司馬遼太郎『峠』 | 文学どうでしょう

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峠 (上巻) (新潮文庫)/新潮社

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司馬遼太郎『峠』(上中下、新潮文庫)を読みました。Amazonのリンクは上巻だけを貼っておきます。

少し前に、山本有三『米百俵』という戯曲を紹介しました。

戊辰戦争後の長岡藩はとても貧しく、食べるものにも事欠く状態だったのですが、親交のある藩から贈られた米百俵が贈られて来たんですね。

ところが、大参事である小林虎三郎はとんでもないことを言いだします、米百俵を売ってしまって、学校を立てるというんです。当然藩士たちは怒って小林虎三郎の元に詰めかけますが・・・。

目先の物事にとらわれるのではなく、もっと遠くを見据えること、そして人を育てることの大切さを教えてくれる、そんな物語でしたね。

何故、長岡藩はそういう厳しい状況に追いやられてしまったのでしょうか。幕末の動乱期の長岡藩には一体どんな人物がいて、どんな戦いがあったのか――。

米百俵』で描かれた出来事の少し前の長岡藩を、河井継之助という家老を中心にして描いた物語が、今回紹介する『峠』なんです。

歴史小説における花形と言えば、やはり戦国時代と幕末なんですが、どちらも大きく時代が動き、その中で、傑出した人物がたくさん登場したのが特徴的ですよね。

『峠』も幕末を舞台にし、知名度はそれほどないものの、傑出した人物である河井継之助を描いているのですが、同じく幕末を舞台にした他の歴史小説とは大きく異なる部分があります。

実は幕末の描かれ方というのはおおよそ2通りでして、最も多いのは坂本龍馬など、脱藩(藩から離れてあえて浪人になること)して幕府を倒そうと暗躍する志士たちを描いたもので、薩摩藩と長州藩の動きが重要なものになります。

そしてもう一つは真逆に、幕府を倒そうとする志士たちを潰そうという、幕府側の立場から描かれるものです。こちらは多くが新撰組を通して描かれることになります。

言わば、江戸幕府を中心にオフェンス(攻撃側)とディフェンス(守備側)に分かれているんですね。

志士たちは「尊皇攘夷」といって、外国を追い払い、天皇を盛り立てていこうという考えで、幕府をなくしてしまうために行動し、江戸幕府は、何とか今まで通りの治め方でやっていこうとします。

今は江戸幕府がなくなった後の世の中ですから、当然、幕府を倒すことが正しいやり方だったのだという描き方がされることが多いのですが、何百年も続いてきたものをいきなり大きく変えるわけですから、これは本当に大変なことですよ。

それほど大きく時代が動いたきっかけは、みなさんもご存じのペリーが黒船でやって来たことです。自国よりも強い存在がやって来たことが問題なのではなくて、外国が産業など文化的に進んでいたことが何よりも重要です。

産業が盛んになれば、世の中は経済が中心になり、商人が力を持ちます。ただ闇雲に殿様が偉いんだ、武士は偉いんだというのが通用しなくなってしまうわけです。

そうなると、必然的に士農工商という身分制度は崩れてしまいますよね。

時代の流れというのは、江戸幕府の将軍を頂点にした封建制度の崩壊に向かっているわけです。まさに新時代の到来です。

新しい世の中を作ろうとした志士たちと、武家社会を守ろうとする江戸幕府の激しい戦いが、幕末を舞台にした歴史小説の醍醐味です。

さて、ここでようやく話が『峠』に戻って来るのですが、長岡藩はそのどちらだったと思いますか? 江戸幕府を倒そうとしたのか、守ろうとしたのか。

正解を言うと、「そのどちらでもない」です。幕末の動乱の中心となった江戸からも京都からも離れた、現在の新潟県辺りの北陸の藩ですから、ほとんどどちらにも関わっていないんです。

オフェンス(攻撃側)でもディフェンス(守備側)でもなく、オブザーバー(傍聴者)的な立場だった藩が、究極の選択を迫られるという所に、幕末を描いた他の歴史小説との大きな違いがあり、またこの小説独特の面白さがあります。

何だか時代が大きく動いているなと思っている内に、江戸幕府の将軍である徳川慶喜が大政奉還といって、政権を朝廷に返してしまったんですね。自分たちの上にあった江戸幕府は突然なくなってしまいました。

薩摩藩と長州藩を中心に、新政府が作られることとなりますが、この新政府が官軍として、旧江戸幕府側についている藩を制圧しにかかるわけです。

ちなみに、藩の江戸幕府への思いと言うのは、これはもう関ヶ原からずっと尾を引いているんです。つまり、関ヶ原で徳川家と共に戦ったか、それとも負けて徳川家の下についたかで、その感覚はもう全然違うわけです。

みなさんだったらどうしますか。今まで何百年も江戸幕府の下でやって来たのに、急に掌を返すように新政府に降伏しますか? それとも、兵力として敵わないと知りつつも、江戸幕府の再興を願って戦いますか?

