冲方丁『天地明察』 | 文学どうでしょう

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天地明察/角川書店(角川グループパブリッシング)

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冲方丁『天地明察』(角川書店)を読みました。本屋大賞受賞作です。

無邪気な大人というのは、あまりいません。子供ならたとえば、車のおもちゃを動かして遊んでいる内に夢中になってしまって、自分だけの世界に入り込んでしまうこともあるでしょう。

しかし大人になってしまうと、様々な事柄を取捨選択して、バランスをうまく保つようになるものです。寝食を忘れて何かに打ち込むということは、ほとんどなくなってしまうんですね。

ところがですね、『天地明察』の主人公は渋川春海という碁打ち衆なんですが、大人らしからぬ、何かに打ち込みすぎる無邪気さを持つ人物なんです。これはかなり特徴的な人物造型だと思います。

物事に没頭しすぎる春海の姿は時に滑稽ですし、愚かに見えることさえあります。ただそれ以上に「ああ、なんだかいいなあ」と思わされてしまうんです。

自分がいつの間にか忘れてしまっていた、無邪気さを思い出させてくれるようで。

さて、『天地明察』は暦を作ろうとする話です。ただそれだけの話です。現代の感覚からすると、「ふ~ん、暦を作るのね」という無感動な反応が予測されるんですが、ちょっと待ってください。暦を作るというのは、これはもう、とてつもなく大変なことなんですよ。

色々と天体を観測したり、様々な計算したりと「暦を作る」こと自体の大変さももちろんありますが、それはここでは置いておきます。

何よりも重要なのは、「暦を作る」ということ自体が政治的な、大きな問題を孕んでいるということです。

まず第一に、使われている暦がすでに800年もの間使われ続けたものであること。たとえ暦としての正確さには欠けていたとしても、800年もの歴史には重みがありますよね。

当たり前のことを変化させるということは、極めて難しいことです。その点だけでも、暦は簡単に変えることのできないものだということが、分かってもらえるのではないかと思います。

第二に、暦を作ろうとする幕府側の思惑があります。暦自体を新しく変えると、新しい暦を売り出すことができるわけで、そこに莫大な利益が生まれます。加えて、行事の日取りなどすべての決定権を幕府が握るということも意味します。

本文から引用すれば、次のようになります。

 そうなったときの利益の争奪戦を春海は色々に想像させられた。たかが暦だと何度も自分に言い聞かせねばならなかった。そして、されど暦だった。
 今月が何月何日であるか。その決定権を持つとは、こういうことだ。
 宗教、政治、文化、経済ーー全てにおいて君臨するということなのである。(309ページ)


国の根本的な部分を大きく変えようとするわけですから、反発は当然予想されます。しかも天皇側と利権の奪い合いになって、国を二分するようなことがあってはいけません。

天皇側、そして国中の人々を納得させられるだけの、何らかの作戦を立てなければならないわけです。

現在の暦よりも正確な暦を用意すること、そしてその新しい暦を誰もに認めさせなければならないという、その大任を任されたのが、渋川春海です。

様々な艱難辛苦を乗り越えて、春海は暦を作り上げることができるのか? 国を動かす大きな事業に、夢中で取り組む無邪気な春海の姿を、とても魅力的に描き出した作品です。

作品のあらすじ


神社で絵馬を見て、渋川春海は興奮した面持ちです。仕事のために城に向かう途中で、寄り道をしているんですね。

絵馬には何が書かれているかというと、「算学奉納」というんですが、算術の問題です。個人や塾の名前で、色々な問題がかけられています。

解答が書かれている絵馬もあり、もしも答えがあっていれば、「明察」と書かれます。

春海は刀をほっぽり出して、地面に座り込んで、一心不乱にメモしたり、算盤という道具を使って問題を解くのに夢中になっています。そう、春海は算術が何よりも好きなんですね。

何かが目の前を横切っているんですが、全然気になりませんし、そろそろ城に行かなければということも、すっかり忘れてしまっています。

春海がもう夢中になって問題と取り組んでいると、「憚りながら、立ち退き下さいますようお願いいたします」(23ページ)と箒を持った娘に怒られてしまいました。

目の前で動いていたのは、娘の箒だったんですね。掃除の邪魔ですし、神聖な場所で座り込まれては迷惑だというわけです。

ようやく仕事のことを思い出して立ち去った春海ですが、神社に刀を忘れて来てしまいました。慌てて取りに戻ると、刀は無事見つかったんですが、そこでは驚くべきことが起こっていました。

