エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』 | 文学どうでしょう

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点子ちゃんとアントン (岩波少年文庫)/岩波書店

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エーリヒ・ケストナー(池田香代子訳)『点子ちゃんとアントン』(岩波少年文庫)を読みました。

元々エーリヒ・ケストナーはぼくの好きな児童文学作家だったのですが、とにかく最近初めて読んだ『ふたりのロッテ』があまりにも面白くて、つい夢中になって読んでしまい、ますます好きになりました。

ケストナーの作品は、どことなくユーモラスな雰囲気漂う物語世界に何よりの魅力があるのですが、批評眼の鋭い、常に冷静沈着な作者の目がしっかり感じられるのもまた面白い所です。

特に今回紹介する『点子ちゃんとアントン』では、物語の章と章との間に「立ち止まって考えたこと」というコラムのようなものがあるんですね。

そこでは物語で起こったことに対して、作者が考えたことが書かれています。

たとえば、物語にはアントンが友達の点子ちゃんを守るために、悪ガキのクレッパーバインと戦う場面があります。

「いいか」アントンは、ゴットフリート・クレッパーバインに言った。「こんどあの子にいちゃもんつけたら、ぼくがただじゃすまさないぞ。あの子は、ぼくが守る。わかったか?」
「へえ、似合いのカップルってとこか」クレッパーバインは、せせら笑った。「ばかじゃねえの!」
 その瞬間、クレッパーバインは横つらに一発くらって、舗道に尻もちをついた。
「やったな!」
 クレッパーバインは、はじけたように立ちあがった。けれども、もう一発くらった。こんどは、さっきとは逆のほうから。クレッパーバインは、またしても尻もちをついた。
「やったな!」
 そは言ったものの、クレッパーバインはおじけづいて、尻もちをついたままだった。(66ページ)


いやあ、アントンかっこいいですよね。普通だったら、アントンかっこいいなあで終わりです。

ところが、「立ち止まって考えたこと」にはこんなことが書かれているんです。

 ここでは、勇気について、ちょっと話をしよう。アントンは、自分よりも大きな男の子に、パンチを二発、くらわした。アントンは、勇気のあるところを見せた、と考える人がいるかもしれない。でも、これは勇気ではない。蛮勇だ。このふたつは、ひと文字ちがうだけでなく、ちょっと別の物だ。(68ページ)


何故かと言うと、頭に血がのぼって行動することは、それが成功するにせよ失敗するにせよ愚かなことなわけで、本当の勇気というのは、必ず冷静な考えと一緒のものでなければならないからです。

ただ感情にまかせてがむしゃらに行動することが勇気なのではなく、理性的に考え、目の前に困難があることを冷静に認識し、それでもそこに立ち向かっていくことこそが、本当の勇気なんですね。

「立ち止まって考えたこと」はある意味では蛇足ですし、子供の読者にとっては、物語世界に入り込みづらいという点で、もしかしたら邪魔になってしまうこともあるかも知れません。

でもぼくはそうした物語世界から離れた作者の批評的な目を、結構面白く感じました。

さてさて、『点子ちゃんとアントン』というのは、ステッキ工場の社長の娘で、つまり大金持ちの娘の点子ちゃんと、病気のお母さんと暮らす貧しい少年アントンの物語です。

お金はあるけれど、すべて養育係まかせにされ、両親から愛情をあまり注がれていない点子ちゃんと、母子の深い絆はあるけれど、家にお金がないアントン。

そんな対照的な2人の友情と、やがて起こるちょっぴり恐ろしい事件が描かれています。

ケストナーは、どこにでもいそうな少年を描くことが多く、突拍子もないキャラクターを描くことは少ないんですね。

ところが、この物語の主人公の点子ちゃんは変わり者なんです。空想ごっこが好きで、時折思いも寄らない行動に出ます。ケストナーの作品の中でも、とびきり魅力のあるキャラクターです。

「学校はどうだい?」
 父さんがたずねても、点子ちゃんはなにも言わない。スープをかきまわしていたので、父さんはたずねた。
「八かける三は?」
「八かける三? 八かける三は、百二十わる五」(20ページ)


とまあ、すべてがこんな調子なんです。8×3も、120÷5も答えは24ですから、あっていることはあっているんですけど、まあ変わり者ですよね。

そんな点子ちゃんとアントンは、一体どんな事件に巻き込まれてしまうのでしょうか?

