山本周五郎『ながい坂』 | 文学どうでしょう

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山本周五郎『ながい坂』(上下、新潮文庫)を読みました。

山本周五郎という作家をご存知でしょうか。日本を代表する時代小説作家の1人と言ってよいと思います。黒澤明監督などによって、数多くの作品が映画化されています。

『ながい坂』は、山本周五郎の代表作の1つです。上下巻あわせて1000ページほどあるので、ボリュームは結構あります。

ただこの小説は、単なる物語というよりは、人間の人生そのものが描かれているような作品なんです。理不尽な物事に対する怒りがあり、どうしようもない挫折があり、生きることの苦しみがあり、愛の喜びがあります。

こうしたボリュームのある小説でしか感じることの出来ない感動というものがやはりあります。深い印象の残る小説なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

三浦主水正という1人の武士が中心となる物語なので、その点は読みやすいというか、読み始めれば作品の長さ自体はあまり気にならないだろうと思います。物語に引き込まれる面白さのある小説なので。

『ながい坂』は、話の骨子だけを抜き出せば、身分の低い者が己の才覚だけで立身出世をしていくという物語です。下級武士出身の三浦主水正が若き藩主に抜擢され、どんどん出世していきます。

登場人物の配置も非常に巧みで、三浦主水正とは対照的な存在として、何代も続く城代家老の息子の滝沢兵部が登場します。滝沢兵部は文武ともに英才教育を受けた、いわゆるエリートです。

つまり、雑草対エリートの戦いが描かれていくわけですね。雑草である三浦主水正は、身分は低いものの、己の信念を持ち、いくら踏みつけられても決してくじけない力強さがあります。

一方の滝沢兵部はどれだけ才があっても、親に敷かれたレールを走らなければならないというエリートならではの苦しみがあり、そして、どうしても周りからちやほやされてしまう所があるので、決定的な場面で弱さが露呈してしまうんですね。綺麗なガラス細工ほど壊れやすいものです。

主人公である三浦主水正の波瀾万丈な人生が描かれていくのみならず、滝沢兵部など、周りの人間の人生も同時に描かれていくことにも、この小説の面白さがあります。

さて、『ながい坂』で描かれるのは一種のサクセスストーリーであり、サクセスストーリーとしての面白さももちろんあります。

しかしながら、この小説から受ける印象というのは、おそらくサクセスストーリーとは全く違うものだろうと思います。

三浦主水正には信念があります。その行動は周りの人間を動かしていきます。ですが、三浦主水正は迷いのない人間なのではなく、迷い続ける人間なんですね。

答えが分かっていて進んでいくヒーローではないんです。三浦主水正のこんな言葉が、ぼくにはとても印象的でした。

「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は善と悪を同時に持っているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」(下、135~136ページ)


藩政を腐らせる悪がいるのは分かっていても、その悪をただ除けばいいという簡単な問題ではないんですね。

向こうは向こうなりの正しさを追求しているわけで、自分と相手を分けているものは、善悪ではなくて、考え方の違い、立場の違いであるというわけです。

迷いを抱える人物というのは、サクセスストーリーの主人公にはあまり向きませんし、三浦主水正という人物は魅力はあるものの、完璧な人間ではありません。

親や弟、先生など、自分の心から離れてしまった人々に対しては、とことん冷たいですし、凝り固まった考え方や自分勝手な行動で、周りの人間を振り回してしまうこともあります。批判できる部分はたくさんあります。

ですが、それだからこそ、この小説は面白いとぼくは思うんです。受験、就活、恋愛、結婚、人生どの道を選べばいいのか明確に答えが分かっていることなんてほとんどないですし、どう考え、どう行動すれば正解なのか、それは誰にも分かりません。

大きな困難の前で迷い、苦しみ、それでも正しい方向を目指して歩みを止めない三浦主水正だからこそ、こんなにも読者の心を打つんです。

単なるサクセスストーリーではなく、求道者とも言うべき三浦主水正の姿が、極めて深い印象でもって心に残る小説です。

作品のあらすじ


8歳の阿部小三郎は、父親の仕事が休みの時は、よく釣りに連れていってもらっていました。ところがある時、思いがけないことが起こります。

沼に行く途中でいつも使っていた橋が、突然なくなっていたんですね。

 小さな名もない橋であったが、それを見たとたん、彼は自分の胸に穴でもあいたような衝撃を受けた。(中略)幼ない彼のあたまでは、それは人の手によって作られたものではなく、もともとそこにあり、不動であり、永久にそこにあるものであった。道というものが取り外せないように、それもまた取り外すことのできないものであった。(上、13ページ)


