ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』 | 文学どうでしょう

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地底旅行 (岩波文庫)/岩波書店

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ジュール・ヴェルヌ(朝比奈弘治訳)『地底旅行』(岩波文庫)を読みました。

ジュール・ヴェルヌはぼくの好きな作家です。まさに冒険小説と呼ぶにふさわしい、未知の世界での冒険を描いた作品を数多く残しました。

名前は知っていても、まったく読んだことがなかったり、あるいは子供向けに書き直されたものでしか読んだことがない方が多いだろう思うので、機会があればぜひ読んでみてください。

ちなみにぼくが一番好きなのは、『八十日間世界一周』です。ハリウッドのアクション映画も顔負けと言ってもいいくらいの、はらはらどきどきの大冒険が描かれた傑作です。

ジュール・ヴェルヌの小説は、まず何と言っても、登場人物がとっても魅力的なんです。

人間として素晴らしいとかではなくて、とにかく変わり者が多いんですね。俗に言う「キャラが立っている」というやつです。

『地底旅行』は、リーデンブロック教授とその甥のアクセルが、ガイドのハンスを連れて、地球の中心へ向かって冒険する物語です。

火山の中を降りて、暗い洞窟の中を延々と歩いて行くんです。そして、その先には・・・。

物語の語り手〈わたし〉であるアクセルを振り回すリーデンブロック教授も相当な変わり者ですが、ここではちょっとハンスに注目してみたいと思います。

ハンスは本業は猟師であり、ガイドと言っても、時たま山を案内するぐらいのものです。いきなり火山の中に入って行くと聞かされたら、普通だったらびっくりするはずですよね。

山まで案内してもらって、いよいよぎりぎりの所で火山の中に入って行くのだと聞かされた時のハンスの反応は、次のようなものでした。

 ハンスはうなずいただけだった。そこに行くもあそこに行くも、島の底にもぐりこむのも地面の上を歩くのも、彼にとってはなんの違いもないようだった。(154ページ)


まさかのほぼ無反応なんですよ。ハンスというのは、ロボットのような感じだと思ってください。すごく有能だけれど、無駄口は叩かず、にこりともしません。

リーデンブロック教授には、未知なる世界への探求心と冒険へかける情熱があります。アクセルも伯父さんを助けたいという気持ちがあります。

しかしハンスは、雇われたにすぎず、自分の与えられた仕事をただこなすだけなんですね。

恐ろしい目にあったら、逃げ出したくなるのが人間というものです。それが単なる仕事であればなおさらです。

ところがハンスは危機に陥っても、逃げ出すどころか冷静に対処するんですね。これはかっこいいですよ。それでこそプロフェッショナルというものなわけですよ。

そんなロボットみたいに無表情、無感覚に見えるハンスが、物語の最後にどんな意外な一面を見せるのか、ぜひ注目してみてください。

独特のキャラクター性を持つ登場人物たちが、地球の中心という未知の世界で、冒険をくり広げていく物語です。

まさに「危機一髪!」というような、息もつかせぬ展開の連続です。リーデンブロック教授とアクセル、そしてハンスは無事に生きて帰って来ることができるのでしょうか。

作品のあらすじ


〈わたし〉の伯父さんの、オットー・リーデンブロック教授は、変わり者として有名です。

ヨハネウム学院で鉱物学の教授をつとめているんですが、授業中に鉱物の名前がうまく発音できなかった時に、怒鳴りちらしたりするんですね。生徒たちはそれを聞いて大笑いしています。

性格は頑固で、一度言い出したことは決して変えようとしません。もちろん、それだけ自分の意見が正しいと信じているからでもありますけれど。

ある時、伯父が、「なんという本だ! なんという本だ!」(21ページ)と1冊の本を抱えて、興奮した様子で帰って来ました。

たまたま古本屋で見つけたその本は、ルーン文字で書かれた手書きの本だったんですが、その中に暗号のようなものが書かれた羊皮紙が挟まっていたんですね。

伯父が、その羊皮紙に秘められた謎を解こうとしていると、女中のマルテがやって来ます。

「お昼の用意ができました。」
「お昼なんぞ悪魔に食われちまえ」と、伯父が叫んだ。「それを作ったやつも、それを食うやつもだ!」
 マルテは逃げ出した。(26ページ)