これは非常に判断が難しい問題ですよね。多くの藩は「勝ちそうな方に加担する」というスタンスです。しかし、長岡藩の家老である河井継之助は違いました。

「時勢はいよいよ混乱してゆく。きのうの味方はきょうの敵となる例は、鳥羽伏見における彦根藩の変心によってもわかることである。いまよりわれわれは他を恃むことはできない。他をたのまず、みずからの力を恃む以外に藩の生きる道がない」(下、205ページ)


つまり、自分たちの藩はどちらにも属さずに独立してやって行こうとするわけです。しかし、時代の流れはそれを許さず・・・。

先見の明を持ち、「武士の世の中はほろびる」(下、111ページ)といずれ封建制度が崩壊し、新しい世の中になると分かっていた河井継之助。

無益な戦いを避けようとしつつも、戦わざるをえなかったその悲劇的な生き様が胸を打つ長編です。

作品のあらすじ


全体的な印象として、タッチや内容的に大きく2つに分かれている感じがします。

物語の前半、大体上巻までは、河井継之助はどんな人物なのか、そしてどんなことを考えているのかが深く掘り下げられていきます。

河井継之助はちょっとした変わり者で、江戸や京都、横浜などを放浪しながら色々な物事を考えていくんですね。色恋沙汰も描かれたりなど、フィクション度がかなり高いのが前半です。

物語の中盤から後半にかけては、河井継之助というよりは、歴史の大きな流れが中心となって描かれていきます。フィクションというよりは、歴史書を読むような重厚さがあります。

物語は、32歳の河井継之助が、主席家老の元へ向かう所から始まります。

諸国を周って色々勉強したいから、藩の外に出してくれと頼みに行くんですが、主席家老はなかなか認めてくれません。

「藩外に出してもらいたい。藩外でものを考えたい」
「その返事は、きのう致したとおりです」
「では、あす、いま一度参りましょう」
「なん日来られてもおなじだ」
「いいや、明後日、その次も参上つかまつる」
「待った。そのこと、べつに藩外に出るご必要はあるまい。藩内で考えられてはどうか」
「人間をごぞんじない」(上、15ページ)


継之助は動きつつある時代の変化を肌で感じたいと思っているんです。ようやく許されて、継之助は妻のおすがを故郷に残し、江戸へ旅立ちました。

古賀塾に入りますが、「学問などは、ゆらい、人から教えられるものではない。自分の好きな部分を、自分でやるものだ」(上、45ページ)と古賀塾の蔵書を頼りに独自の考えを固めていきます。

継之助は女遊びが好きで、吉原で遊んだりもするんですね。遊女との色々なやり取りもあるのですが、まあそれはともかく、やがて横浜にいる福地源一郎に会いに行きました。

源一郎は英語を習得した俊才で、幕府の通訳の仕事についています。源一郎の紹介で、スイス人の商人と会い、継之助は少しずつ外国のものの考え方を学んでいくことになります。

継之助の旅は続きます。備中松山藩で見事な藩政改革をしたという山田安五郎という儒学者に会いに行き、その後で京都、長崎をめぐりました。

ある時、大きな事件が起こります。江戸幕府の大老である伊井直弼が、志士たちに暗殺されてしまうんですね。いわゆる桜田門外の変です。

「きた」
 と、おもった。継之助のみるところ、この日以後、日本は混迷し、幕権は衰え、諸侯は戦国期のように自国や自城で独立し、浪士は京にあつまって朝廷を擁しつつ幕府に対抗するであろう。
「この日以後、幕府三百年の天地は崩れてゆく」
 と、継之助は手まねをし、若いスイス人にいった。(上、435ページ)


ところが、江戸の藩邸にいる長岡藩の重役たちにとっては他人事なんですね。「なにをさわぐ。他藩のことではないか」(上、437ページ)などと言っているんです。

遊学を終えて、継之助は帰郷しますが、藩はいい仕事を与えてくれません。いつまでも出仕しないので、家族は当然心配しますが、継之助はこう言います。「いくら心配してくれても、このおれにはそういう下僚の才は無いさ。人間、適せぬことをやってはならぬ」(上、444ページ)と。

