H・G・ウェルズ『透明人間』 | 文学どうでしょう

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透明人間 (岩波文庫)/H.G. ウエルズ

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H・G・ウェルズ(橋本槇矩訳)『透明人間』(岩波文庫)を読みました。

「透明人間になりたい!」と思う人は、現代ではあまりいないのではないでしょうか。

いや、勿論いてもいいんですけど、透明人間になるってことは、考えれば考えるほど、結構リスキーなんですよ。

大体、「透明人間になりたい!」という欲望が何故生じるかと言うと、透明になること自体に価値があるというよりは、他人に気づかれずに、色んなことがこっそり出来るからですよね。

透明人間になったらやってみたい秘密の行動としては、おそらく2つ考えられて、結局どちらも犯罪なんですけれど、1つ目はお金を奪うこと、2つ目はエロ目的でどこかに侵入して、たとえば女性の裸など、ムフフなものを覗くことでしょう。

「禁じられているものをこっそり覗く」ことへの欲望は、今なお強い力で人間の心を惹きつけるものがあると思いますが、これは別に現代では透明人間である必要はないんです。

カメラで盗撮することによって、そうした欲望はある程度満たすことが出来ますよね。もちろんこれも犯罪なので、よい子は真似したら駄目ですよ。

透明でいるために裸で突っ立って息を殺しているよりは、現場にいるという臨場感には欠けるかも知れませんが、盗撮の方が明らかにリスクは少ないです。

お金を奪う場合もまた、運んでいるお金は透明にはなりませんから、小銭をちょろまかすには便利かも知れませんが、大金を稼ぐためには、透明であることはかえってハードルになってしまいます。

さて、メリットがあまりないようにも思える透明人間という設定は、現代の物語でも結構使われています。いくつか例をあげましょう。

たとえば1996年に放映された、香取慎吾主演の『透明人間』は、錠剤で一時的に透明人間になれるというテレビドラマでした。

ファンタジーの大ベストセラーであるJ・K・ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズでは、かぶると姿が透明になるマントが出てきます。

冨樫義博のマンガ『HUNTER×HUNTER』には、透明になれる能力を持つメレオロンというキャラクターが登場しています。

そんな風に物語の小道具として、透明人間の要素は結構が使われるんですが、わりと元に戻れる設定が多いのが特徴的だと思います。

錠剤は効き目が切れれば人間に戻れますし、マントは脱げばいいだけです。能力の場合はむしろその能力を使うために様々な条件があったりします。

さて、ここからいよいよ「透明人間もの」の原典であるH・G・ウェルズの『透明人間』の内容に入って行きます。

原典で最も特徴的なのは、透明人間から元には戻れないことです。これはかなり重要なことだと思います。

主人公の科学者は研究を重ねて、言わば自ら進んで透明人間になったわけですが、まだ人間に戻れる研究が完成しない内に、人間から追われる身になってしまったんですね。

透明人間から一生戻れないというのは、考えただけで震えるほどの恐怖があります。

そして、透明人間というのは、人間が変化したものというよりは、もう人間とは別種の存在という扱いがされるようになり、物語は人間VS透明人間の戦いという構図になっていくんです。

