伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』 | 文学どうでしょう

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伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)を読みました。本屋大賞受賞作です。

『ゴールデンスランバー』って、すごく記憶に残る作品だと思うんですよ。

これはもしかしたらぼくだけかも知れないんですけど、登場人物のちょっとしたセリフとか、場面の断片的なイメージとかが、極めて深い印象を持って残り続ける作品だと思うんです。

ちなみに、堺雅人主演の映画も面白いのでおすすめです。活字が苦手な方は、ぜひ映画の方を観てみてください。キャスティングがもう相当いいです。

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映画で観たことによって感じた、映像としてのインパクトの強さ、それももちろん鮮明な記憶として残った大きな理由だとは思います。

ただ、どうしてこの物語がそこまで読者に深い印象を残すかというと、この物語が単純な逃亡劇ではないからなんです。

『ゴールデンスランバー』は、首相を暗殺した犯人であるという疑いをかけられた青柳雅春が、追り来る警察から、ひたすら逃げていくという物語です。

青柳雅春は身に覚えがないにもかかわらず、大きな権力によって犯人に仕立て上げられてしまうんですね。オズワルドが犯人とされたケネディ暗殺事件が、この小説の下敷きになっています。

いきなり犯人にされて、命からがら逃げていくわけですから、そういった意味では、非常にスリリングな小説です。パニックがあり、不安があり、誰を信じていいか分からない恐怖があります。

そうした逃亡劇が描かれていく一方で、青柳雅春をめぐる人々の話も描かれていくんですね。

大学時代に同じサークルだった「青少年文化研究会」の仲間たちなど、青柳雅春の知り合いも事件に巻き込まれていきます。

サークルのメンバーで、かつての恋人でもある樋口晴子は、事件のニュースを見て、「何やってんの、青柳君」(191ページ)と驚きました。それでも青柳雅春は本当は犯人ではないと思うようになります。

たとえば、樋口晴子がかつての仲間である青柳雅春を助けるなら、よくある話ですよね。いや、助けようとはするんですが、協力関係にあるのではなく、青柳雅春と樋口晴子の行動が、それぞれ別々に進行していることが、この小説の非常に特徴的な部分であり、面白い所です。

青柳雅春は、身の危険を承知で、サークルの後輩だった小野一夫の家に向かいます。その途中で、ふとビートルズの「ゴールンデン・スランバー」という曲を思い出すんですね。

奥歯を嚙み、腹の中のゼンマイを巻く気分で、また進む。気づくと、「ゴールンデン・スランバー」の歌詞を口ずさんでいた。「Golden slumbers fill your eyes」「Smiles awake you when you rise」とポール・マッカートニーは歌い、「Once there was a way to get back homeward」と言って、そして、ばらばらになったメンバーをどうにかひとつにしようとしていた。故郷へ続く道を思い出しながら、だ。結局、バンドは元には戻らず、ポール・マッカートニーは後半の曲をつないで、メドレーに仕上げた。(317ページ)


ビートルズはそれぞれ方向性の違いがあって、もう一緒に演奏することは出来ないんです。

ビートルズと同じように、かつてはあれだけ仲の良かった「青少年文化研究会」の仲間たちも、今はそれぞればらばらの人生を歩んでいます。

それは友情の儚さとかではなくて、ある程度仕方のないことですよね。いつまでも同じ場所に立ち止まっているわけにはいきませんから。動き出せば、周りの景色は変わってしまうものです。

事件が起こらなかったら、二度と会うこともなかったかも知れないかつての仲間たち。もう戻らない関係、もう戻って来ない時間。

それでも、もう一度仲間のために行動するんですね。その一人一人の行動が重なり合うと、一つのメドレーになります。『ゴールデンスランバー』はつまり、そういう小説なんです。

ケネディ暗殺事件を下敷きにし、また、政治的な問題や監視社会に対して警鐘を鳴らすというのも、この作品の大きなテーマです。逃亡するスリリングさ、冒険小説的な面白さもあります。

ただそれ以上に、決して戻って来ない時間、ばらばらになってしまったメンバーたちのメドレーが描かれているからこそ、この小説のセリフや場面は深い印象を持って記憶に残るんです。時に感傷的に、時に切なく。

作品のあらすじ


物語は全五部からなっています。

「第一部 事件のはじまり」では、樋口晴子がかつての同僚の平野晶と蕎麦屋で食事をしています。テレビに映っているのは、金田首相のパレードの映像。すると突然、爆破テロが起きて・・・。

「第二部 事件の視聴者」では、金田首相を殺害した犯人とされる青柳雅春について、メディアがどう扱っていたか、またそれを見ている人々がどんな風に思っていたが描かれていきます。青柳雅春は犯人らしい犯人として描かれます。

「第三部 事件から二十年後」は、20年が経過した時点から、金田首相暗殺事件のおかしな点、事件の真相に迫るルポタージュです。新たなスポットから事件がとらえられています。

「第四部 事件」から、本格的に物語は始まります。金田首相暗殺事件の概要、疑問点をある程度知った上で、読者は物語を読んでいくことになるわけです。

青柳雅春は、8年ぶりにかつてのサークルの仲間、森田森吾と再会します。森田森吾の車の中で、お互いの近況を話したりするんですが、森田森吾の様子はどこかおかしいんですね。

