夏目漱石『それから』 | 文学どうでしょう

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それから (新潮文庫)/新潮社

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夏目漱石『それから』(新潮文庫)を読みました。

ぼくは『三四郎』が好きなものですから、評論や研究など、どうも色んな情報を知り過ぎてしまっていて、かえって文章が書きにくい感じがありました。

それで今まで随分と夏目漱石を取り上げずに来てしまったんですが、思い入れのある作品を無事通過して、これからはもう少し気軽に書けるので、ほっとしてます。

さて、今回紹介するのは『それから』です。面白いタイトルですよね。だって「それから」ですよ。

「それから」というのは、「〇〇して、それから、△△した」など、何かが起こった後に文章を続けていくための接続詞です。接続詞は本来、あまりタイトルにはなりませんよね。

「あるいは」「だが」「しかし」「また」「および」などは、どれも小説のタイトルにはなりそうもありません。でも、もう馴染みのあるせいか、「それから」はタイトルとしてしっくりきますね。

この小説のタイトルが何故「それから」なのか、これは考えてみると非常に面白いと思います。

主人公は違うものの、『三四郎』では大学生活を描き、『それから』では大学卒業後の生活を描いているから、「それから」ということもあるでしょう。

『それから』の主人公である長井代助の人生には、数年前に大きな出来事がありました。言わばその出来事が代助の人生を狂わせ、この物語のすべての火種になっているわけです。

タイトルの解釈に正解はないのですが、そうした過去の大きな出来事からの「それから」の日々を描いているというのが、ぼくにとっては一番しっくり来る解釈です。

さて、みなさんは「高等遊民(こうとうゆうみん)」という言葉をご存知でしょうか。どこかで耳にしたことがあるかも知れませんね。「高等遊民」の説明の時によく引き合いに出されるのが、『それから』の代助なんです。

「高等遊民」というのは、大学を卒業したインテリで、汗水流して働かず、勉強したり色々考えたり、まあざっくり言えば、ふらふら生活している人のことです。

本来、働かないと食べていけないはずですが、親や兄弟がお金持ちなので、働かなくても食べていけるんですね。生活力はなくとも、知識は豊富で、芸術などに造詣が深いのが「高等遊民」です。

代助は独立して家を構えていますが、働きもせず、父親や兄からお金をもらって生活しています。

一生懸命働く友人に対して、代助はこんな風に言います。「麵麭」はパンのことです。

麵麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ。(22ページ)


人間は芸術を愛してこそ人間なのだと言うんですね。機械の歯車のようになってあくせく働くことなら誰にでもできると。

まあ、普通の人の感覚から言えば、「何言ってやがる」という感じでしょう。

いくら自分は他人とは違ってはるか高い所から世界を見下ろしていると言っても、親や兄弟という経済力の梯子を外されてしまえば、途端に地上に叩きつけられてしまいます。

ただ、文学が好きな人、或いはスポーツでも音楽でも趣味でもなんでもいいんですけども、お金を稼げるかどうかでは測れない、人生の喜びがあるというのは、理解できる部分もあるのではないでしょうか。

代助は周りから急かされても結婚しないんですが、結婚したある友人は妻子を養うため、生活に追われるようになります。かつて同じ志を持ち、熱心に勉強していた友人。

その友人とのやり取りについて書かれたこんな文章があります。ちょっと長いですが、読んでみてください。

 友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。仕舞には受取ったと云う礼状さえ寄こさなかった。(中略)つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云うより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云えば、読んでも解らなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物を廃めて、その代りに新らしい玩具を買って送る事にした。
 代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有っていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出していると云う事実を、切に感じた。そうして、命の絃の震動から出る二人の響を審かに比較した。(168~169ページ)


この場面を読んで、みなさんはどんな風に感じたでしょうか。代助の気持ちもなんとなく分かるのではないかと思います。

ともに文学を学び、洋書を送ってやると、熱心な感想の返事をくれていた友人が、生活に追われて読む暇を失い、しまいには読書の面白さすら感じなくなってしまったのです。

心の余裕がなく、読書を楽しむことすら出来ない友人と、お金も妻子もないけれど、芸術を愛し、心豊かに暮らしている代助。

代助のニート的な生活がいいか悪いかはともかく、代助の友人に対する失望の気持ちはよく分かりますし、人間らしい心の豊かさを芸術に求めることは、あながち間違ってもいないと思います。

さて、物語はそんな「高等遊民」の代助が、友人の平岡常次郎とその妻三千代と久しぶりに再会する所から始まります。その再会は、代助の人生を思わぬ方向へ動かしていくことになり・・・。

