2月下旬から3月上旬まで東京で良い公演がないので、まだ沖縄におりまして、公演鑑賞ブログでなくて申し訳ございません。今回で公演感想と関係ないブログは10連続になりますが、来週からは東京に戻り、コンサートブログを復活しますので、よろしくお願い申し上げます。

(2014年10月のレヴァイン指揮・METオケ・カーネギーホール公演のカーテンコール)


昨日はMETオーケストラ来日公演について書きましたが、今日(3/9)はMETの芸術監督だったジェームズ・レヴァインが亡くなってから3年が経ちます。

《以降、レヴァイン・ネタがNGな方はスルーでお願いします》

レヴァインは晩年の未成年への性的虐待問題で音楽界から追放され、↓の3年前の記事によると、コロナ禍の2021年にイタリアでのコンサートの予定があったようですが、それは実現せず他界されました。

筆者がレヴァインについてのブログを書く理由は、1980年から90年代はレヴァインの黄金時代で、彼の実演や録音はカラヤン先生のように整えられていて、同じアメリカ人のバーンスタインのように癖のある音楽作りをせず、素直に心に響く音楽を創造していたと思います。バーンスタインは作曲家とコンサートと指揮者の二刀流で(あまりオペラを指揮していません)、レヴァインはオペラとコンサートの両方の指揮で成功した初めてのアメリカ人指揮者であると思います。レヴァインは1975年(32歳)でMETの音楽監督に就任し、その後、ヨーロッパでも同じ75年からザルツブルク音楽祭に登壇し、1982年から1998年の間はバイロイト音楽祭で「指環」などを指揮し、この期間はバレンボイムとレヴァインがバイロイトの中心的な指揮者でした。筆者も1998年の指環を鑑賞したことがあります。

コンサート面ではベルリンやウィーン・フィルを頻繁に指揮していて、特に1991年のモーツァルト没後200年に向けて録音されたモーツァルト交響曲全集は秀逸で、聴き馴染みの良いアプローチです。

その後は、1999年からミュンヘン・フィル(チェリビダッケの後任)、2004年からはボストン交響楽団(小澤征爾の後任)のシェフも務めていました。しかし、2006年にステージ上で転倒した怪我により、2006年と2011年のMETの来日公演ではレヴァインは登場しませんでした。日本での最期のMET来日公演は、2001年の「サムソンとダリラ」(ドミンゴ、ボロディナ出演)だったと記憶しております。彼の黄金時代から追っかけではないですが、1990年代から2000年代までレヴァイン指揮のNYでのMET公演を年3回くらい鑑賞に行きました。この時代はパヴァロッティとドミンゴが同時にNYにいることがあり、2夜連続でパヴァロッティとドミンゴを鑑賞できる贅沢な体験ができました。今はこのような体験や類似する公演はないので、レヴァインの芸術性と手腕でこのような豪華なキャスティングができたのでしょう。加えてワーグナーの「指環」(オットー・シェンク演出)はバイロイトよりキャスティングが素晴らしかったです。演出もワーグナーの世界を忠実に表現しており、「指環」の映像の決定盤だと思います。

2006年以降は怪我や病気(パーキンソン病など)で指揮する機会が激減しましたが、2014年10年に復活したレヴァイン指揮のMETオーケストラ(ピアノ: ポリーニ)をカーネギーホールで鑑賞したのがレヴァイン最後の公演でした。曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番とマーラー9番で、人生の中でかなり思い出深いコンサートで、様々なメディアでも取り上げられてました。


この時はレヴァインは特別仕様の車椅子で登場し、黄金期時代の切れ味は感じなかったものの、NYの観客がかなり集中して緊張感のある公演でした。たまたま、レヴァインとポリーニの目の前の席で鑑賞できたのは貴重な機会でした。レヴァインはバーンスタイン同様に天才肌で、楽屋でサインをもらう時は、サインしながら、ずっと鼻歌(なんかの交響曲)を歌っていて、生まれながらの音楽家なんだと感じました。彼の秀逸な記憶力、音楽構成力、リズム感は素晴らしかったと思います。晩年のスキャンダルは残念な話でしたが、彼の功績は筆者にとっては大きかったのです。