H・F・セイント『透明人間の告白』 | 文学どうでしょう

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H・F・セイント(高見浩訳)『透明人間の告白』(上下、新潮文庫)を読みました。

ぼくが読んだ新潮文庫は現在絶版ですが、今は河出文庫で新版が手に入ります。そちらは新訳ではなく、改訳みたいです。

さて、体が透明になり、他人から姿が見えなくなる透明人間というのは、今なおSF史上に輝き続けている、素晴らしいアイディアですよね。

透明人間になって、他人の生活を覗き見したり、普段は出来ないことをしてみたいと誰もが一度は考えたことがあるはず。

透明人間を描いた物語の元祖と言えば、H・G・ウェルズ『透明人間』ですよね。

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透明人間ものの元祖である『透明人間』はしかし、透明人間になったことを楽しむというよりは、透明人間から戻れない恐怖が描かれ、やがては人間VS透明人間の構図になっていく物語。

そう、わりとホラーテイストの作品なんです。

それにもかかわらず、透明人間に関してぼくは、怖さというよりも不思議さとユーモラスさのイメージを持っていました。

それが何故だろうと考えている内に、もしかしたら子供の頃に観た、チェビー・チェイス主演の『透明人間』の印象が強かったからではないかと思い付きました。

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さすがにもううろ覚えですし、折角なので観直そうと思いながら結局間に合わなかったんですが、現代社会に生きる透明人間の苦労を描いた、わりとコミカルな作品だったように思います。

設定や内容は若干違うようですが、その映画『透明人間』の原作が、今回紹介する『透明人間の告白』なんです。

ニック・ハロウェイというウォール街の証券アナリストが、たまたま居合わせた科学実験施設の爆発に巻き込まれて、透明人間になってしまいます。

透明人間が生まれたことを知り、研究し、そして出来れば諜報活動に利用したいと考える政府の組織は、ニックを追いかけ続けます。

逃亡生活をしながら、ニックは透明人間ならではの特技を活かし、なんとか自活していく方法を模索していって・・・。

舞台は現代と言っても、原書が出版されたのが1987年ですから、大分時代は変ってしまっていますが、1897年に発表されたH・G・ウェルズの小説に比べれば、十分近代的ですよね。

『透明人間の告白』は「本の雑誌」のランキングで上位に選ばれるなど、なかなかに評判が高く、ぼくもかなり期待して読みましたが、なるほど面白い作品でした。

スピード感があるというよりは、色々な事柄が精緻に描かれるのが特徴的な作品で、ストーリーとしては、やや停滞している部分が多い小説。

なので、物語全体としては、ずば抜けた傑作とは言えないだろうと思いますが、自分の体の状態を不思議に思う主人公が、色々実験したりするのが、なんとも面白いんですよ。

たとえば、食べ物を食べると、体は透明でも、胃の中の物は丸見えになってしまうわけです。

それが消化されて体に取り込まれると、何らかの作用で透明になるんですが、そうした時間を計ったりするんですね。他にも、どうしたらより早く消化されるかを調べたり。

食べ物はどうするのか、電車など移動する時はどうするのか、どういう時に他の人間に透明人間であることが見つかってしまうのか。

そうした、ぼくら読者が疑問に思うようなことを、しっかりシュミレーションしてくれているような作品なんですね。そこにこそ、この作品の面白さがあります。

ニックは、絶望し、悲壮感漂う主人公ではなく、透明人間であることを巧みに利用して、しぶとく生き抜こうとする主人公。

それだけに、どことなくユーモラスな物語になっていることも、この小説の大きな魅力です。

作品のあらすじ


証券アナリストをしている〈僕〉は、うきうきしながら、ニューヨークからニュージャージーのプリンストンへ向かう電車に乗っています。

一緒にいるのは、『ニューヨーク・タイムズ』の記者アン・エプスタイン。アンは何とも魅力的な女性で、これからアンと過ごす一日を、〈僕〉はとても楽しみにしているのです。

パーティーで出会ったアンと〈僕〉は一夜を共にしましたが、アンには他に恋人がいるらしく、〈僕〉とちゃんとした関係を築こうとはしてくれません。

それでもめげない〈僕〉は、アンが興味を持ちそうな「マイクロ・マグネックス社」の取材を餌に、プリンストンへ連れ出すことに成功しました。

実際はちょっと取材をしたら、借りておいた友達の留守宅へ連れ込む計画を立てています。

「マイクロ・マグネックス社」は、分子物理学の専門家バーナード・ワックス博士によって作られた、核融合の磁気制御の研究をする会社。

プリンストンの駅には、「公正な世界のための学生連合」の代表をつとめる若者、ロバート・キャリロンがホームに迎えにやって来てくれていました。アンがあらかじめ連絡を取っていたのです。

「マイクロ・マグネックス社」に着くと、キャリロンたち学生運動家は爆発物を使い、資本主義社会への抗議活動を行おうとします。

それを止めようとやって来たワックス博士とキャリロンが揉め合う内に、ワックス博士が実験で使おうとしていた装置が爆発し、辺りは大音量と白色光に包まれました。

 次の瞬間、音と光は信じがたいほどの強烈さに高まって、キャリロンとワックスの顔が、名状しがたい苦悶の色を浮かべた。と、その苦悶が乗り移ったかのように、後方の安全な場所で見守っていたアンをはじめとする人々の顔にも、恐怖の色が浮かんだ。そして僕は――それが記憶に残った最後の光景だったのだが――見たのである、横断幕。爆破装置、それにワックスとキャリロンの体が、目もくらむように鮮烈な、赫奕たる電磁波につつまれて燃えあがるのを。(上、100ページ)