車の外は、金田首相のパレードで大騒ぎです。森田森吾は、自分がどうしようもない状況で頼まれて、青柳雅春をここに呼び出したのだと言い、自分の考えを語っていきます。

要するに、大きな権力を持つ何者かが、青柳雅春を陥れようとしているというんですね。「警戒して、疑え。じゃねえと、おまえ、オズワルドにされるぞ」(153ページ)と。

「おまえは逃げるしかねえってことだ。いいか、青柳、逃げろよ。無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きてなんぼだ」(158ページ)


制服姿の警官がやって来たので、青柳雅春は車から降りて逃げ出します。すると、家族のために自分は逃げるわけにはいかないと車に残った森田森吾ごと、車は爆発してしまったのでした。

同じ頃、金田首相がラジコンヘリを使った爆破テロで殺されます。青柳雅春は自分がその犯人に仕立て上げられそうになっていることを知ります。

実は青柳雅春はちょっとした有名人なんですね。少し前までは運送会社のドライバーをしていたんですが、当時、一世を風靡していたアイドルが襲われそうになっていたのを助けたことがあって、二枚目のドライバーとしてメディアで騒がれたことがあったんです。

犯人に仕立て上げるには、うってつけの人物というわけです。

青柳雅春が逃亡するのに困難な状況があります。この小説の仙台市には、セキュリティポッドといって、町中の至る所に監視カメラの進化版みたいなものが設置されているんですね。どこに逃げても監視されています。

一体誰に頼ったらいいかと悩む青柳雅春ですが、一番頼れる森田森吾は死んでしまいましたし、元恋人の樋口晴子は連絡先が分かりません。そこで、後輩の小野一夫に連絡しますが・・・。

追って来る警察は何だか様子がおかしいんです。銃を平気で撃って来たりするんですね。逃亡の中、青柳雅春は、セキュリティポッド設置のきっかけになった連続通り魔のキルオと出会います。

いきなり切りつけて、「びっくりした?」(33ページ)と言う通り魔のキルオは、自分と同じように警察に追われているのを面白いと思ったのか、何故か青柳雅春を助けてくれるんですね。

テレビの映像で、行ったことのない場所に自分が行っている映像がたくさん流れているのを見て、青柳雅春は自分そっくりに整形された自分の偽物がいるのだと確信します。

すると、キルオはこんなアイディアを思いつきました。

「その偽物を捕まえるんです。青柳さんそっくりの男を捕まえて、どこか、まあ、それこそ、テレビ局にでも駆け込んだらどうですかね。そっくりの顔をした人間がもう一人いることを見せれば、大半の人間は、おかしいと感じますよ。この事件は少しおかしい、と思わせることができる。青柳さんが犯人だと思い込んでいる人間も少しは悩む。疑念が突破口になる可能性はあります」(471ページ)


そこで、2人は裏情報を探って、偽物の行方を追っていって・・・。

はたして、青柳雅春は無事に逃げ切ることが出来るのか? 金田首相暗殺事件の結末とは一体!?

とまあそんなお話です。必死に逃亡を続ける青柳雅春とは全然関係ない所で、元恋人の樋口晴子は青柳雅春を助けようとします。

今は結婚して、4歳の女の子もいる樋口晴子。匿ったり、或いは連絡を取るなど、大っぴらに青柳雅春を助けようとしたら、自分ばかりか家族にまで迷惑がかかってしまいますよね。

犯人の知り合いとして、警察にも徹底的にマークされている状況ですから、青柳雅春を助けることは出来ませんし、そうかといって心情的に何もしないわけにはいきません。

そんな樋口晴子がどんな行動を取ることになるのか、ぜひ注目してみてください。母娘間の会話もユニークで面白いです。

現在進行の逃亡劇の中に、過去の回想が入るのは、ある意味では失敗なんです。どうしてもスリリングさは失われてしまうわけですから。

ですが、だからこそ『ゴールデンスランバー』は印象深い作品になっているとぼくは思うんですね。

誰が犯人に仕立て上げられてもおかしくない現代社会の恐ろしさがこの小説では描かれているわけですが、同時にもう少し普遍的なテーマが描かれてもいます。

学生時代の輝きを持ったまま社会で活躍できる人って、そういないと思うんですよ。途方もない夢とか、かけがえのない仲間とか、そんなきらきらしたものは、日々の生活に追われている内に摩耗していきます。

『ゴールデンスランバー』は、もうとっくに終わってしまった人がもう一度輝き出す物語でもあって、言わばもう一度スイッチを入れる「リスタート」の物語なんです。

状況としては極限ですけれど、そうした部分で非常に共感できる要素があるというか、青柳雅春と自分を重ねあわせやすい物語だと思います。

突然犯人にされてしまうパニックと、過去の思い出の感傷的な要素が交じり合う面白い小説です。機会があればぜひ読んでみてください。

明日は、ピーター・ラヴゼイ『偽のデュー警部』を紹介する予定です。