梨木香歩『西の魔女が死んだ』 | 文学どうでしょう

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西の魔女が死んだ (新潮文庫)/新潮社

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梨木香歩『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)を読みました。

かなり印象的なタイトルですよね。ぼくはまだ観ていないのですが、映画化もされた人気の作品です。児童文学の賞をいくつか受賞しているようです。

『西の魔女が死んだ』は、異世界のファンタジーではなくて、色々あって学校に通えなくなってしまったまいという少女が、1ヶ月ほどおばあちゃんのいる田舎で暮らすという物語です。

「西の魔女」というのは、まいとまいの母親がおばあちゃんのことをこっそり呼んでいる名前です。

傷つき、息苦しさを感じ、人生で立ち止まってしまったまいが、おばあちゃんと自然の中で暮らす内に、色んなことに気付くようになり、もう一度歩き出そうとするお話です。

このおばあちゃんは、なんだかちょっぴり不思議な人なんです。イギリス人なんですが、日本の文化を大切に思い、日本の自然を愛しています。

ちなみに、おばあちゃんは日本人と結婚したので、まいの母親はハーフ、まい自身はクォーターにあたります。

さて、ぼくは児童文学を読むと、もう100%子供側の立場だけでは読めなくて、まいの両親やおばあちゃんの目線で読んでしまう部分があります。

たとえばこんな場面。学校に行かなくなった件で、単身赴任中の父親に母親が電話をしているのをまいはベッドの中で聞いてしまいます。

理由? さあ。あの子はとにかく・・・・・・。何ていうのかしら、感受性が強すぎるのね。どうせ、何かで傷ついたには違いないんだろうけど。昔から扱いにくい子だったわ。生きていきにくいタイプの子よね。・・・・・・とりあえず、田舎の母のところでゆっくりさせようと思うの。(15ページ)


母親の「扱いにくい子」という言葉は、まいの心に重くのしかかります。この場面だけを読むと、母親は随分ひどい人に見えるでしょう。

ですが、まいが学校に通わなくなった理由を母親が詳しく聞かないのは何故かと言うと、実は母親自身がたくさん辛い目にあって来たからなんです。

今ほどハーフが当たり前の世の中ではないですから、まいの母親も学校にあまりいい思い出がないんですね。それでも大学まで立派にやり切っているんです。

笑いたい時は笑えばいいし、泣きたい時は泣けばいいし、怒りたい時には怒ればいいんです。それは、どんな困難をも跳ね返す力になります。

必要であれば、他人を押しのけられるくらいの「強さ」を持つ人もいます。まいの母親のように。でもまいは「弱さ」とまでは言いませんが、何かあるとぶつかっていくのではなく、心を閉ざしてしまうんですね。

まいがどんなことで悩んでいるのかは誰にも分からないですし、また分かった所で他の誰かにとっては問題ですらない、ささいなことだったりするわけです。

クラスの中で自然と出来てしまうグループにうまく溶け込めないという、まいの悩みもある程度分かるんですが、むしろ母親の言う「扱いにくい子」という感じの方がすごくよく分かります。

群れにも入れず、かと言って一匹狼にもなれないまいは、クラスの中で居場所をなくしてしまったんですが、そんなことは、あまり深く考えずに適当につきあっていけばいいんですよ。

まいは色んなことをナイーヴに受け止めすぎなんです。もちろん言うは易く行うは難しではありますし、ナイーヴなことが必ずしも悪いわけではありません。ぼくもどっちかと言えば、ナイーヴなタイプですし。

ただ、同じ状況で誰もが抱える問題ではなく、そこに問題を見出すかどうかは、ひとえにまいの感受性にかかっていることは重要です。まいの気持ち次第で、まいの周りの世界は変わるんです。

みなさんだったら、まいにどんな言葉をかけますか? ぼくはそう言った目線でこの物語を読んでしまいます。まいがどんな言葉をかけられるかではなく、まいにどんな言葉をかけてあげたらいいかと。

おばあちゃんはまいにこう言いました。

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」(162ページ)


これはぼくの書いた「そんなことは、あまり深く考えずに適当につきあっていけばいいんですよ」とほとんど同じことを言っていると思いますけれど、いい言葉ですよね。さすがは年の功というか、心に響くものがあります。

ぼくがもしもまいのおばあちゃんだったら、本当にまいを「扱いにくい子」と感じただろうと思います。

でもまいのおばあちゃんは、とてもやさしく、とても丁寧にまいに大切なことを少しずつ教えてくれるんですね。

おばあちゃんと暮らす内に、まいはどんな風に物事を見るようになっていったでしょうか。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねえさんに呼ばれ、すぐお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。(9ページ)


