が図書部の部室で、昼休みや放課後など、いつも誰かしら図書部員がいます。

高校野球でいう甲子園のように、体育会系の部活は、日々練習を積み重ねて何かしらを目指すものですが、図書部は体育会系でもないので、別に目指すものはありません。

日常業務や、或いは文化祭などイベントで何かをすることはあるにせよ、大きな目標というものが特にない、なんともゆるい部活なんですね。

みんなで集まって何をするかというと、マンガや小説の話をしたりするんです。仲間内はあだ名で呼び合い、図書部員の間だけで、ちょっとへんてこな言葉が流行したりします。

たとえば、「ヤドゥー」(33ページ)という言葉。「嫌だよ」という拒否の意味ですが、教科書貸してとか、何かをしてと頼まれた時に、「ヤドゥー、ヤドゥー」と連呼したりして使います。

それからぼくも思わず笑ってしまったのが、「ンモー」です。「しょうがないなあもう」という感じの言葉ですが、『かりあげクン』というマンガから来ています。

たとえば、コピー機の前でのこんな一幕。

 背後で扉があいて、富田先生が入ってきた。手にプリントを持っていて、急ぎのようだ。
「紙詰まりか? 急いでるんだけど」
「あ、すぐに紙いれます」ずるそうに笑いながら、堀越さんは望美に束を渡した。
「ンモー」
 ンモーは最近の図書部の流行。かつて先輩が部室に置いていって、少し前の部室内大掃除で発掘された「かりあげクン」(一冊だけ)の、女性キャラクターがイタズラされて困惑するときの台詞だ。(128ページ、本文では「発掘された」に傍点)


「んもう」じゃなくて、「ンモー」なのが、いいですよね。マンガのコマが目に浮かぶようです。

そんな風にマンガや小説、言葉など、色んなブームがあったりして楽しい図書部ですが、まあざっくり言えば、オタクの集団なんですね。

『ぼくは落ち着きがない』は、周りを少し冷静な目で見ている中山望美を中心に、図書部員たちの何気ない日常を描いた小説で、事件らしい事件も起こりません。

重要なのは、はっきりしたエピソードとしてはあまり描かれないのですが、どうも図書部員たちはみんな、クラスではどこかしら浮いた存在らしいこと。

いじめというわけでもないんですが、クラスで馴染めない生徒たちが集まる、学校で唯一心休まる場所が図書部なんです。

文庫本の解説は、長嶋有の『ジャージの二人』の映画化作品で主演もつとめた俳優の堺雅人が書いているんですが、そこでは図書部の面々が図書部内ではある種の「演技」をしていると読み解いています。

俳優ならではの洞察力が光っていて素晴らしいと思いますが、インターネットの仮想空間にも似ています。まさにアメーバのピグなんかに近いですね。

現実の自分とはまた違う、もう一人の自分というキャラクターを、図書部内だけで確立しているんですね。だから図書部員はお互いに本名で呼び合わず、あだ名で呼び合うわけです。

みんなでわいわいやる楽しさと、その裏側にあるちょっとした苦味のようなものもさりげなく描かれている作品です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 西部劇だ。
 望美は思う。両開きのドアを勢いよく押し開け、さっと中に入る。入った後でも背後では、まだ扉がゆらゆらと揺れる気配がしている。
 静寂が訪れるだろう。西部劇の酒場で、ドアがこんな風に開け放たれたときには。(9ページ)


西部劇のような扉を通り抜け、図書室に入るとカウンターには図書部員の頼子がいました。どうやら図書委員はまたサボったようです。

ベニヤで仕切られた部室では、みんなはお昼ご飯を食べたりしています。「部員たちが教室で昼休みを過ごさないのは、特に意味はないのかもしれないけど、もしかしたらめいめいに事情がある」(22ページ)ようです。

図書部員の多くはあだ名で呼ばれています。3年生の部長や望美からすると後輩なのにもかかわらず、同じように「ナス先輩」と呼ばれている2年生のナス先輩は、下の名前である為(なす)がそのままあだ名になりました。

他には、『金田一少年の事件簿』で殺された脇役の尾ノ上に似ているからとつけられた尾ノ上、美術部との掛け持ちで、カシオの時計をしているからつけられた樫尾などがいます。

尾ノ上や樫尾の本名を、望美はもはや思い出せませんし、新しく入って来た一年生の顔と名前も一致していません。

桜ヶ丘高校には、図書部の他に文芸部もあります。

読書が好きで、創作活動したりと、似ている部分も多い図書部と文芸部が若干いがみ合っているのも、また面白い所です。

 文芸部と図書部は、険悪ということはないのだが、昔――それこそ図書部創立時のあたり――から、張り合っているのだ。(中略)
 張り合っているといっても、特に共通の土俵で競い合うということはない。活動目的が違うのだから。ただ図書部の子も文芸部の子も「カツクラ」にイラストを投稿するし、文芸部の子も書くばかりでなく本を読むし、図書部員もまたなんらかの創作をしている。見せ合ったり、同じ賞に応募するということはしない。ただただ、相手への無根拠な優越や、近親憎悪を抱きあう。(76ページ)