はらはらどきどきの展開と、愛に満ち溢れた児童文学の名作です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

なんの話だったっけ? ああ、そうそう思い出した。これからみんなにしようと思っている話ときたら、じつにへんてこなのだ。まず第一に、へんてこだから、へんてこだ。(9ページ)


ステッキ会社の社長、ポッゲさんがお昼ご飯を食べに家に帰ると、娘の点子ちゃんが、壁に向かっておかしなことをしています。

「マッチは、マッチはいかがです?」(13ページ)とマッチを売ろうとしているんです。ものごいをしている点子ちゃんを見て、ポッゲさんが思わず笑うと、点子ちゃんは逃げていきました。

点子ちゃんの本当の名前はルイーゼです。でも、赤ちゃんの頃なかなか大きくならなかったので、点子ちゃんというあだ名がつきました。

ポッゲさんは仕事でいつも忙しいですし、ポッゲ夫人は「とてもきれいな人だったが、ここだけの話、そうとういやみな人」(23ページ)で、買い物やパーティーにと飛び回っていて、ほとんど家にいません。

そこで、点子ちゃんにはアンダハトさんという養育係がつけられています。

アンダハトさんと一緒に散歩に出かけた点子ちゃんは、アンダハトさんが恋人とダンスホールに行っている間、ダックスフントのピーフケを連れて、友達のアントンの家に遊びに行きました。

アントンのお母さんは、病気の手術をして、それからほとんど寝たきりになってしまっています。

お母さんのために料理をしているアントンの姿を見て、感心する点子ちゃん。ちょっと料理を手伝ったりもします。

お金持ちの娘の点子ちゃんと、貧しい少年アントンは一体どこで出会ったのでしょうか?

そして、点子ちゃんが壁に向かってものごいの練習をしていたその理由が、やがて明らかになります。

夜になるとネオンサインが光る、劇場や宮殿の近くにあるヴァイデンダム橋。

そこで、目が見えないらしい女の人と、ぼろをまとったその娘らしき女の子がマッチを売り、ものごいをしています。

そしてその近くでは少年が「茶色い靴ひもはいかがですかぁ、黒い靴ひもはいかがですかぁ?」(85ページ)と靴ひもを売っています。

そう、ヴァイデンダム橋でものごいをしていた母子らしい2人は、養育係のアンダハトさんと点子ちゃんで、靴ひもを売っていた少年はアントンです。

点子ちゃんとアントンはここで出会ったんですね。

アントンはお母さんが病気になってしまって働けなくなってしまいましたから、学校に行き、料理や洗濯など家事をし、夜になるとこうして、生活費を稼がなければならないんです。

一方、点子ちゃんは何故こんなことをしているんでしょう?

実はアンダハトさんの恋人がろくでもないやつで、その恋人にお金を渡すために、アンダハトさんは点子ちゃんと一緒にこんなことをしているんですね。

アントンは必死でがんばっているんですが、勉強している時間はありませんから、宿題の出来はめちゃくちゃですし、授業中に居眠りをしてしまいました。

ブレムザー先生は、お母さんが寝たきりで、夜も働いているというアントンの事情を知りませんから、アントンがなまけていると思い、お母さんに手紙を書くぞと脅かします。

そして家でも小さな事件が起こってしまいます。アントンが家に帰ると、めずらしくお母さんが起きていたんですね。料理も作ってくれました。

ところが、お母さんの様子はどこかおかしいのです。小さな花束を買って来て、窓の外をじっと眺めたきり、何も言いません。

不安になったアントンが、かすれた声で話しかけると・・・。

 すると、母さんが、ふりむきもせずに問いかけた。
「きょうは何日だったっけ?」
 アントンは、なんのことだろう、と思ったが、これ以上母さんを怒らせたくなかったので、壁のカレンダーにとんでいって、声に出して読んだ。
「四月九日」
「四月九日」
 母さんはくりかえして、ハンカチで口元を押さえた。
 ふいにアントンは、なにがどうなっているのか、わかった! きょうは、母さんの誕生日だったのだ。なのに、それを忘れていた!(114ページ)


一方、点子ちゃんの家でも、恐ろしい事件が起こりつつあります。

アンダハトさんのろくでもない恋人が、点子ちゃんの家の見取り図をアンダハトさんに描かせているんですね。そう、盗みに入ろうというのです。

お母さんを悲しませてしまったアントン。自分の家が悪い男に狙われているとはまったく知らない点子ちゃん。

はたして、点子ちゃんとアントンの運命はいかに!?

とまあそんなお話です。立派な養育係がつけばよかったのですが、どうやらアンダハトさんは立派な養育係ではなさそうですね。

ろくでもない男にひっかかっただけとも言えますし、同情の余地がないではないですが、点子ちゃんをほったらかしてデートに行ったり、ものごいの手伝いをさせたりするのはいただけません。

アントンは勉強も、家事も、仕事も一生懸命がんばりますが、誰からも認めてもらえないどころか、怒られたり、悲しませたりと上手くいかないことばかり。

ところが、アントンには唯一強い味方がいます。そう、点子ちゃんですね。

点子ちゃんが、困っているアントンのためにどんなことをしてあげるのか、そんな所にも注目してみてください。

ちょっとへんてこな点子ちゃんと、勇気ある少年アントンの物語です。読みやすく、面白い作品ですので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、アストリッド・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』を紹介する予定です。