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ヨースタイン・ゴルデル(池田香代子訳)『ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版)を読みました。
「あなたの人生を変えるかも知れない1冊」など、大袈裟なキャッチフレーズがつけられた本を、たまに目にすることがあります。
ですが、そう聞くとぼくはかえって信用しません。面白かったり、感動したりはしても、どんな意味合いにおいても、人生を変えるほど力のある本というのは、滅多にないものなので。
そんな疑り深いぼくが『ソフィーの世界』にキャッチフレーズをつけるとするなら、「あなたの人生を変えるかも知れない1冊」です。
この本を読み終わった時には、確実に世界の見え方が変わっているはずです。何かしらの影響を受けずにはいられない本だと思います。
『ソフィーの世界』が翻訳されて日本で出版されたのは1995年で、ぼくが中学生の時でした。
その当時かなりのベストセラーになっていたので、流行に乗ってぼくも読んだんですが、初めて読んだ時に、かなりの衝撃を受けたのを覚えています。
『ソフィーの世界』は、ぼくの人生をほんのわずかでも変えたかも知れない本なんです。少なくとも、読む前に比べて、色んなことに興味を持つようになったのは確かです。
『ソフィーの世界』というのは、間もなく15歳を迎えるソフィーの所に不思議な手紙が届くようになるという物語です。
1通目は、「あなたはだれ?」(10ページ)という手紙で、2通目は、「世界はどこからきた?」(14ページ)という手紙。
随分不思議な問いかけですよね。あまりにも突拍子もない問いかけなので、みなさんもきっと、本気でそんなことを考えたことはないのではないかと思います。
お母さんに、「ねえ、なんでわたしはわたしなんだろうね?」と聞いたら、「くだらないこと言ってないで勉強しなさい」と言われてしまうでしょうし、ぼくだって友達から急に「なあなあ、世界ってどこから来たんだと思う?」と聞かれたら、(こいつ暑さにやられてどうかしちゃったんだな・・・)と思って、笑いながら受け流すことでしょう。
でも、そうした答えのない問いを考えていって、世界の仕組みの謎を探っていくのが、哲学というものなんですね。
ソフィーは届けられる手紙で、哲学者について色々と学んでいきます。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、スピノザ、カント、ヘーゲル、キルケゴールなどなど。
そう、『ソフィーの世界』は小説ですが、西洋哲学史のやさしい入門書でもあるんです。
ソフィーが手紙を読んで、哲学について少しずつ学んでいくとともに、ぼくら読者も少しずつ哲学について学んでいけるという本です。
教科書のように一方向ではなく、対話形式なわけですから、その分、理解しやすいですし、哲学についての解説は、たとえも豊富で分かりやすいです。
ぼくらが感じそうな疑問はソフィーがすぐ口にしてくれることもあって、わりと読みやすいとは思うんですが、哲学の部分はやはりそれなりの難しさはあります。途中で挫折してしまう人も多いようです。
ただ、もしもこの本が単なる哲学を簡単に紹介した入門書というだけだったなら、ぼくもそれほどおすすめはしません。『ソフィーの世界』は、実は小説として非常に面白い小説なんです。
あえてあまり詳しくは書きませんけれど、小説が小説であるが故の面白さのある小説とだけ言っておきましょう。
哲学の部分はもちろん、小説としての面白さが、何よりおすすめしたい所なんです。
哲学の部分が退屈だったら飛ばしながらでも構いませんから、半分くらいまではちょっとがんばって読んでみてください。途中から思いも寄らない展開になっていくので、ぐいぐい物語に引き込まれていくはずです。
さて、カントも似たようなことを言っていますが、「哲学すること」と「哲学史を学ぶこと」というのは、実は似て非なるものなんです。
そのことについて、『ソフィーの世界』にはこんな言葉があります。
