ジョルジュ・シムノン『闇のオディッセー』 | 文学どうでしょう

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闇のオディッセー (シムノン本格小説選)/河出書房新社

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ジョルジュ・シムノン(長島良三訳)『闇のオディッセー』(河出書房新社)を読みました。

「メグレ警視シリーズ」で有名なジョルジュ・シムノンの、ミステリではなく、文学よりの作品を収めた「シムノン本格小説選」の中の1冊です。

「シムノン本格小説選」は、ジャケット(装丁)のデザイン性の良さ、どの作品も大体200ページ前後という適度な量、シンプルかつ思わず引き込まれる物語性を持つ、最近のぼくのお気に入りのシリーズです。

外国の小説というのは、登場人物の名前や地名に馴染みがないこと、訳文にどうしても日本語としての不自然さというか、かたさが出てしまうことから、なんだか苦手だという声をよく耳にします。

外国の小説というだけで、「シムノン本格小説選」もほとんど注目されていないような気がしますが、これが意外と、日本で売れそうな作品ばかりを収めたシリーズなんです。

たとえば、日本のベストセラーに目を向けると、本格的なトリックなどが使われるミステリよりも、東野圭吾や宮部みゆきなどのように、ささやかな謎と巧みなストーリーテリングのものが好まれますよね。

内容として難しくなく、気軽に読むことができて、物語に含まれている謎にぐいぐい引き込まれ、読み終わった時にはずっしりとした余韻が残るもの。これが現代日本のベストセラーの要件だろうと思います。

物語がシンプルで読みやすく、難しすぎない適度な謎のある小説と言えば、これはもう「シムノン本格小説選」なわけですよ。

ずば抜けた傑作という感じはありませんが、ぼくが今まで読んだものはどれも面白い作品ばかりでした。興味を持った方は、「シムノン本格小説選」にぜひ注目してみてください。

さて、今回紹介する『闇のオディッセー』は、医者の心の闇を描いた作品です。

経営しているクリニックは大成功し、妻と3人の子供がいて、おまけにほとんど妻公認の愛人までいるという、周りから見ると満たされた、幸せな暮らしがそこにはあります。

しかし、医者の内面は幸せとはほど遠いものなんです。医者は次第に精神的に追い詰められていきます。

具体的なきっかけがあるにはあるんですが、それはあまり重要ではなくて、仮面を被っているような「社会的な自分」を演じている内に、「本当の自分」というアイデンティティー(自分が自分であるということ)を徐々に失っていってしまう感じです。

いい医者であり、いい夫であり、いい父親であろうとすると、ほんのわずかかもしれませんが、「本当の自分」と、ずれが生じてしまうわけですね。そのずれが蓄積されていくと、ささいなきっかけですべてが崩壊してしまいかねないわけです。

主人公の医者は、裕福であり成功している人間なので、抱えている悩みは、一般の感覚からすると贅沢というか、「何をくだらないことで悩んでるんだ!」という感じがするかも知れません。あるいは医者が単に精神的におかしくなっていっただけだと。

しかし、他人事として読んでいる内に、段々と医者の抱える鬱屈した感覚が伝わって来て、誰もがこういう精神状態になってもおかしくないと思わされてしまいます。

シンプルで読みやすく、物語に思わず引き込まれ、読み終わった時には、ずしんとした衝撃が残る、そんな物語です。

作品のあらすじ


シャボは目を覚まします。49歳で差婦人科のクリニックを開いているシャボの自宅は12部屋もある豪華なマンションで、使用人を4人雇い、車は3台も持っています。誰もが羨む裕福な暮らしを送っているシャボ。

妻と3人の子供がいますが、シャボは物置部屋に病院用の鉄製のベッドを置き、そこで1人で寝ているんですね。

産婦人科の医者なので、いつ呼び出されるから分からないからという理由で、妻と別々に寝るようになったんですが、理由は他にあります。

秘書として雇ったヴィヴィアーヌと愛人関係になったのもその理由の一つですが、それだけではなくて、豪華な暮らしも何もかもがシャボにとってはむなしいものなんです。

 しかし、秘書が妻にとって代わったといったら嘘になる。ヴィヴィアーヌはだれの場所を奪ったわけでもない。ただ、空白をうめただけだ。(17ページ)