作品のあらすじ


目を覚ました代助は、寝ながら右手を心臓の上にのせて、鼓動を確認します。心臓の脈拍をはかるのが最近の代助の癖なんですね。

代助は、門野という書生と、手伝いの婆さんと暮らしています。仕事らしい仕事はせず、実家から月々金をもらい、本を読んだりしてのんびり暮らす日々。

ある時、平岡常次郎という学生時代の友人から、明日そちらへ伺うという葉書が来ました。

代助は書斎に行き、書棚の上にあった写真帖を取り上げ、ぱらぱらとめくります。手を止めてじっと見つめたのは、20歳前後の女の写真。

あくる日、約束通り平岡が訪ねて来ました。

代助と平岡は中学時代からの友達でしたが、平岡が結婚し、仕事の関係で遠くへ行くと、いつしか疎遠になってしまいました。何年かぶりの再会です。

平岡はちょっとした事情があって、仕事が駄目になってしまったんですね。「実は緩くり君に相談してみようと思っていたんだが。どうだろう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」(26ページ)と代助に就職先の斡旋を頼みます。

旅館で代助は、平岡の妻三千代とも再会しますが、産まれてすぐに亡くなってしまった子供の出産の時に心臓を痛めてしまい、それ以来三千代はずっと具合が悪いらしいことが分かります。

なんとか家を借りて落ち着いた平岡夫妻ですが、ある時、三千代が代助の元を訪ねて来ました。

三千代は両方の手に指輪をはめているんですね。一つは三年前に結婚する時にお祝いとして代助が贈ったものです。

代助と平岡には、菅沼という友人がいました。菅沼は若くして亡くなってしまったのですが、その菅沼の妹が三千代です。

なので、代助は三千代のこともよく知っていますし、色々と奔走して、平岡と三千代の結婚をまとめる役目を果たしたのが、代助だったんです。

代助と三千代はあたりさわりのない会話をしますが、やがて三千代は、「少し御金の工面が出来なくって?」(57ページ)と代助に頼みました。

生活費も苦しいのですが、どうやら平岡は方々に借金があるようです。三千代は代助しか頼れる人がおらず、代助は代助で、自分は収入がありませんから、親や兄弟を頼るしかありません。

しかし、事情を聞いた兄からは、「そんな場合には放って置けば自からどうかなるもんだ」(70ページ)と関わらないことをすすめられてしまいます。

今度は兄嫁を頼りますが、「然し誰も御金を貸し手がなくって、今の御友達を救って上げる事が出来なかったら、どうなさる。いくら偉くっても駄目じゃありませんか。無能力な事は車屋と同なしですもの」(103ページ)と逆に説教を食らってしまいました。

父や兄夫婦が、ふらふらしている代助に対して、小言は言いつつも、なんだかんだと放っておいているのは、駄目なやつだと思っているからではなく、代助には代助なりの考えがあって、いつか何かを成し遂げる男だろうと期待しているからでもあります。

そんな代助にうってつけの話が舞い込んできました。父の恩人のゆかりの娘との結婚話が持ち上がったのです。

その娘は財産を持っていますから、代助はその娘と結婚すれば、あくせく働かずに、一人前になって生活していくことができます。

しかし、代助は今まで何度もあった見合い話と同じように、その話もまた断ってしまおうとします。父はそれを聞いて怒り出します。

「じゃ、佐川は已めるさ。そうして誰でも御前の好きなのを貰ったら好いだろう。誰か貰いたいのがあるのか」と云った。これは嫂の質問と同様であるが、代助は梅子に対する様に、ただ苦笑ばかりしてはいられなかった。
「別にそんな貰いたいのもありません」と明らかな返事をした。すると父は急に肝の発した様な声で、
「じゃ、少しは此方の事を考えてくれたら好かろう。何もそう自分の事ばかり思っていないでも」と急調子に云った。代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移ったのに驚ろかされた。けれどもその驚ろきは、論理なき急劇の変化の上に注がれただけであった。
「貴方にそれ程御都合が好い事があるなら、もう一遍考えてみましょう」と答えた。
 父は益機嫌をわるくした。(130ページ)


父とは険悪な仲になってしまった代助ですが、兄嫁から少しお金を貰って、三千代に渡すことが出来ました。

平岡の仕事はなかなかうまく決まりません。どんどん生活は苦しくなっていくようです。貧しさ故に三千代の指からは指輪が消えました。

やがて、代助はある決意を持って家を出て行って・・・。はたして、代助は一体どこへ向かったのか!?

とまあそんなお話です。友人である平岡夫婦の困窮と、代助自身に持ち上がった結婚話が描かれる小説です。

『それから』という小説は、簡単に短い文章に集約できる物語なんですが、あえて集約させないことに面白さのある小説のような気もします。

実は情報が小出しに出て来る小説なんですね。最初は単に平岡夫妻として登場し、後に、実は妻の三千代は代助とも昔からの知り合いだということが分かります。

代助は誰かの写真を大切にし、誰かを想っているせいで、お見合いの話を断り続けているようです。その誰かとは、一体誰のことなのでしょうか。鋭い方なら、もうお分かりですね。

シンプルなストーリーなんですが、読めば読むほど少しずつ情報が明かされていく感じがなんとも面白い小説です。

三四郎』『それから』『』で前期三部作とされていますが、文章のタッチはそれぞれ違いますし、内容的な繋がりはないので、『それから』から読んでも大丈夫ですよ。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。夏目漱石は面白いですよ。

明日は、高橋源一郎『恋する原発』を紹介する予定です。