自分が取り組んでいた難問に答えが書かれているんです。しかも、その難問だけではありませんでした。

 春海が咄嗟には解けなかった問題を始め、他の、答えのなかった絵馬にも、同じ筆跡、同じようなわけもなさで、答えが、”関”の名が、さらさらと記されていた。
 からん、ころん。
 風に揺られて絵馬同士のぶつかる澄んだ音がした。
 その音を、完全に心を奪われたまま聞いた。驚きを通り越して、周囲の時が止まり、自分の息づかいと絵馬の音だけが世界に響いているような思いだった。(30~31ページ、原文では「からん、ころん」に傍点)


短時間で関という人物が、問題を解いていったんですね。若い武士らしい関とは一体何者なのか? 歴史に詳しい方は、算術と関という組み合わせで、思い当たることがあるのではないでしょうか。

さて、神社で衝撃を受けた春海ですが、特別に許されて刀は持っているものの、武士ではありません。武士の髪型ではなく、垂らしたままの髪からもそのことが分かります。

春海は碁打ち衆で、安井家という名門の生まれです。碁打ち衆というのは、指導碁といって大名など偉い人と碁を打ったり、御城碁といって将軍の前で碁の試合をしたりする仕事です。

養子としてやって来た兄がいることもあり、春海は碁にそれほど夢中になれないでいます。もちろんそれなりに碁に関心はありますし、強いんですが、碁の世界からは一歩降りている感じです。

春海がなによりも夢中になっているのは算術です。それだけに、関という男の才能に衝撃を受けたわけですが、やがて、関でも解けないような算術の問題を出すことを、人生の大きな目標として持つことになります。

春海の周りでひそかに大きな動きが起こりつつあります。春海は「北極出地」といって、北極星を使って距離を算出し、方角を確定する観測隊に加わることになり、全国を旅することになりました。

観測隊の建部昌明、伊藤重孝という2人の老人から、春海は多大な影響を受けます。2人が年をとっても観測に夢中になり、好きなものに対しての情熱を失わない人間だったからです。

春海は2人から今使われている宣明暦がずれてきていることを聞かされます。建部は、「一つの暦法の寿命は、どれほど優れていようと、もって百年。八百年も続けて用いること自体がたわけておるわ」(202ページ)と吐き捨てました。

帰国した春海はやがて、幕府の権力者である保科正之に呼び出されました。保科正之は、幕府の財源確保のために、新しい暦を作ろうとしているんですね。その暦作りの大役を春海に任せるために、「北極出地」の観測隊に参加させられていたというわけです。

保科正之に向かって、宣明暦よりも新しい授時暦の素晴らしさを述べるために春海が言ったのが、次のセリフです。

「星はときに人を惑わせるものとされますが、それは、人が天の定石を誤って受け取るからです。正しく天の定石をつかめば、天理暦法いずれも誤謬無く人の手の内となり、ひいては、天地明察となりましょう」(290ページ)


新しい暦を作り、それを天皇側、そして国中の人々に認めさせようと動き始めた春海でしたが・・・。

はたして、関との算術勝負の行方は? そして、春海は改暦の儀を無事成功に導くことができるのか!?

とまあそんなお話です。小さいようでいてスケールの大きな暦作りという物語の流れも面白いですが、無邪気さと言えるほどの情熱を持つ春海に独特の魅力がある作品です。

この物語のいいところは、挫折の物語であることです。碁の世界にも天才はいますし、算術の世界にも決して敵わない人間がいます。大いなる挫折がそこにはあります。

それでも、春海は挫けずに、天との勝負に挑んでいくわけですね。暦というものは色々な要素があって出来ている複雑なものなので、なかなか順風満帆にはいきません。

どんなに険しい道のりだったとしても、そして、どんなに長い時間がかかっても、決して諦めずに挑み続ける春海。そしてそこには、春海一人ではなく、みんなの夢が重なっていきます。

読む人すべての心を打つ小説なのではないかと思います。機会があれば、ぜひ読んでみてください。

明日は、中島京子『小さいおうち』を紹介する予定です。