やがて伯父は、暗号を残したのは、16世紀の錬金術師のアルネ・サクヌッセンムだということを発見します。

暗号を解くと、そこには「スネッフェルスのヨクル火口に降りると、地球の中心にたどり着くだろう。それはわたしが成したことだ」(57ページ)と書かれていました。

それを知って伯父は、急いで冒険の準備を始めます。ある日のある時刻までにその山に行っていなければ、サクヌッセンムの残した手がかりが分からなくなってしまうからです。

一方の〈わたし〉はまったく乗り気ではありません。何故なら、地球の中心はとてつもない熱を持っているはずであり、そこに行こうとすることは、自殺行為以外の何物でもないと思っているからです。

かと言って伯父を見殺しにするわけにもいかない〈わたし〉が婚約者のグラウベンに相談すると、グラウベンの反応はまったく予想外のものでした。

「アクセル!」と、とうとう彼女が口を開いた。
「ぼくのかわいいグラウベン!」
「きっと素晴らしい旅行になるわ。」
 このことばを聞いてわたしは飛び上がった。
「そうよ、アクセル、学者の甥にふさわしい旅行だわ。男の人が偉大な冒険で名を挙げるのは素晴らしいことじゃないの!」
「なんだって! グラウベン、きみはこんな冒険に乗り出すことを思い止まらせてくれるんじゃないんだね?」
「ええ、アクセル、もしも足手まといになる弱い女の身でなかったなら、わたしも喜んでお供をさせてもらうところだわ。」
「本気かい?」
「本気よ。」(76ページ)


というわけで、〈わたし〉は伯父と一緒に旅立つことになってしまったのでした。

アイスランドに着いた伯父と〈わたし〉はガイドのハンスを雇い、サクヌッセンムの残した手がかりを頼りに、スネッフェルス山の火口の中に入って行きます。

火口の中は、洞窟のような感じです。3人はひたすら暗い道を歩いて行きますが、途中で道を間違えてしまいました。

何故それが分かったかと言うと、行き止まりにぶつかったからです。行き止まりになったということは、すなわちその道は、サクヌッセンムが通った道ではないということです。引き返す他ありません。

持っている食料や水には限界があります。疲労、飢え、そして何よりも渇きが3人を襲います。絶対に諦めることのない伯父からもこんな言葉が漏れました。「万事休す!」(229ページ)

絶体絶命の危機に陥った時、ハンスが突然姿を消してしまいます。当然逃げ出したのだと〈わたし〉は思いますが、逃げ出したのなら、上へ向かうはずです。

しかし、ハンスは下へ向かったようです。一体何のために・・・?

詳しくは伏せておきましょう。ともかく、ハンスの活躍によって、3人は旅を続けられるようになりました。

歩き続けていると、先頭を歩いていた〈わたし〉は、後ろから伯父とハンスがついて来ていないことに気が付きます。

なんと、どこかではぐれてしまったらしいのです。戻れど戻れど2人の姿はありません。叫べど叫べど返事はありません。

〈わたし〉は途方に暮れて、圧倒的な絶望感に打ちひしがれます。死を待つだけの身となった〈わたし〉の脳裏を、楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡ります。

諦めかけた〈わたし〉は、どこからか声が聞こえてくることに気が付きました。はじめは幻聴かと疑いますが、どうやら本当に伯父の声が聞こえているようです。

声が届くまでの時間を計測すると、〈わたし〉と伯父は、7キロほど離れていることが分かりました。

大きな広間のような空間にいるという伯父とハンスに合流するために、〈わたし〉は別れを告げ、行動を始めます。最後に響いた伯父の声は――。

「”さようなら”じゃない、”またすぐに”だ。アクセル! またすぐに!」(278ページ)


様々な困難を乗り越え、地球の中心で〈わたし〉たち3人が見たものとは!?

とまあそんなお話です。実はここからがこの小説の面白い所なわけで、そこには想像を絶する世界が広がっていて、本格的な冒険はむしろここから始まります。

それが一体どんな不思議な世界での冒険なのか、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。驚くほど神秘的な世界がみなさんを待っていますよ。

明日は、金庸『倚天屠龍記』を紹介する予定です。