阿部親子が通っていた道は、城代家老の滝沢主殿の私道だから、今後は通ってはいけないと言われてしまいました。

半ばは滝沢家に仕える者の、嫌がらせみたいなものです。阿部親子は今までよりも倍以上かかる道を使って沼に行くことを、余儀なくされてしまいました。

驚きと悔しさで、小三郎は別人のようになります。藩には学校が2つあるんですが、身分の高い武士しか通えない尚功館を目指すようになるんですね。

「おれはやるぞ、きっとやるぞ」(上、30ページ)と学問と武道に熱心に打ち込む小三郎。

見事に尚功館への入学を果たした小三郎ですが、本来は平侍が入れる所ではないので、身分の高い武士の子供たちから虐げられることになります。

しかし、小三郎は凄まじい気迫で様々な困難を乗り越えていきます。

やがて藩主が亡くなり、次男の飛騨守昌治が跡を継ぎました。小三郎よりも4つ年上の若き藩主の誕生です。家老たちのあやつり人形になりたくない昌治は、自分の目で物を見、自分の頭で物を考えようとします。

そこで先生達の推挙によって抜擢されたのが小三郎です。小三郎は昌治の側小姓として取り上げられたんですね。

側小姓というのは、主君の側にいて色々雑用などをこなす仕事です。昌治と小三郎は藩内を見回りながら、藩の未来について語り合いました。

小三郎は元服して主水正と名乗るようになりましたが、火事が起こった時に的確な指示を出したり、孤児たちの住む場所を作ったりと、影ながら活躍する主水正の将来を見込んで、山根蔵人は自分の娘つるの婿にしようと思います。

ところが山根家というのは名門ですし、鷲っ子と呼ばれるほど気の強いつるは、平侍の主水正が気に入りません。ある時、馬に乗ったつると主水正が出会いますが・・・。

「わたくし鞭を落しましたの」と娘は彼を見おろして云った、「戻って捜して来て下さい、あそこの、小さい木がぼさぼさ繁っているあたりですわ」
 痩せがたで色が白く、きりょうよしではあるが眼がきつく、娘というより男顔であった。
「ご自分でいくんですね」と主水正は静かに答えた、「馬をせめるのに鞭を落すというのは聞いたこともなし、私はあなたの召使ではありませんから」
「わたくし山根蔵人の娘ですよ」
「そうですか」と彼は答えた、「御用があるので私は失礼します」(上、157ページ)


婿に行きたくない主水正は後継のいない名門三浦家の後を継ぎ、つるを嫁にもらいます。しかし、つるの高いプライドと、育って来た環境や金銭感覚の違いから夫婦は冷戦状態となり、まともな夫婦生活もないまま日々は過ぎていきます。

やがて、藩主の昌治によって、ある大きな計画がひそかに始まりました。堤防を作り、井関川の水を引いて新しい田を作ろうという大工事の計画です。この計画は、主水正を中心として動いていくことになります。

新しい田が出来るということは、もちろん取れる米が増えるということを意味しますが、それだけの目的ではなくて、「農、産、商業の根もとを握っている大地主、五人衆といわれる大商人、そして、これらに支えられている藩の重臣たち」(上、311ページ)を大きく揺さぶることこそが、何よりの狙いです。

つまり、百姓たちが貧しい暮らしをしている一方で、懐を肥やしている商人や、商人と癒着している藩の重臣がいるわけですね。大工事に反発する勢力こそが、藩の腐敗した部分であり、そこの大掃除をしようというわけです。

当然、その反発はとても大きなもので、工事は何度も妨害されますし、主水正は命を狙われ、身を隠して生活することを余儀なくされました。貧しい人々に混じってうどん屋をやったりするんですね。

それでも主水正の才覚は人望を集めずにはおきません。みんなは主水正をこんな風に見ています。

「扇に要がなくてはならないように、われわれにも要がなくてはならない、これはまずい譬かもしれないが、要がなければ扇がばらばらになってしまうように、いまのわれわれにはあなたが要なんです、あなたには危険を冒すようなことはしてもらいたくない、これがわれわれみんなの意見なんです」(下、143ページ)


やがて、藩主の昌治の地位が危うくなります。昌治は次男なので、長男を藩主に据えようという動きが現れるんですね。それを知った主水正は・・・。

はたして、主水正は昌治を救い、大工事を完成させられるのか!?

とまあそんなお話です。なにしろ長い話なので、ざっくりした内容しか紹介できませんでしたが、対立を続ける主水正とつるの夫婦関係がどうなっていくのかも見所ですし、エリートの滝沢兵部とのライバル関係にも目が離せません。

理不尽なことが起こり、誰もそれに対して声をあげないこと。8歳の時に感じたその怒りが、主水正を突き動かす原動力となっています。

悔しさをバネに努力を重ね、やがてその熱意が周りの人間の心を動かすようになるわけですが、自ら選んだとは言え、主水正の進む道は茨の道です。どこまでいっても、平侍という出自が問題になってしまうわけですね。

どんなに困難が降りかかってきても、迷い苦しみながらでも、三浦主水正は前に進んでいきます。その姿は読者に勇気を与え、感動させずにはおきません。

長い小説ですが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、太宰治『走れメロス』を紹介する予定です。