目が覚めた〈僕〉は、自分が宙吊りになっていることに気付きました。「直径約三十メートル、最深部の深さ約十二メートル」(上、102ページ)ほどのクレーターの上にいるのです。

しかしやがて不思議なことに気付きます。手のひらには絨毯に触れているような感触があるのです。

自分の体が見えなかったので、爆発で体が吹っ飛ばされたとも、また死んで幽霊になってしまったとも考えます。

しかし、どうやらそのどちらでもないらしいんですね。やがて〈僕〉は、爆発があった所を中心にすべてのものが透明になっており、自分が透明人間になってしまったことに気が付きました。

宇宙服のようなものを来た人々が、事故の調査にやったのを見て、捕まったら何をされるか分かりませんから、〈僕〉はここから逃げ出すことにします。

透明になっていて、使えそうな道具をいくつか持ち出すと、相手の注意を逸らすために火をつけて「マイクロ・マグネックス社」を離れました。

自宅に戻った〈僕〉は、アンに連絡をしますが、うまく連絡が取れません。それから自分の会社に連絡をして、忙しく飛び回っているように取り繕ってもらうことにしました。

しかし、現場から透明人間が逃げたということを知っている政府の組織は、現場にいた人々を調べ、〈僕〉が透明人間であることを突き止めると、その行方を追い始めます。

ついに自宅が突き止められてしまった〈僕〉は、命からがら自宅から逃げ出さざるをえなくなりました。

友達や知り合いに至るまで、政府は監視の目を光らせています。一文無しで、食べる物も住む所もない〈僕〉はまさに、孤立無援の状況に陥ってしまったのです。

道を歩く時は、誰かにぶつからないよう、注意して歩かなければなりません。ひやっとすることは何度もありましたが、中でも最大の恐怖を感じたのは、公園での出来事。

子供たちが遊んでいるのをぼんやりと眺めていると、やがて雨が降って来ました。

「おい! なんだ、あれ! 変なかっこうで水が跳ねてるぞ!」
 何事だろうと思って、僕は振り返った。
「見ろよ! 動いたぜ」
 すこしたって、ようやく、連中が話しているのは僕のことなのだという恐ろしい事実に気づいた。僕の体にぶつかって表面を流れている雨は、空中にはっきりと人間のフォルムを浮かび上がらせていたのだ。
「見ろよ! なんだ、あれ?」
「なんかの動物じゃないか」
「人間みたいだぜ。変なの!」
 子供たちと僕は、微動もせず、口もきかずに、じっと睨み合っていた。とにかく、逃げよう。僕は振り返り、どこか隠れる場所を捜して草原を横切りだした。(下、8ページ)


しかし、新種の動物を見つけたと思った子供たちは石を投げ、はしゃぎながら追いかけて来ます。絶体絶命の〈僕〉の運命は・・・。

潜伏先として最も良かったのは、図書室があり、簡単な食事と宿泊施設の整った社交クラブで、潜り込むのも簡単でした。

ところがどうやって調べたのか、そこも政府の組織に見つかってしまい、また行くあてがなくなってしまいます。

住人が留守の部屋を転々とする〈僕〉ですが、やがてあることに気付きます。

どこにでもこっそりと入り込める透明人間の特性を活かして、裏の情報を集め、株で儲けることが出来るのではないかと。

しかしそのためには銀行口座が必要で、銀行口座を作るには身分証明書が必要になります。〈僕〉は身分証明書を作る方法を考え、お金儲けのための作戦を練り始めました。

誰とも交流出来ないさみしさ、特に女性に触れることの出来ないことに〈僕〉は打ちのめされそうになりますが、ある時、幽霊の存在を信じている女性アリスと出会って・・・。

はたして、〈僕〉は政府の組織から逃げ切ることが出来るのか? そして、アリスとの愛の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。透明人間の生活は、当たり前のことですら、なんとも奇妙な風景に変わります。たとえば、歯磨き。

 鏡には、空中で歯ブラシがひとりでに動いているさまが映っている。そのうち、歯磨きのペーストが急に泡立ち、見えない歯に沿って広がった。まるで、チェシャー猫がニタッと笑っているような光景。水を口に含んで、丹念にゆすいだ。どうやら、これからの日常生活は、ビックリ・ハウスでの明け暮れみたいになりそうだ。(上、275ページ)


透明人間の生活に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。また、スリリングな逃亡劇としても、奇妙なラブストーリーとしても楽しめる作品です。

さよなら、2012年


いやあ、あっという間に今年も終わりですね。充実した日々を過ごせたものの、なかなか結果を出せない一年になってしまいました。

去年の目標が、いやその前の年の目標も、語学をもうちょっと真面目に勉強するということだったんですが、全然進歩しなかったですねえ。う~ん。

来年はぼくにとって節目の年でもあるので、もうちょっと色んなことで結果を残せるようにしたいです。がんばります。

三が日は、さすがにちょっとぱたぱたして、本を読む暇もなさそうですが、読み終わっている本がなくはないので、記事が書けそうだったら、何かしら書くつもりです。

ではまた来年も、「文学どうでしょう」をどうぞご贔屓に。