「『哲学者』と呼ばれる人たちには二つある。哲学の問いに自前の答えを見つけようとする人は、だれでも哲学者だ。ところがもういっぽうの哲学者というのは哲学史のエキスパートのことで、かならずしも独自の哲学をつくりだしているわけじゃない」(412ページ)
ニーチェはこう言っていた、カントはこう考えたと、知ることももちろん重要ですし、それだけでもなかなか難しいことですが、それは「哲学史を学ぶこと」であって、「哲学すること」ではないんですね。
『ソフィーの世界』が何よりも素晴らしいのは、「哲学史を学ぶこと」の面白さだけではなく、自分で問いかけ、考えるという、「哲学すること」の面白さを教えてくれることです。
作品のあらすじ
学校から帰ってきたソフィー・アムンセンは、自分宛ての手紙が来ていることに気がつきます。切手も貼っていない、小さな封筒の手紙。
その中には、「あなたはだれ?」と書かれた紙切れが入っていました。不思議に思いながらも、その手紙をきっかけに、自分について、そして世界についてソフィーは考え始めます。
やがてもう少し長い手紙が届くようになり、ソフィーは今まで考えたこともなかった世界の不思議について、真剣に考え始めるようになりました。
その驚きと喜びを母親に伝えると、深刻そうな顔で、「あなた、どっかにドラッグを隠してるんじゃない?」(34ページ)と言われてしまいました。
謎の人物から届けられる手紙は、ギリシアの自然哲学者たちの話を教えてくれます。世界が何から出来ているかを考えた人々。
その次には、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの話が続きますが、個人的にはこのプラトンの話が一つの読み所になるのではないかと思います。こんな問いがなされます。
まずは第一問、さあ考えてね。ケーキ屋はなぜ五十個もの同じクッキーを焼けるのか? 第二問にいきます、なぜ馬はみんなそっくりなのか?(106ページ)
何故ケーキ屋が同じクッキーを焼けるかというと、同じ「型」を使って、クッキーの生地を切り抜いているからですよね。
そして馬は、一頭一頭の個体差はあるものの、馬を馬として成立させている何かがあるはずなんです。そこにプラトンは、「型」を見ました。
目に見える世界の向こう側にある、その「型」のある世界が、「イデア界」です。
人間は洞窟に住んでいて、そこに映った影絵を見ているに過ぎないという「洞窟の比喩」で、プラトンは「イデア界」を説明しています。
プラトンの「イデア界」の考えは、弟子のアリストテレスによって、また大きく形を変えていくことになります。
やがてソフィーは、手紙の送り主の飼い犬ヘルメスに手伝ってもらって、手紙の送り主と手紙のやり取りをするようになり、やがては直接会って話をするようになりました。
キリスト教、そして中世の神学について、ニュートンやガリレオ・ガリレイなどの科学的な発見について、講義は続いていきます。たとえば「慣性の法則」は、次のように語られています。
「電車に乗っていて、リンゴを落としたと想像してごらん。リンゴは遠くには落ちない。これは、電車といっしょにリンゴも走っているからだ。リンゴはきみのすぐそばに落ちてくる。ここにはたらいているのが慣性の法則だ。リンゴはきみが落とす前からもっていた速度をそのままもちこしているんだ」(263ページ)
話は少し逸れますけど、「慣性の法則」ってすごく不思議ですよね。ぼくにとっては、いまだに不思議な現象です。
だって電車は猛スピードで動いてるんですよ。リンゴを持つ手をぱっと離したら、リンゴは電車の進行方向とは逆に、吹っ飛んで行きそうなものなのに、足元に落ちるんですよね。いやあ不思議ですねえ。
話を戻しまして。現在では、哲学と科学はそれぞれまったく別のもののように思えますが、たとえば重力が発見される以前は、「物は何故落ちるか?」は哲学たりえたわけですね。
頭を働かせて謎を解こうとした哲学から、実験を積み重ねて現象の謎を解明する科学が生まれます。
科学や心理学など、学問領域としては細分化されていき、哲学はより限定された、いくつかの大きな難問と取り組むものとなっていきました。
