映画『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』 ようやく観てきました。
「伝説の人物としてではなく、
ひとりの人間としてのグレン・グールドに焦点を当てたドキュメンタリー」 というだけあって、
初公開の映像がふんだんに使われながら、淡々と人としてのグールドが描かれていきます。
宣伝文句にある「今まで知られることのなかったグールドの心の内を、彼を愛した女性たちが語り、本質に迫る」という雰囲気では正直なく、それが逆によかったです。
描かれるグールド本人の奇才ぶり、心の闇は想像を超えるものではなかったせいか、
周囲の人のありかたに想いを巡らせながら…という、予想外の見方をしてきました。
グールドが信頼して一緒に仕事をしていたエンジニアも、グールドについて語っています。
たとえば、映像に映るこのエンジニアの若かりし日の、ちょっと怯えたような表情…
グールドを尊敬し、グールドも彼を信頼している関係であるにもかかわらず、
どうしてもそういう間柄になってしまうということが、妙に印象に残りましたねー。
そして、天才だからどこまでも我がままや奇行が受け入れてもらえるかと思いきや、
意外と人はアッサリ離れていく瞬間もある(一時はその才能に惚れ込んでいても…)。
そしてそれぞれの人が、
自分の目で見た「天才」を語るようになる。
なんだかちょっと怖いなと思いました。
そういう孤独な存在だからこそ、独創的な芸術が生まれたのか。
それとも、周囲はもう少し違う接し方をすべきだったのか…。
そして、グールドの驚きエピソードが一つずつ紹介されていくたびに、
「いやっ、それと同じようなこと言ってた人知ってるけど…」
「あれー、その動き、見たことあるなー」 みたいなことがあまりに多く、
改めて、ヘンタイ系のピアニスト様たちのお相手で
自分の感覚がマヒしていることを痛感するのでした。
あぶない、あぶない。。
優れた奇才は、意外と人の気持ちを察しているし、いろんなことを考えている。
怯えられたり、逆に対等の関係を持とうとして虚栄をはられることをすごく嫌う、
…のではないかと自分は思う。人として本質的なところを見てますよね。
つくづく、厄介で素敵な人たちだ。本人たちは辛いことも多いだろうけど。
関東でも拡大上映が始まっていますが、
これから東北や関西でもどんどん公開が始まるようです