シャボはいつしか、もし何かが起こったら、周りの人間は自分のことをどんな風に証言するだろうかと考える癖がつくようになりました。

クリニックで働いている人々や、自分の家族は自分のことを一体どんな風に見ているだろうかと。

それと言うのも、シャボの周りを若い男がうろつき始め、「おまえを殺すぞ」(45ページ)というメモが車に残されていたこともあったからです。

シャボは自分の身を守るために、拳銃を持ち歩いた方がいいのではないかと考えるようになりました。若い男が一体何者かにシャボは心当たりがあるんですね。シャボは数ヶ月前のことを思い出します。

ある時、クリニックで働き出したばかりと思われる娘が、宿直室で眠っているのを見つけました。

ブロンドの髪で、「子供が抱いて寝る大きな熊のぬいぐるみ」(51ページ)を連想させる娘は、水色の制服の下には何も着ていない様子です。

 彼が体をおしつけるのを感じたとき、娘は、まばたきひとつせず、あいかわらず微笑を浮かべたまま、自分から腕や膝をひろげた。それから、口を少しあけてかすかなうめき声をもらし、まぶたをぴくりとふるわせたが、ついに薄目もあけなかった。
 シャボが足音を忍ばせて立ちさりかけたとき、娘はくるりと寝返りをうち、うつぶせになってふたたび眠ってしまった。(51ページ)


お互いに会話もないまま、シャボと「熊のぬいぐるみ」は夜勤が重なった時に、こうした秘密の関係を持つようになりました。

しかしある時「熊のぬいぐるみ」は突然クリニックから姿を消してしまいます。どうやら秘書のヴィヴィアーヌに追い出されてしまったらしいんですね。

「熊のぬいぐるみ」のその後について、ここでは伏せておきますが、「熊のぬいぐるみ」に対しての仕打ちがあまりにもひどいじゃないかとやって来たらしいのが、シャボの周りをうろつく若い男です。

「熊のぬいぐるみ」のこと、脅迫するように現れた謎の若い男はシャボの心を苦しめ、娘や息子は様々な問題を起こして、シャボの頭を悩ませます。

精神的に追い詰められていったシャボは、お産の手術の時に頭が真っ白になってしまうんですね。無意識にでも出来ていたことが、出来なくなってしまったんです。

ミスはなかったものの、妊婦を不安がらせてしまいました。シャボは大きなショックを受けます。

「きょう、私はもう少しで赤ん坊を取りあげそこねるところだった。ほんとうに危機一髪だったので、これからさき手術できるかどうか自信がない・・・・・・」
 シャボの周囲のすべてが静止し、広いオフィスのなかで、沈黙が凝固し、生命を持たない家具や置物の周囲でひとかたまりになる。まるで時の流れが止まり、その部屋、その鈍い光の輪をのぞいて、世界中が大災害のために消滅してしまったような感じになるだろう。
 残っているのは、肘掛け椅子に座っているシャボだけで、彼の頭蓋骨のなかでは、小さな機械がなにがなんでも動き続け、病的な考え、暗鬱なイメージを作り続けようとする。(104ページ)


シャボは拳銃で自殺することさえ考えるようになりますが、ある時、思いがけないものを目にして・・・。

はたして、シャボが下した決断とは一体!?

とまあそんなお話です。誰もが望む裕福な暮らし、完璧な幸せを手に入れたはずのシャボ。豪華で輝くその生活とは裏腹に、シャボの内面には空虚さだけがあります。

少しずつ追い詰められていくシャボの苦しみを、誰も理解してはくれません。みんなは働き過ぎだと言い、休みを取った方がいいと言うだけです。

シャボは自分が医者なだけに、自分の状態を冷静に分析できるんですね。それでも救われない苦しみがあります。シャボは一体どうなってしまうのでしょうか。

出口の見えない人生の息苦しさを、悪夢的に描いた小説です。誰もがある程度共感できる物語だと思います。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、山本周五郎『ながい坂』を紹介する予定です。