有島武郎『小さき者へ・生れ出づる悩み』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

小さき者へ・生れ出づる悩み (新潮文庫)/新潮社

¥357
Amazon.co.jp

有島武郎『小さき者へ・生れ出づる悩み』(新潮文庫)を読みました。

『小さき者へ・生れ出づる悩み』には、「小さき者へ」と「生れ出づる悩み」の2作品が収録されています。

「小さき者へ」が20ページ、「生れ出づる悩み」が100ページほどの短い作品ですが、どちらもメッセージ性の強い作品です。極めて深い印象の残る作品集だと思います。

「小さき者へ」は、妻を亡くした作者が、母親を失ってしまった自分の幼い子供たち3人に向けて語ったものです。どんな困難が前にあろうとも、くじけずに進んでいけという、強いメッセージが伝わってきます。

「生れ出づる悩み」はピンポイントのターゲット層に向けての作品というか、実はかなり読み手を限定する作品なのではないかと思います。

悩みはあるものの、それなりの暮らしが送れている人は、「生れ出づる悩み」を読む必要はありません。読む必要がないというと少しあれですが、読んでも感覚としてはあまりよく分からないだろうと思うんですね。

一方、芸術家を目指している人や、誰にも負けない情熱を持っているけれどそれがなかなか報われない人、なにかしらの夢を抱いて日々暮らしている人の心を、とても強く揺さぶる小説です。

「生れ出づる悩み」で描かれていることは、登場人物の次のセリフに集約されているのではないかと思います。

「俺が芸術家であり得る自信さえ出来れば、俺は一刻の躊躇もなく実生活を踏みにじっても、親しいものを犠牲にしても、歩み出す方向に歩み出すのだが・・・・・・家の者共の実生活の真剣さを見ると、俺は自分の天才をそう易々と信ずる事が出来なくなってしまうんだ。(中略)皆んなはあれ程心から満足して今日々々を暮しているのに、俺だけは丸で陰謀でも企らんでいるように終始暗い心をしていなければならないのだ。どうすればこの苦しさこの淋しさから救われるのだろう」(120ページ)


この青年は画家になりたいんですね。それは理想であり、夢です。しかし一方では、生活していかなければならないという現実があるわけです。

自分の才能に自信があり、そこに迷いがなければ、家族のしがらみや安定した生活を捨てて、一心に芸術に打ち込めるかもしれませんが、そこに迷いがあるわけです。

家族や他のみんなは何の疑問も持たず、生活のために生活をして満足しているのに、この青年はやりたいこととやらなければならないこと、つまり理想と現実に板ばさみになって苦しんでいるんですね。

「ああ、自分もこの青年と同じだ!」と思う方は、ぜひ「生れ出づる悩み」を読んでみてください。

どうすれば悩みが解決されるかという、明確な答えが書かれた小説ではありませんけれど、物語に深く感情移入できるので、心動かされるはずですし、なんだか温かな手でもって、背中を押してもらえるような、そんな小説ですから。

作品のあらすじ


「小さき者へ」

こんな書き出しで始まります。

 お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、ーーその時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが、父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。(8ページ)


3人の幼い子供たちの母親は、結核で亡くなってしまったんですね。〈私〉は妻との生活について、子供たちが産まれたことについて、妻の死をめぐる事柄についてなどの回想を、子供たちに向けて語っていきます。

時に詩的な感覚をも内包したこの小説の中で最も印象的なのは、出産に立ち会って子供が産まれた瞬間を、感動的にとらえた次の場面です。

産まれたばかりの赤ん坊は、葡萄酒を注いだ盥(たらい)に入れられます。

激しい芳芬と同時に盥の湯は血のような色に変った。嬰児はその中に浸された。暫くしてかすかな産声が気息もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。
 大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に忽如として現われ出たのだ。(11~12ページ)


感性豊かな作家の目が光る、印象的な文章だと思います。

深夜の1時15分。「しんと静まった夜の沈黙の中にお前たちの平和な寝息だけが幽かにこの部屋に聞こえて来る」(26ページ)のを聞くともなしに聞きながら、〈私〉は子供たちへのメッセージを書き続け・・・。

