志賀直哉『和解』 | 文学どうでしょう

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和解 (新潮文庫)/志賀 直哉

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志賀直哉『和解』(新潮文庫)を読みました。100ページほどの短い作品です。

志賀直哉については、『暗夜行路』のところでも多少詳しく書いているので、興味のある方はそちらもぜひご覧になってください。

志賀直哉の小説では、父と子の確執というのが1つのテーマになっていて、それは『暗夜行路』でもそうなんですが、この『和解』というのはタイトルの通り父と子が和解する話です。

ちょっと失敗したのは、『和解』「大津順吉」「或る男、其姉の死」とあわせて3部作のようになっているらしいことです。他の2作も用意しておけばよかったなあと。でもいい文庫があるんですかね。おいおい調べてみて、読んだらまた書きます。

志賀直哉が自分自身や家族をモデルにした作品はいくつかあって、そうした短編をあわせて読むことによって、また違った面白さが浮かび上がってくるのだろうと思います。他の短編なども少しずつ読み直していく予定ではいます。

暗夜行路』の主人公、時任謙作もそうでしたが、『和解』の主人公の大津順吉も変に癇癪持ちなところがあります。短気なんです。気に食わないとすぐ怒ってしまう。その辺りを読者がどう感じるのかは微妙なところで、ぼくなんかは、おいおい落ち着けよと思わないでもない。

他の作品でその原因が描かれているのかもしれませんが、『和解』においての父と子の確執は、相当溝が深いところまでいっています。不和に至るある悲劇的な出来事も描かれますが、ささいな気持ちのすれ違いやお互いの頑固さ、不器用さ、癇癪で似たもの同士ゆえにより激しく憎しみあってしまっているんです。

父親が家に遊びに来ようとします。気分よく会えそうにないから主人公は角が立たないように手紙を書きます。でもその手紙はうまく父親に渡らないんです。父親は変なタイミングで手紙を受け取ってしまって、激怒します。そうしたすれ違いが続きます。

エディプス・コンプレックスという言葉もありますが、『和解』の親子ほどではないにせよ、どこの家庭でも父親と息子の対立関係はあるものです。そうやってぶつかり合って息子は成長していくんです。父親を乗り越えようとするので。

癇癪持ちの大津順吉においおいと思いながらも、ぼくも気持ちが分からないでもないわけです。そういった点ではある程度、普遍的なテーマが描かれていると言えるでしょう。

作品のあらすじ


物語の展開や部分は、『暗夜行路』に重なり合うところがあります。おそらく作者の実生活がそれだけ投影されているということなのだろうと思います。奥さんなどに関しては、『暗夜行路』よりもキャラクター化されておらず、それだけに影が薄い感じです。

我孫子という千葉県の町で暮らしている〈自分〉は、死んだこどもの一周忌のために上京します。実家に電話するんですが、義理の母は、父親が家にいると言いづらそうに言います。父親がいると実家に帰れないんですね。〈自分〉は祖母に会いたかったんですが、父親と対立しているため、それもなかなか果たせないんですね。

〈自分〉は小説家で、「夢想家」という父子の対立を描いた短編を書こうとしています。〈自分〉と父親の対立はかなり根深いものがあって、奥さんや義理の母親、祖母、妹たちはそうした対立に振り回されておろおろしています。

〈自分〉に赤ん坊が生まれたので、それをきっかけにして、父親と息子のもつれた糸を解きほぐそうと周りは思うわけです。それが直接の原因とも言えないんですが、ある悲しい出来事が起こります。それによってかえって父子は激しく憎み合うようになります。

そんな中、祖母の具合が悪くなります。〈自分〉は父親の許しがなければ、実家の敷居をまたげない状態です。父と子の和解を望む周りの人々。〈自分〉が決意したこととは一体? そして父親が取った態度とはどんなものだったのか? 憎しみあう2人に和解の道は開けるのか!?

とまあそんなお話です。志賀直哉の1冊目にはむかない気もしますが、短くて読みやすい作品なので、テーマ的に興味のある方はぜひ読んでみてください。