今日は、筆者が最も初来日を切望していたイェンデとフローレスのコンサートに行きました。今年の上半期で1番注目のコンサートであることを下記のブログで一昨日書きましたが、色々なハプニングがありましたが、結果は大満足でした。

このブログを見て、今日のチケットを買われた方もいらっしゃいましたが、結果はいかがでしたでしょうか。フローレスはあまり説明不要な世界最高のテノールですが、初来日のイェンデに関しては、一昨日のブログに加えて、彼女のキャリアや私生活についてウィーンで聴いた話を書きながら、本日のコンサート鑑賞記とします。プリティ・イェンデは、キャスリーン・バトルやジェシー・ノーマンと比較されていますが、バトルやノーマンは米国出身で、イェンデはアパルトヘイト政策下の南アフリカ出身であることが大きな違いです。イェンデは1985年に南アフリカの田舎の街で生まれ、16歳の時にブリティッシュ・エアウェイズのTVCMで流れていたオペラの音楽をはじめて聴いて、その瞬間に「オペラ歌手になる」と決意し、音楽・声楽の勉強を始めました。2009年(24歳)にミラノ・スカラ座のアカデミーに入り、その後、数々のコンクールを受賞後、2013年にNYのMETオペラでデビューし、ウィーンやスカラ座をはじめとする一流オペラで活躍し、スターダムにのし上がりますが、2021年6月にパリ空港の入国審査でトラブルに巻き込まれます。当時はコロナ禍で、デルタ株が蔓延し、EU諸国では、EUを除く米国・英国など多くの国(日本は例外でした)からの入国禁止状態でした。イェンデはシャンゼリゼ劇場で出演するために、パリで入国しようとしたのですが、その際、フランスの入国審査官がビザ無しで南アフリカのパスポートしか保持していないとし、イェンデは全裸でのボディチェックや暗い部屋にしばらく勾留されたそうです。イェンデ側はEU入国に必要なビザは所持していたので、この事案を人種差別的な扱いを受けたとして、弁護士を通じて抗議しました。この問題は、フランスと南アフリカの外交的な問題になりましたが、そんなイェンデがこの2年後の2023年5月に、英国国王の戴冠式でアフリカ系歌手として初めてウェストミンスター寺院で歌い、23年12月にクリスチャン・ディオールのグローバル・アンバサダーに就任することを誰が予想できたでしょうか。

(このウェストミンスター寺院での戴冠式の歌唱は泣けます)

(今日のイェンデのドレスはディオールだったのでしょうか)


ここまでのイェンデの半生だけでも映画化できそうですが、彼女のずば抜けた才能と明るい性格で、様々な差別や困難を乗り越えてきたんだと思います。イェンデは英語訛りと言われないように、現在のレパートリーはイタリアとフランスのオペラに絞っていますが、今日は前半がイタリア語、後半がフランス語のオペラの構成になっております。


前段が長くなりましたが、最初のロッシーニのアリアでは、フローレスが3日前のコンサートと同様に、フローレスらしい迫力があまり感じられず、あくまでもウォームアップ的に歌っているのかと思いました。歌詞がないシーンではフローレスはポケットにある喉の薬を飲んだ後、無難に終わりました。『セビリアの理髪師』の《今の歌声は》はキャスリーン・バトルが得意としていた曲ですが、イェンデはバトルを彷彿とする魅力的な歌唱で、耳の鼓膜まで響くような絶唱で、名刺代わりのように高音を難なくこなしていました、この曲が今日の1番良かったと思います。このイェンデの歌唱の後に、会場アナウンスが入り、「フローレスが体調不良ではあるが、その中でも継続して歌う」とのことでした。3日前のコンサートから本調子では無さそうでしたし、今日も冒頭から不安でしたが、何とか最後まで歌ってきって欲しいと思いました。

そんな不安な会場アナウンスの後、フローレスとイェンデの長い二重唱がはじまります。喉が不調のフローレスは顔を赤くしながら、しんどそうに歌いますが、Vn奏者との絡めた演技を加えながら、卒なくこなしています。絶好調のイェンデは不調のフローレスをサポートしながらの歌唱で、フィニッシュはイェンデがフローレスに合わせていました。前半ラストの『ランメルモールのルチア』の二重唱では、フローレスは鼻をすすったり、肺を叩いたり、咳こみながら歌っていましたが、顔を赤くしながら、限界まで達するくらいまでの真剣な歌唱でした。いつも楽天的に歌うフローレスが、これほど、しんどそうに歌うのを観るのは初めてです。休憩時間中は、イェンデのCDを購入するお客様がたくさんいました。


後半が始まる前に、また会場アナウンスがありました。「フローレスの希望により、最後の『連隊の娘』のハイCの難曲のアリアが『愛の妙薬』の《人知れぬ涙》に曲目変更になる」とのことでした。彼は昨年の冬もウィーンで『連隊の娘』のオペラ公演を体調不良でキャンセルしたことがありますが、冬の寒さには弱いのでしょうか。フローレスの十八番であるハイCの9連発が聴けないのは残念ですが、フローレスが最後まで出てくれるだけでもありがたいです。後半1曲目のアリアはフローレスによる『ロメオとジュリエット』ですが、この曲もフローレスは咳を抑えながら、痛々しい姿で歌っていました。このまま、最後まで歌えるのか、さらに不安になりました。イェンデのジュリエットのアリアは、期待を裏切らない素晴らしい歌唱で、今日の主役はイェンデに取って代わってしまった印象があります。『ロメオとジュリエット』の二重唱は4人のチェロの伴奏で静かに始まりますが、このオペラで最も美しいシーンを綺麗に歌いあげていました。この二重唱に絶叫シーンがあまりないのが幸いでした。

