イタリアの世界的ピアニスト、ポリーニが昨日他界され、謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。ポリーニは親日家で来日回数が多く、ショパンやシューマンのソナタは絶品でしたし、現代曲も多く取り上げていました。また若者向けに安いチケットで案内し、ピアノの舞台上の座席で若い観客がポリーニの演奏を聴いている場面を何度が見ました。ポリーニはかなり繊細で神経質の方で、来日公演のコンサート会場選定からかなり細かいです。1995年あたりまでは東京文化会館が多かったですが、その後はサントリーホールでの公演が中心で、川崎で最初のリサイタルを予定したのは2016年のことだったと記憶しております。最期の来日は2018年のサントリーホールとトッパンホールでして、これらのホールがお好みだったのでしょう。彼のピアノと会場選定についてのエピソードは、日本でポリーニを招聘していたKajimotoの担当者の方の↓のエピソードが面白いです。


ポリーニの黄金期は1970年代から90年代だと思います。1970年はザルツブルク音楽祭にデビューした年で、その後は毎年のようにザルツブルク音楽祭のリサイタルなどで出演していましたが、2019年が最期となり、その後はコロナ禍とご本人の体調不良でザルツブルクでの公演はキャンセルになり、今年のラインナップには入ってませんでした。ザルツブルク音楽祭のピアノ・リサイタル・シリーズをチェックすると旬の実力派のピアニストが多く出演しており、定点的に確認することができます。ポリーニやキーシンは毎年呼ばれる常連でしたが、最近ではポリーニの代わりに、レヴィットやトリフォノフがザルツブルクの大ホールのリサイタルを担当しています。今年はこの2人に加えて、ソコロフも大ホールでのリサイタルをやります。この大ホールのリサイタルを担当するのは、実力と人気の証で、人気度合いなどが落ちると、隣の小ホールのリサイタルになり、今年はキーシンやカントロフが弾きます(キーシンはこの20年は大ホールでリサイタルをやっていたのですが、残念ながらザルツブルクでは降格扱いです)。内田光子さんも小ホールのリサイタルの常連でしたが、今年はザルツブルクには出演しません。


ポリーニの完璧なピアニズムに惹かれて、黄金期に何度もリサイタルに行きましたが、2001年のザルツブルク音楽祭でのアバド指揮ベルリンフィルのコンサートで、ポリーニはブラームス第1番を弾きましたが、ポリーニらしくないミスが連発されて、彼は盟友のアバドと舞台袖に一緒に戻る時に、「指が上手く動かなくてごめんな」みたいなことをアバドにジェスチャー交えて言って、アバドが笑顔で「気にするなよ」とポリーニの背中を叩いて、2人で袖に戻りました。この頃から、ポリーニの完璧なピアニズムが崩れ始めたような印象があります。2006年のアバド指揮・ルツェルン祝祭管来日公演で、ポリーニはブラームス第2番を弾きましたが、この時も少し老いたピアニストのような印象が薄い公演でした。この頃はポリーニが得意として重音グリッサンドはあまり聴けませんでした。これ以来、ポリーニのリサイタルやコンサートには積極的に行かなくなりました。当時は、ツィメルマンやキーシンは巨匠扱いで、ラン・ランやトリフォノフら若手ピアニストの方が勢いがありましたので、そちらに行ってしまいました。筆者のポリーニの最期の公演は2週間前の下記の↓のブログで取り上げた2014年のカーネギーホールでレヴァイン指揮のモーツァルトでした。ポリーニがモーツァルトを演奏するのは珍しいですが、この時のモーツァルトも、残念ながら、あまり印象に残っておりません。


(ポリーニのピアノには調律師の名前が刻まれています)


黄金期のポリーニを追っかけレベルで聴いていた筆者の個人的に好きな録音は、シューマンの「幻想曲」です。

この曲は東京文化会館でも演奏されて、感激した記憶があります。