透明人間になってしまった恐怖も描かれますが、むしろ透明人間がいつ襲いかかってくるか分からない恐怖が描かれていくことになります。

そうした点で、科学的であると同時に、わりとホラーっぽい感じの小説でもあります。

作品のあらすじ


駅馬車亭という宿屋に、不思議な男がやって来ます。全身を外套で包み込んでいて、帽子や外套を預けようとしないんですね。

駅馬車亭のホール夫人は、男が顔中を包帯でぐるぐる巻きにしているのに気がつき、きっと大怪我をした人なのだろうと思います。

この謎めいた男に関して、村人たちは不思議なものを目にするようになります。

募金を求めに行ったカス先生は、男の腕が見えないことに気が付きました。見えないにもかかわらず、袖が動いたんです。

男が宿賃を払っている間は良かったのですが、送金が遅れていることを理由に男の支払いが滞ると、周りの見る目は厳しくなっていきます。

そんな中、町で盗難事件が起きて、人々は怪しげなこの男の部屋に詰めかけました。

すると男は、「おまえらにはわたしが何者であるかわからんのだろう。よし、ひとつ教えてやろう」(58ページ)と言って、顔の包帯をほどき始めます。すると・・・。

包帯をはずすのに男は手間どった。その下から何が現れるか、不安に慄く人々の間にどよめきが起きた。
「ああ神さま」
 だれかが叫ぶ。ついに包帯が解けた。
 まさに奇怪そのものだった。ホール夫人は口をあんぐりあけたまま立っていたが、その光景に悲鳴をあげて玄関の方へ突進した。他の者たちもその後に続こうとした。彼らは怪我か不具の顔を予想していたのに、実際そこには何もなかったのだ。(59ページ、本文では「なかった」に傍点)


そう、男はなんと透明人間だったんです。巡査が男を捕まえようとしますが、透明人間は服を脱いで逃げ出してしまったのでした。

透明人間は荷物も何もかも残したまま逃げ出したので、浮浪者のトマス・マーヴェルを半ば脅して仲間に引き入れます。

しかし、事はうまく運ばず、透明人間は村人たちにまたしても追われて逃げ出します。

そしてたまたま入り込んだのが、ケンプ博士の家だったんですが、透明人間とケンプ博士はかつての知り合いだったんですね。

ようやく体を休めることができた透明人間は、自分がどうして透明人間になったかを、ケンプ博士に語り始めて・・・。

はたして、透明人間に隠された秘密とは!?

とまあそんなお話です。どういう原理で透明になっているのか興味のある方もいるでしょうから、その部分だけ、ちょっと引用しておきましょうか。こういうことらしいです。

「私は色素と光の屈折についての一般原理を発見した。四次元を含む幾何学的表現による公式を発見した。馬鹿者や並の人間、いや、普通の数学者にも公式が分子物理学者にとって何を意味するか解らないだろう。(中略)しかし方法さえ見つかれば物質の他の属性を変えずに、その物質の屈折率を低め、空気と同じように透明にできるのだ」(144~145ページ)


ガラスは透明ですよね。でもガラスが粉々になったらよく見えるようになります。「微小な破片が屈折や反射をひき起こす量を増加させるから」(146ページ)です。

つまり光の屈折が透明になるためには重要で、血液の赤い色素をなんとかかんとかして透明にしたのが透明人間なんです。まあよく分かりませんけど、そういうことらしいです。

透明人間であることは結構大変で、雪や雨だと姿が浮かび上がってしまうのは勿論、歩けば足跡も残ってしまいます。食べ物は消化されるまでは浮かんで見えてしまうので、人に知られずに生活するのは難しいんです。

人間に虐げられ、思いがけず様々な苦労を重ねてきた透明人間は、ある恐ろしい考えを抱くようになり・・・。

「透明人間もの」の原典を読むという面白さもありますし、透明人間であることの大変さが克明に描かれた小説です。

興味を持った方はぜひ読んでみてください。200ページほどのわりと短い小説です。

おすすめの関連作品


リンクとして、映画を1本紹介します。

H・G・ウェルズの『透明人間』の現代版とも言える映画が、『インビジブル』です。

インビジブル コレクターズ・エディション [DVD]/エリザベス・シュー,ケビン・ベーコン,ジョシュ・ブローリン

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ケビン・ベーコン演じる科学者が自ら実験体となり、透明人間になることに成功しました。ところが元に戻れなくなってしまったんですね。

科学者は絶望から悪意の塊に変貌してしまい、透明であることを利用して、チームのメンバーに襲いかかるようになって・・・。

『インビジブル』は女性にいたずらしようとするなど、B級ホラーっぽい感じもあって、初めて観た時は透明人間というありふれたテーマを、斬新にアレンジしてるなあと思ったものですが、よく考えたら、テーマなど色々な面でむしろ原典に近い感じがあります。

そうそう、透明人間と言えば、H・F・セイントの『透明人間の告白』の評判がいいので、近々読んでみたいと思っています。

明日は、マイケル・モーパーゴ『戦火の馬』を紹介する予定です。