近代哲学がぶつかった壁は、大きく言えば2つで、(1)心と体の関係性の問題、(2)神はいるかどうか、です。そこに潜む問題を、近代哲学の哲学者は様々に論証しようとしていきます。
デカルトは、すべてを疑っていくことによって、疑うことの出来ない自分を発見しました。
「デカルトはすべてを疑ったけど、たった一つ信じていいことがある、と思いついた。それは、彼がすべてを疑っているということだ。疑っているということは、疑わしいと考えているということだ。だから、疑わしいと考えているならば、そう考えている自分がたしかに存在するのだ。これをデカルトのことばで言えば、『コギト・エルゴ・スム』」(302~303ページ)
有名な、「われ思う故にわれ有り」ですね。イギリスの経験者を経て、カントの「ア・プリオリ(あらゆる経験より前に存在する)」(415ページ)について書かれていきます。
赤いレンズのサングラスをかけると、世界の色は違って見えますよね。
「サングラスに色がついているから、きみは現実をそういうふうに体験するわけだね。きみが見ているものはすべて、きみの外に広がる世界に属しているわけだが、それがどのように見えるかは、サングラスのレンズ次第だ。きみに世界が赤く見えるからといって、世界そのものが赤いとは言えない」(414ページ、原文では「そのもの」に傍点)
つまり、サングラスをかけて世界を見ているように、人間には経験する前にすでに前提となる条件を持っているということです。カントの考えについて、より詳しくは本編にて。
カント以降は、ダーウィンやマルクスなど、哲学や思想が歴史にどのような影響を与えて来たかが語られていきます。そして・・・。
さて、哲学について様々に学んで行くソフィーですが、ソフィーの周りでは、少し不思議なことが起こっているんですね。
「このはがきはソフィーに送る。そうするのがいちばん手っとり早かったのだ」(18ページ)と書かれた、ヒルデという女の子宛てのはがきなど、ヒルデ宛てのメッセージが、何度もソフィーの元に届くんです。
ソフィーはもちろんヒルデという女の子のことを知りません。何故、自分の所にヒルデで宛てのメッセージが来るのだろうと、首を傾げるソフィーですが・・・。
はたして、ヒルデという女の子に隠された謎とは? そして、哲学を学んだソフィーは何を手に入れることになるのか!?
とまあそんなお話です。前半はやや堅苦しく、難しい感じですが、後半はわりと読みやすくなっていきます。
何しろ哲学の所だけでも膨大な量があるので、ほとんどまともに紹介は出来ませんでしたが、興味を持ってもらえた部分もあったかと思います。
哲学について学ぶ面白さというのは、知識が増える喜びはもちろんのこと、今まで考えたこともなかったことを考えるきっかけになる所です。
たとえば、あまり深く考えずに体と魂があるようにぼくらは思ってしまいがちです。なんとなくのイメージで。
ただ、冷静に、そして真剣に、魂はあるのかないのか、体と魂は分離させられるのかどうかなどと考えていくと、そこには難しい問題が色々あることが分かります。
辛いことがあった時、「心が痛む」と言いますよね。「心」というと、なんとなく心臓を思い浮かべてしまいますけれど、胸をメスで切り開いて、「心」を探してもどこにもありません。
では、「心」は一体どこにあるのでしょう?
考えても答えは出ませんし、考えること自体が、もやもやしてなんだか嫌な気もするでしょう。
でもそんな風に、今まで考えたことのなかったことを考えるということは、今までには見えなかったものが見えているということです。
今までに見えなかったものが見えるということは、すなわち自分が見ている世界が大きく変わったということです。それってなんだか面白いことですし、素敵なことだと思うんですよ。
『ソフィーの世界』は、哲学史の勉強になるのはもちろん、そんな風に、自分の見ている世界を大きく変えるきっかけになる本です。
難しい部分もあるかも知れませんが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。おすすめの1冊です。
明日は、ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』を紹介する予定です。