「生れ出づる悩み」

〈私〉がまだ札幌に住んでいた頃、1人の学生が訪ねて来ます。自分の描いた油絵や水彩画を見てくれないかというんですね。

それは決して技巧的に上手い絵ではないんですが、憂鬱さなど、なにかしらの感覚が伝わってくるものではあります。

〈私〉がそれなりに厳しい感想を伝えると、「じゃ又持って来ますから見て下さい。今度はもっといいものを描いて来ます」(35ページ)と言い残して、学生は帰っていきました。

それから何の音信もないまま、時は流れていきます。〈私〉は都会で暮らすようになり、結婚し、3人の子供たちの父親になりました。

10年が経った時、北海道の風景が描かれたスケッチ帳と手紙が届きます。あの学生からの便りでした。生活のために漁師になったんですが、時間を見つけては絵を書き続けていたんですね。

「誰も気も付かず注意も払わない地球の隅っこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」(45ページ)と思った〈私〉は列車に飛び乗り、かつての学生に会いに行って・・・。

物語で学生のことは、〈君〉と書かれているんですが、物語の後半は〈君〉の人生が描かれていくこととなります。

画家になりたいという夢があっても、生活のために漁師になった〈君〉。暴風で漁船が沈みかけ、命を失いそうになったこともありました。

なにか作業をしていても、ふと絵の題材を思い浮かべてしまったり、魚などの色彩に目を奪われてしまうことがあります。

「暇さえあれば見ったくもない画べえ描いて、何んするだべって」(101ページ)とみんなから笑われていると、ふとした時に妹が口にして、〈君〉の心は傷つきます。

夢を持っているものの、自分の才能をそれほど信じきれず、生活に追われながら、「この一生をどんな風に過したら俺はほんとうに俺らしい生き方が出来るのだろう」(93ページ)と悩む〈君〉はやがて・・・。

とまあそんなお話です。〈君〉という2人称で書かれていくめずらしい形式の小説ですが、重要なのは書かれていく〈君〉の生活が、ほとんどすべて〈私〉の空想であるという点です。

〈君〉についての事実が書かれているのではなく、「君、君はこんな私の自分勝手な想像を、私が文学者であると云う事から許してくれるだろうか。私の想像は後から後からと引き続いて湧いて来る」(104ページ)と書かれているように、〈私〉が想像して作り上げた〈君〉の人生なんですね。

〈私〉が勝手に作り上げた空想であることはさほど重要ではありません。〈私〉の思い描いた空想であるにもかかわらず、〈君〉の悩みがおそらく正確に写し取られているであろうことこそが、なにより重要なことだと思います。

芸術の道を歩みながら、悩んでいるのは〈君〉だけではないんですね。〈私〉もそうなんです。その点において、この小説は〈君〉に託して描かれた自画像であるとも言えますし、同時に芸術や夢に向かって進んで行こうとするすべての人の心を写した作品と言えるでしょう。

また、この小説は硬質さとナイーヴさを兼ね備えた文体が印象的な作品ですが、特に小説を書きたくても書けない、筆の進まない憂鬱さを含んだ冒頭の章が素晴らしいです。

折角なので、途中を少し引用しておきましょうか。

 寒い。原稿紙の手ざわりは氷のようだった。
 陽はずんずん暮れて行くのだった。灰色から鼠色に、鼠色から墨色にぼかされた大きな紙を眼の前にかけて、上から下へと一気に視線を落して行く時に感ずるような速さで、昼の光は夜の闇に変って行こうとしていた。(30~31ページ)


ルポルタージュ的な簡素な文体でありながら、風景の印象を巧みにとらえた文章だと思います。

「小さき者へ」と「生れ出づる悩み」という、メッセージ性の強い2つの作品が収録された作品集です。内容もいいですが、文章もはっとする表現がいくつもある非常にいいものです。興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして、本を1冊紹介します。

「生れ出づる悩み」は、理想と現実の間で悩む青年を描いた物語ですが、画家を目指して家族や仕事などすべてを捨ててしまった人物を描いた小説があります。

サマセット・モームの『月と六ペンス』です。

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)/光文社

¥800
Amazon.co.jp

燃えるような情熱を持ち、芸術だけに一心に打ち込んだら一体どうなってしまうのでしょうか。

こちらもぜひ読んでもらいたい傑作です。機会があればぜひぜひ。

明日は、山本有三『心に太陽を持て』を紹介する予定です。