ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』 | 文学どうでしょう

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デイジー・ミラー (新潮文庫)/ヘンリー・ジェイムズ

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ヘンリー・ジェイムズ(西川正身訳)『デイジー・ミラー』(新潮文庫)を読みました。

いよいよ〈イギリス文学月間〉の幕開けです。イギリス文学は世界文学の中で、ぼくがもっとも好きな国です。ジェイン・オースティンやチャールズ・ディケンズが大好きなんです。ただ、この機会に未読の長い長編を読もうと思ってるので、その辺りの作家はあまり扱えなさそうですけども。

ヘンリー・ジェイムズはアメリカ生まれのイギリス作家と言ってよいと思います。ぼくは詳しくないですが、「心理主義小説の先駆者」という風に新潮文庫の背表紙には書いてあります。

ヘンリー・ジェイムズの作品をぼくはそれほど読んでいなくて、この『デイジー・ミラー』と『ねじの回転』だけです。『ある婦人の肖像』という文庫本で3冊ぐらいの長編があるんですが、それを今月読んでみたいなあと思ったりもしています。『ねじの回転』は近い内に扱う予定です。

『デイジー・ミラー』ですが、100ページくらいの短い作品です。物語のストーリーもシンプルです。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

ヘンリー・ジェイムズは、「ヨーロッパ的な視点」と「アメリカ的な視点」を持っていたと語られることが多いようですが、たしかにそうした視点の対立がこの作品の中で浮かびあがっているといってよいと思います。

『デイジー・ミラー』を読んでいて、ぼくが思い出していたのは、朝青龍の問題です。横綱としての「品格」が問題となりましたよね。じゃあ「品格」ってなんだろうと言うと、「品格」は「品格」としか言えない。

朝青龍の問題は置いておくとしても、ぼくらの身近にいわゆる常識、あるいはマナーみたいなものがあって、それを破ると、バッシングされたりしますよね。でもその常識が本当に正しいことなのか、についてはあまり問われることはないんです。「品格」にしろ「常識」にしろ、いつの間にか周りにあって、それを破ってはならないという無言の重圧がある。

でも歴史を見ると、そうした「常識」というのは、時代ごとに大きく変わっていくことが分かります。たとえば女性の立場も随分変わりました。現実問題としてはまだまだかもしれませんが、女性の社会進出も進んできたように思います。

男女平等ではなかった時代に、女性の権利を唱えることは、それはとんでもないことだったかもしれません。「常識」からは外れているわけで、バッシングされるわけです。でもいつか、もちろん少しずつの努力があるかも知れませんが、「常識」は変化していきます。

そうすると、間違っていたのは個人なのか、「常識」なのか分からなくなります。どちらが正しくて、どちらが間違っているのか?

『デイジー・ミラー』は、「常識」とは違った行動を取った、デイジー・ミラーという女性を描いた小説です。

作品のあらすじ


物語は大きく2部に分かれていて、それぞれ舞台が違います。最初はスイスの小さな町ヴェヴェーでの話。その次がイタリアのローマでの話になります。

物語の主人公は、ウィンターボーンというアメリカの青年。ヴェヴェーのホテルに滞在しています。頭痛持ちの伯母さんに付き添っているんです。

一服していると、子供がやってきます。「小父さん、お砂糖一つくれない」(10ページ)と言う。お母さんがキャンディーを買ってくれないので、砂糖を欲しがるんですね。この子供もアメリカから来たということが分かります。やがてこの子供のお姉さんがやって来ます。

「感嘆の言葉もないほど、際立って美しい娘」(12ページ)であるデイジー・ミラー。ウィンターボーンとデイジー・ミラーは少し話をして、シヨンの城に遠足に行く約束を交わします。

ここで少し問題なのは、ウィンターボーン自身が意識していますが、若い娘に気軽に声を掛けるのは不躾という感じがあるわけです。逆に女性の側も、あまり男性と2人きりでいたらいけないわけです。古風な感じですが、そうした空気がある。いわゆる「常識」ですね。

ウィンターボーンは、伯母さんにデイジー・ミラーを紹介しようとしますが、伯母さんは会いたくないと言う。なぜなら、デイジー・ミラーについてよく思っていないから。社交界でのデイジー・ミラーの地位がすごく低いんです。

デイジー・ミラーはいわゆる新しい考えを持って行動していて、わりとラフな感じで男性と付き合うんですね。それが非難の的になっているわけです。

第1部の残りはざっとすっ飛ばします。第2部はローマでの話。

ウィンターボーンは、デイジー・ミラーと再会します。デイジー・ミラーは、小柄で美貌のイタリア男、ジョヴァネリと出歩いたりしています。白昼堂々と出歩く2人の姿を見て、社交界はデイジー・ミラーを締め出します。

ウィンターボーン自身も思い悩むわけです。デイジー・ミラーは一体どういう女性なのかと。浮気性で堕落した女なのか、それとも単なる無邪気な娘なのか? デイジー・ミラーを擁護したい一方で、周りの非難も当然だと思ったりもする。

ヨーロッパ的な「常識」とアメリカ的な「新しい考え」の対立が生んだものは一体なんだったのか? そして物語はどんな結末を迎えるのか!?

とまあそんなお話です。純粋な恋愛小説とは少し違うかもしれませんが、デイジー・ミラーがどういう女性なのか、みなさんも色々考えながら読んでみてください。そうした部分がなかなかに面白い小説です。短くて読みやすいので、ぜひぜひ。