やりたくはないけれど、自分はいずれ家老になってこの藩を引っ張っていく身だというんですね。家老というのは家柄もありますから、継之助の家ではどう考えても家老になれそうにはないんです。

しかし、継之助はいずれ藩から自分を呼びに来るという自信があります。藩に人材がいないことを知っていますし、自分の才能を信じているからでもあります。

もしも来なかったらと妹に聞かれると、継之助はこう答えました。

「酔生夢死だな。為すこともなくこの世に生き、そして死んでゆく、その覚悟だけはできている。この覚悟のないやつは、大した男ではない」(上、447ページ)


ここでぐっとはしょりますが、継之助は殿様への献策が認められるようになり、次第に出世していきます。藩の大改革に乗り出し、その言葉通り、やがては家老にまで登りつめました。

時代は大きく動き、大政奉還によって江戸幕府はなくなってしまいます。そして、薩摩藩と長州藩を中心に組織された官軍は、どんどん北上して来て・・・。

官軍に降伏するか、それとも戦うかという決断を迫られる時が、近付いて来ています。

長岡藩は7万4千石の小さな藩ですが、近くに50余万石の大きな藩である会津藩があります。旧江戸幕府の勢力の総集結とも言うべき会津藩と官軍との戦いが、ある意味では天下分け目の決戦なんです。

官軍に降伏するということは、すなわち官軍の先鋒になって会津藩を攻めるということです。それは勿論、武士道に反することです。

そうかと言って、ただ闇雲に官軍と戦って、長岡藩を滅ぼさせてしまってもいけませんよね。

そこで、長岡藩は洋式の武器で武装し、独立した勢力であろうとします。会津藩と官軍の仲裁をするような立場になろうとするんです。

しかし官軍は、長岡藩は会津藩と同じ志を持つものだとして、討伐にかかります。継之助はなんとか争いを避けようと、官軍の代表者に会いに行き、嘆願書も書きますが、受け入れられません。

やむをえず、継之助は決意を固めます。

 戦いはまずい、しかしながら、と継之助は言い、「薩長の鼠輩の暴慢、亡状は想像を絶するものがあり、嘆願書のとりつぎすら拒絶している」と言い、さらに「これ以上は武力に訴える意外、わが藩の面目、わが藩の意思のあるところを天下に示す方法がない」といった。(下、290ページ)


そして、長岡藩と官軍との戦いの火ぶたが切って落とされて――。

とまあそんなお話です。継之助にとっては、負けると分かっていて立ち向かっていく悲壮感のある戦いではありません。ある考えがあって戦いを挑んだんです。

はたして長岡藩は官軍を相手にどのような戦いをくり広げることになるのでしょうか。

決断の正しさ、誤りという問題を越えて、どうしようもない時代の流れというものがあるのかも知れません。幕末という時代は、そんなことを深く考えさせられる時代だと思います。

混乱した時代の影響を受けて、継之助の中にも矛盾した考えがいくつもあります。武士はなくなってしまうだろうという考えを持ちながら、封建制度や武士道を何よりも大事にしたりするわけです。

その道の先に何があるか分かっていながらも、その道を進むしかなかった河井継之助。その悲劇的な生涯が描かれた長編です。やや長い作品ですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

ちなみにですが、『米百俵』の小林虎三郎もわずかながら登場しています。

むしろ、河井継之助にとっては意見を異にする煙たい存在で、こんな風に結構ひどいことを言っています。

「小林というやつほどの腐れ学者もいない。あれほどの頭脳をもち、あれほどの骨節のたしかな精神をもっていながら、書物のみにかじりついて時務も知らず、実行もできず、名声のみを得ている。これは名声泥棒というものだ」(下、85ページ)


ある時、小林虎三郎の家が火事になってしまいます。継之助は相手がどう出るかと思い、色々な物を贈って援助してやるんですね。

そうすると、虎三郎は非常に感謝をして、何も返せるものがないからお礼代わりにといって、河井継之助の政策の誤りを辛辣に批判し始めるんです。かなりの長時間にわたって。

継之助は当然腹を立てますが、同時に「小林という男は、どうにも、えらい」(下、89ページ)と感嘆します。これはぼくにとって、とても印象的なエピソードでした。

お礼として相手の批判をする小林虎三郎もすごいですが、その相手をえらいと思える継之助もまた素晴らしいですよね。

明日は、村山由佳『星々の舟』を紹介する予定です。