ママの運転している車に乗り込むと、ママは「魔女が――倒れた。もうだめみたい」(10ページ)とため息をつきます。まいはそれを聞いてショックを受けました。

ぽつぽつと雨が降り始め、車のフロントガラスを濡らします。まいは倒れた「西の魔女」こと、おばあちゃんと過ごした2年前の夏のことを思い出し始めました。

中学に入ったばかりのまいは喘息で学校を休み、そのまま学校に行かなくなってしまったんですね。

困ったママは、喘息の療養にもいいだろうということで、しばらくまいをおばあちゃんの所へ行かせることにします。そうして、まいとおばあちゃんの2人だけの暮らしが始まったのでした。

まいとおばあちゃんは、庭仕事をしたり、一緒にジャムを作ったりします。自然あふれる場所で、ゆっくりと時間の流れる穏やかな日々。

「おばあちゃん、大好き」
といつものように早口で呟いて、おばあちゃんの背中に頭をすりつけた。おばあちゃんも、
「アイ・ノウ」
と微笑んで言った。それから、手を動かしながら、何げなく、
「まいは、魔女って知っていますか」
と訊いた。(51ページ)


おばあちゃんは、自分たちには魔女の血が流れていると話してくれます。

魔女と言っても、「イーッヒッヒ」と不気味に笑いながら毒薬を煮込んでいるような魔女ではなく、虫の知らせを感じるというような、ちょっとだけスピリチュアルなことが出来る感じです。

まいはおばあちゃんから、魔女としての心構えを学び、日々の生活の中で基礎トレーニングを受けることになります。

その基礎トレーニングとは、「早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」(69ページ)こと。

一生懸命に魔女としての修業に励みながら、おばあちゃんと楽しく暮らしているまいですが、一つだけとても嫌なことがあります。向かいに住むゲンジさんが、まいは大嫌いなんです。

「外人とこの孫じゃ。学校怠けて遊んどんじゃ」(136ページ)と自分を笑いものにしたゲンジさん。品がないゲンジさんに、まいは恐れと憎しみを抱くようになります。

なにかとゲンジさんの悪口を言うまいと、ゲンジさんに対して公正であろうとするおばあちゃんは、ついに正面からぶつかってしまいました。

やがてまいのパパが、まいとあることを相談するために、休暇を取っておばあちゃんの所へやって来て・・・。

はたして、まいとおばあちゃんの間に生まれてしまったぎこちなさは解消されるのか? そして、おばあちゃんとまいとの秘密の約束は果たされるのか!?

とまあそんなお話です。何かを学ぶことはもちろん大変なことですが、実は何かを教えることの方が難しいような気もします。

おばあちゃんがどのくらいまいのことを分かっていて、まいを導こうとしているかは分かりません。そして、おばあちゃんの考えや行動がすべて正しいわけでもないと思います。

ただ、おばあちゃんとまいの間にあるのは、間違いなくあふれるくらいの愛です。何でも「アイ・ノウ」と笑って受け止めてくれるおばあちゃんの姿が、とても印象に残る作品です。

おばあちゃんとまいのこんなやり取りが心に残りました。

「そうね、何が幸せかっていうことは、その人によって違いますから。まいも、何がまいを幸せにするのか、探していかなければなりませんね」
 まいはまだ考え続けながら言った。
「でも、人から注目を浴びることは、一目置かれることでしょ。そしたら邪険な扱いを受けたりいじめられたり・・・・・・無視されることはないわけでしょう?」
「いじめられたり無視されたりするのも、注目されているってことですよ」
 おばあちゃんは、まいの頬なでながら優しく言った。(58ページ)


いじめ問題が最近大きな話題になっています。いじめはもちろんない方がいいのは言うまでもありません。

ですが、心理的な圧迫感を感じた時点ですでにいじめが発生しているとするなら、いじめは決してなくなりません。

大人になってもそれは同じで、人生においては多かれ少なかれ、不合理なことや辛いことは起こり続けるものなんです。

辛く苦しい、自分ではどうしようもない状況に陥った時、一体どうすればいいのでしょうか。ただ単に「甘えるな! 強くなれ!」では余計に苦しくなるばかりですし、逃げ出すことの出来ない状況もあるでしょう。

ぼくが一番いいと思うのは、見方や考え方を少しだけ変えることです。自分の置かれている難しい状況と真正面からぶつかるのではなくて、ちょっとかわしてみる感じと言えばいいでしょうか。

おばあちゃんの言う「いじめられたり無視されたりするのも、注目されているってことですよ」という言葉は、まさに物事を違った視点から見ている言葉ですよね。

張りつめていた気持ちをふっとゆるませてくれるような、魔法の言葉だと思います。

「時間が解決する」というのは安易ながら、実は結構効果的な手段でもあって、他のことに没頭していたり、或いはその内に救いの手が差し伸べられたりと、放っておくだけで難しい状況をいつの間にか回避できていることがあるものです。

辛く苦しい状況であればあるほど、意識してちょっとだけ違った見方、違った考え方をするようにしてみてください。自分の周りの世界が少しでも変わって見えるかも知れませんよ。

そんなことを教えてくれる1冊でした。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

まいのその後の学校生活を描いた「渡りの一日」も併録されています。

明日は、星新一『ブランコのむこうで』を紹介する予定です。