『カツクラ』というのは、図書部の部費で共同購入している、読書好きのティーン向け情報誌です。イラストコーナーがあって、そこに投稿して載ったり載らなかったりで一喜一憂しているんですね。

さて、かつては文学少女のような雰囲気だったのに、部長になってから急にバンカラな態度をとるようになった部長と、顧問の小田原先生が付き合っているのではないかという噂を望美は耳にします。

そして、頼子が尾ノ上に泣かされたり、沙希が失恋したり、色々な小さな出来事が起こりますが、一つの大きな山となるのは、文化祭で図書部が何をするか。

みんなで会議をした結果、大人気シリーズの『僕は幽霊探偵』の作者、林歌子先生に来てもらえないかという話になりました。そこで公式ホームページから依頼のメールを送ります。

ところが会議が終わってから、ナス先輩の様子がいつもと少し変わりました。いたずら好きでよくはしゃぐナス先輩が、あまり喋らないようになってしまったのです。

ある時のこと、ナス先輩は望美にある打ち明け話をします。

 小柄だから、狭いカウンター内でも椅子の回転ができる。片足で軽く床を蹴り、くるんくるんと回り、片足でブレーキをかけてとまる。頼子と同じくらい上手だ。「あのさぁ」というナス先輩は俯き気味だ。なにか、話したいことがあるのだ。だから部室に入らなかった。望美は俄にどきどきした。
「どうしたの」
 くるんくるんと回り、また椅子がとまった。いうことに決めたんだと分かった。
「中山さん、俺、作家になる」望美の方をみて、ナス先輩はいった。
「そう」望美は前から分かってたみたいな頷き方をした。
「うん、前から決めていたんだ」
「そうなんだ」
「もしその、作家の林さんて人が文化祭にきてくれたとするでしょう」
「うん」
「その後になって『俺、作家になる!』じゃ、もろに影響うけたみたいでしょ、だから一人だけにでも、今のうちにいっておこうと思ってさ」(100ページ)


この場面、とてもいいですよね。ぼくはこの小説の中で一番好きです。自分の夢を言おうか言うまいか迷っている気持ちが、椅子をくるくる回すことによく表されています。

それぞれに夢や悩みなど、色々なものを抱えている図書部員たち。

望美はナス先輩からは夢を聞きましたが、仲のいい頼子からは、「私に問題があるから、私が私を通わなくするの」(140ページ)と、不登校になる宣言をされてしまいます。

頼子に一体何があったのかは分かりませんから、望美はどうしてあげることもできません。宣言通り頼子は学校へ来なくなってしまいました。

望美が他に気になることと言えば、何と言っても同じクラスに転校生としてやって来た片岡哲生。

図書室では6冊まで借りられるのですが、いつも6冊ぎりぎりまで借りていきます。不思議な目撃情報がたくさんある片岡哲生。

そして、かつてこの学校の司書をしていた金子先生に関する、あるニュースが飛び込んできました。長髪の美人で、いつも白衣を着ていた金子先生。

その金子先生が、なんと新人文学賞を受賞したというニュースです。図書部のみんなは大盛り上がり。そうして季節は巡っていって・・・。

文化祭の図書部のイベントは無事に成功するのか? 部長と先生の噂の真実は? 片岡哲生の正体は?

そして、不登校になってしまった頼子はどうなるのか!? 

とまあそんなお話です。それほど目立った出来事は起こらないのですが、コピー機の用紙の取り替えの描写の細かさなど、ささいな日常的出来事が、とても印象深い、魅力あるタッチで描かれているのがなんとも面白い小説です。

図書部の面々はくせ者ぞろいなんですが、何と言っても、主人公の望美が一番変わり者のような感じもあります。

はしゃぐ人々から一歩離れた所から眺めていて、しかも冷たすぎはしないんですね。相当な読書家の反面、『金田一少年の事件簿』を読んだことがないなど、流行には敏感でないようです。

そんな望美が卒業間近に感じるのが、卒業したらもう図書部の面々をあだ名で呼ぶことはなくなるんだという思い。

 もうあだ名を呼べないことの寂しさは、もう会えないということの寂しさと似ているけど、区別したい。m&m’sミルクチョコレートのコーティングされた中身と、外側のコーティングと、必ず一度に頬張るわけだけど本当は違う味。(193ページ)


この文章はとても印象的ですよね。勿論、現象としては同じ現象から感じる寂しさなんですけど、「あだ名で呼べないこと」と「会えないこと」を違うものとして望美は感じたいわけです。

そう言われてみると、その気持ちはなんだかよく分かるような気もします。

体育会系の部活のように、上下関係のはっきりした関係性や、努力に努力を重ねる根性ものとは対極にある、すべてにおいてゆるい図書部。

それでいて、その裏側にみんなそれぞれ色んなものを抱えているわけで、文体内容ともに若干癖のある小説ではあるんですが、なんだかしみじみと面白い小説です。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、川上弘美『センセイの鞄』を紹介する予定です。