本編ラストパートの『連隊の娘』はイェンデからのマリーのアリアで始まります。幸せそうな笑顔で歌うイェンデが印象的で、「フランス万歳!」の部分での絶叫も秀逸でした。ここまでは本日の主役はイェンデでした。ですが、次のマリーとトニオの二重唱からは、不調だったフローレスが巻き返します。この曲では咳こまず、顔も赤くならずに、通常モードでフローレスが歌い、絶叫よりも心で歌うようなシーンもあり、キャリアを積んだプロ精神を感じました。最後の『愛の妙薬』のアリアもフローレスは、無難に巧く歌いあげて、本編は終了になります。喉の調子が悪く、咳き込んだり、肺を叩いたり、薬を飲みながら歌っていたフローレスがアンコールをしないと思ってましたが、まさかのギターを持って出てきました。フローレスは「皆様の温かい拍手に感謝して、新年の挨拶を兼ねて歌います」と言って、ギター弾きながら、『蛍の光』やナポリ民謡の3曲を綺麗に歌いました。その前に、イェンデのソロのアンコールがあり、最後の曲はフローレスとイェンデによる『ラ・ボエーム』第1幕のラストの《愛らしい乙女よ》で、ラストの部分ではフローレスが部屋のドアを開ける演技をして、ミミとロドルフォがパリの街に去っていくように、ステージ奥に歩きながらの歌唱で終わりました。


フローレスの連隊の娘のハイCが聴けなかったのは残念でしたが、体調不良にも関わらず、大きなミスをしないで歌いこなすフローレスのプロ精神とアンコールのパフォーマンスには頭が上がりません。フローレスは世界一のエンターテイナー・テノールだと確信しました。ステージ上で指揮者、イェンデ、フローレスに花束贈呈がありましたが、フローレスは1列目の女性ファンに花束を渡していました。さすがのエンターテイナーです!ちなみに、筆者の現在の世界三大ソプラノは、グリゴリアン、ヨンチェヴァ、イェンデとなりました(ネトレプコは一昨年・昨年と聴いてから声の衰えを感じてます)。当然、今日の評価は五つ星です。

(評価)★★★★★ イェンデは絶好調、不調のフローレスはアンコールまで渾身の歌唱でした

*勝手ながら5段階評価でレビューしております

★★★★★: 一生の記憶に残るレベルの超名演 

★★★★:大満足、年間ベスト10ノミネート対象

★★★: 満足、行って良かった公演

★★: 不満足、行かなければ良かった公演 

★: 話にならない休憩中に帰りたくなる公演


《曲目》

ロッシーニ:歌劇「ラ・チェネレントラ」序曲・“そう、誓って彼女を見つけ出す”,歌劇「セビリアの理髪師」“今の歌声は”,歌劇「オリー伯爵」オリー伯爵とアデル伯爵夫人の二重唱“ああ!なんと言うあなた様の高徳への” 
ドニゼッティ:歌劇「ロベルト・デヴェリュー」序曲,歌劇「ランメルモールのルチア」エドガルドとルチアの二重唱“裏切られた父が眠る墓で~そよ風にのって”
グノー:歌劇「ロメオとジュリエット」第2幕 ジュリエットの家の庭園 間奏曲・“恋よ、恋よ!ああ、太陽よ昇れ”“私は夢に生きたい” ジュリエットとロメオの二重唱“わたしは、貴方をお許しいたしました~ああ、結婚の夜”
ドニゼッティ:歌劇「連隊の娘」序曲・“富も栄華の家柄も~フランス万歳!” マリーとトニオの二重唱“何ですって?あなたが私を愛している?”“ああ!友よ!、なんと楽しい日!~僕にとっては何という幸運”
https://www.nbs.or.jp/stages/2024/singer/02.html
最後の『連隊の娘』《ああ!友よ!》はフローレスの体調・希望により、同じドニゼッティの『愛の妙薬』の《人知れぬ涙》に変更になりました。


《アンコール》

ヴィクター・ハーバード作曲
プリマドンナ・ソング『女魔法使い』"芸術が私を呼んでいる"(イェンデ)

"AULD LANG SYNE"... ~ "CIELITO LINDO"

"CORE N'GRATO" (AUTHOR: SALVATORE CARDILLO)

"BESAME MUCHO" (AUTHOR: CONSUELO VELAZQUEZ)
(以上、フローレス)

ジャコモ・プッチーニ作曲
歌劇『ラ・ボエーム』"愛らしい乙女よ"
(フローレス&イェンデ)

■出演
フアン・ディエゴ・フローレス(テノール)
プリティ・イェンデ(ソプラノ)
指揮:ミケーレ・スポッティ
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団