台風予想のため予定が無くなったので、連続投稿になります。前回は女性で世界No.1実力指揮者のマルヴィッツ(40歳)について取り上げました↓。

この投稿を読んで頂いた上で、1歳差の沖澤のどか(39歳)の評価について書いていきます。


《ここからは、沖澤のどかファンはスルーでお願いします》


日本国内での沖澤のどか人気は過大評価されているように思います。下記の記事は典型例で、チケットが全て完売した実績はないです↓。

今年4月の京響のサントリーホール公演ではチケットが大量に余っていたようですし、松本のフェスティバルチケットも2日とも空いてますし、ザルツブルク音楽祭のオペラ6公演を売り切るようなマルヴィッツとは対照的です。


日本の音楽評論家はこぞって「実力派」「新世代の騎手」などと沖澤を評価しており、その代表は先生と呼ばれている音楽評論家で、いつも「天才肌」など書いていますが、彼女が天才肌とは全く思いません。4月のヨーロッパからの機内で沖澤指揮・京響の初録音「シェエラザード」を聴きましたが、凡庸な表現で寝てしまいました。

下記のブログで書いたようにペルトコスキ指揮の「ニーベルングの指環」ハイライトを聴き、10時間寝ずに聴けました↓。

沖澤人気の中で、昨年6月に都響による「春の祭典」を鑑賞しましたが、音楽評論家による提灯記事で賞賛していましたが、筆者は過去最低の「春の祭典」と認識しております↓。

この投稿の後に元新聞社の音楽評論家は「若い音楽家を直接叩くな」のような主旨のX投稿していましたが(現在、削除されてます)、沖澤はまだ若いと言えるのでしょうか。前述の1歳差のマルヴィッツは表情豊かな顔と全身を使ったダイナミックなタクトで、スケールの大きい音楽が構築されますが、沖澤はその真逆と言っても過言ではありません。沖澤は表情は少ないですし、タクトのボキャブラリーが豊富ではないので、表層的かつスケール不足な音楽になってしまいます。具体的に映像で確認していきましょう。例えば、N響との「モルダウ」の映像があります↓。

◾️「モルダウ」(N響)

冒頭のフルートの微音を中振りで指揮していますが、モルダウ全体のピクチャーをしっかり描いていれば、このシーンは大きく振る必要はないはずです。基本的な指揮技術が欠如していると感じます。


◾️プロコフィエフ「交響曲第1番」(N響)

プロコフィエフの「交響曲第1番」の最終楽章は前稿でアップしたマルヴィッツと比較ができます。沖澤のプロコフィエフは音の交通整理ができておらず、聴こえなくても良い音が飛んできます。スコア分析していても、この表現レベルでは「実力派」とは言えません。また、この指揮者が語られる際に、ビジネス・ジェンダーの文脈で「新時代の女性リーダー」「2児の母としてのキャリア」のような音楽とは関係ストーリーで書かれていることもありますが、これらは音楽の本質とは関係ないです。マルヴィッツにも2人目のお子様はいますし、筆者がこれらのコンテキストでマルヴィッツや沖澤を評価することはありません。


ヨーロッパでのオペラやコンサートの経験が少ない指揮者が、なぜ日本で注目されているのか、謎でしかありません。マルヴィッツの映像と比較すれば、実力差は歴然としています。「マルヴィッツ」とGoogle検索すると、日本の音楽評論家による記事は見つからず、日本語ではレコード会社のサイトと当ブログの投稿あたりが出てきます。このブログの読者は世界基準の音楽に触れたいと言う方が多いと思いますが、国内(ドメスティック)だけで良いと言う方はご自由にお願いします。情報社会で世界は縦横無尽に繋がっているので、世界基準で評価せざるを得ないと言うのが当ブログの方針です。本日もお読み頂きありがとうございました。