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リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)を読みました。本屋大賞受賞作です。
この本が発売されたのは2005年ですが、その当時ぼくは本屋でアルバイトをしていたんです。とにかくこの本は売れてました。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の文庫版の売れ方もすごかったんですが、『東京タワー』はレジ前の特設コーナーに積み上げられていて、まさにタワーみたいになっていたのを覚えています。
単発ドラマ、連続ドラマ、そして映画と、立て続けに映像化されて、大きな話題となりましたね。ぼくが本屋大賞を意識するようになったのも、この本がきっかけだったような気がします。
この本の作者であるリリー・フランキーは、本業のイラストレーター以外に俳優としても活躍していて、今ではかなりの知名度がありますよね。
ただ、当時のぼくにとっては、リリー・フランキーは「ココリコミラクルタイプ」に出ている正体不明のおじさんでした。
「ココリコミラクルタイプ」というのは、目撃した変な人とか、遭遇したありえない出来事を視聴者に投稿してもらって、それをコント風の再現ドラマにした番組です。
ココリコや品川庄司など、お笑い芸人だけではなくて、松下由樹や坂井真紀など、実力派の女優が参加していたのもこの番組の大きな魅力でした。
再現ドラマの合間に「こんな人が身近にいたらどう思う?」という様なトークが挟まれるんですが、みんなが盛り上がる中、明らかにリリー・フランキーだけテンションが低いんです。
そして話を振られると、ぼそぼそっとシュールなことを言うんですが、それが結構面白いんですね。
周りからは浮いているんですが、その浮き具合が嫌な感じではなくて、なんだかとても個性を感じさせる存在でした。
イラストレーターや俳優など、多芸多才なリリー・フランキーが自分の半生を振り返り、母親との思い出を記したのが今回紹介する『東京タワー』です。
小説かエッセイかと聞かれれば、どちらかと言えばエッセイの領域に近い本だと思います。
何故そんなことをわざわざ書くかというと、小説として大事なのは、作者と切り離された一つのフィクションとして成立しているかどうかだと、ぼくは思うからです。
物語世界に入り込んで、〈ボク〉のオカンを自分の母親のように感じられるかというとそうではなく、やはり、オカンはリリー・フランキーのオカンなんですね。
率直な感想を言うと、ぼくはリリー・フランキーの半生とほとんどまったく共通点がないので、あまりぐっとこないというか、最後まで他人事のように読んでしまいました。年齢的に、読むのがまだちょっと早かったのかも知れません。
憧れだけでとにかく上京してみたり、大切に思うと同時にわずらわしさも感じてしまう母親への複雑な感情があったりなど、リリー・フランキーと自分の気持ちや境遇が重なれば重なるほど、より感動できる本なのではないかと思います。
作品のあらすじ
こんな書き出しで始まります。
それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。
東京の中心に。日本の中心に。ボクらの憧れの中心に。
きれいに遠心力が伝わるよう、測った場所から伸びている。
時々、暇を持て余した神様が空から手を垂らして、それをゼンマイのネジのようにぐるぐる回す。
ぐるぐる、ぎりぎり、ボクらも回る。(3ページ)
九州の小倉で生まれた〈ボク〉は、オトンの実家で暮らしていたんですが、何があったかはよく分からないまま、4歳の時にオカンに連れられて家を出ることになりました。
親戚の所に身を寄せたりもするんですが、結局、筑豊の小さな炭鉱町にあるオカンの実家に戻ることとなります。
オトンとオカンは離婚したわけではなく、夏休みになると〈ボク〉は小倉に遊びに行かされたりしますし、立ち消えになったものの、中学生の時に小倉でオトンと一緒に住むという話が出たりもしました。
「こことは違うどこかに行きたいという気持ちと、オカンを自由にしてあげなければという気持ち」(114ページ)から家を出て、大分県別府市の美術の高校に進学した〈ボク〉。
一人で暮らすようになると、お金を出してくれるオカンには悪いと思いつつ、だらだらした生活を送るようになってしまいました。
いよいよ卒業後の進路を決める時期になって、相変わらず何の仕事をしているのか分からないオトンと、いつものステーキハウスで食事をします。
ボクはまだなにもなかった。受験に関しても就職に対しても、将来の目標も夢も。ただ、確実に決めていることは、ひとつだけあった。
「なにをするにしても、決めとることはあるんやけど・・・・・・」
「おう。なんか? 言うてみい」
オトンは身体をボクの方に向けて目を見た。
「東京に行きたい」(152ページ)
ステーキハウスを出た後、〈ボク〉はママやホステスのいるクラブに数軒連れて行かれます。オカマのママに会ったりもします。
オトンはこう言います。「色んな奴がおるやろう。色んな国の人もおる。色んな考え方のもんもおるよ。東京に行け。東京に行ったら、もっと色んな人間がおるぞ。それを見て来い」(156ページ)
東京での大学生活もなかなか大変なんですが、何よりも働き出してからが大変です。働くといってもフリーでイラストを書いたり、文章を書いたりするわけですから、普通に就職するのとはまるで違います。
もう本当に食べていけないんですね。水道は止められ、家を追い出され、まさに借金まみれという感じの生活が続きます。それでも仲間たちに恵まれて、少しずつですが、仕事も軌道に乗って行きます。
そんな中、オカンに病気が見つかります。その病気のこともありますし、親戚の家では色々と気兼ねがあるので、オカンがどこかに引っ越そうとしていると知って、〈ボク〉は電話で思わずこう言います。
「オカン・・・・・・」
「なんね?」
「東京に来るね?」
「あぁ・・・・・・?」
「東京で、一緒に住もうか?」(246ページ)
そうして、東京でオカンと暮らし始めることになった〈ボク〉ですが・・・。
とまあそんなお話です。タイトルに使われている東京タワーというのは、まさに憧れの象徴なんです。
夢や希望を持って、みんな東京に出て来ます。それでも、成功するのはほんの一握り。引用したこの本の冒頭の文章のように、運命のいたずらで、ぐるぐると回されてしまいます。
いつかオカンを連れて、東京タワーの展望台に行きたいと思いながら、東京タワーを眺めている〈ボク〉。
この本の中でぼくが一番印象的だったのは、オカンと離れて〈ボク〉が東京に行くことが決まった時の、次の文章です。
オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。(166ページ)
自分のことよりも何よりも、〈ボク〉のことを一番大切にしてくれたオカン。感謝という言葉では語り切れないものが、伝わって来るような気がします。
明日は、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を紹介する予定です。